十三. 咆哮

 スープのおかげだろうか。

 あれほど崩れていた体調はいつしか回復の兆しを感じさせ、今では普通に動く分に限り問題もなくなってきている。長らく付きまとっていた倦怠感も解消されつつあり、微熱は既に治まっているようだ。

 また、体内からはぽかぽかと湧き上がるような“何か”が発生し続けており、じっとしているとどこか息苦しくなってくる。ただし、悪い意味ではない。身体の高揚感が増しているとでもいうのだろうか。


 ──スープ……効いたのかな。


 エステルは流れる汗を拭いながらフリットのスープを思い返した。


 熱さのあまり味はすでに覚えていない。そもそも感じていたかもわからない。その代わりといってはなんだが、ただただ熱かったという記憶だけが鮮明に残っている。


 ──体調を気遣ってくれたんだっけか。


 ぶっきらぼうに見える面も多いものの、彼が自分のことを心配してくれたのだろうということはこれまでのことを考えれば容易に想像出来た。

 思えばこの短期間で何度情けない姿を見せただろう。それでも彼は辛抱強く付き合ってくれている。小言だって、単なる照れ隠しかもしれない。


 ──でも……そうだとしても、熱すぎよね。汗が止まらないし。


 一度は飲み込んだものの、やっぱり一言だけは文句を言ってやろうと思い、重い腰を上げることにする。それとこれとは話が別だ。

 エステルはふんっと鼻を鳴らす。


 まずはテントから顔だけを出してみる。視界が明るくなると同時に灼熱の如き熱波が顔に触れては通り過ぎていった。照らされているという感じが心地良く染みてくる。


 ──眩しい。


 一度は堪らず目を細めるが、やがてそのまま首だけを動かし周囲を見渡す。閉じようとする目とは対照的に、唇は自然と少しばかり開いてしまう。慣れるまでは本当に眩しい。

 左側からぐるっとたどり、そこから首を丁度反対くらいまで傾けた辺りでようやくフリットの姿を見つけることが出来た。


 鍛練をしているのだろうか、彼は手にした短刀を構えては動作を確認するかのように慎重に振るうことを繰り返している。滴る汗はきっと暑さのせいだけではないはずだ。


「あなた、意外とマメな性格だよね」


 意を決してそこから飛び出すと、そのままフリットの元へと駆けていく。


「何事も積み重ねだろ。それに俺だけってわけでもないぜ。ナツノだってそうだろうがよ」

「……へぇ、ナツノもそういうタイプなんだ。何かしている所ってあまり見たことないけどな──私」


 フリットは動きを止めると、彼女のほうを見ながら苦笑いをする。最後に関しては独り言のつもりだったが、しっかりと聞こえてしまっていた。


「ナツノが聞いたら一体どんな顔をするだろうな」

「だって見たことないんだもん!」

「あのな、普通は努力してる姿は人には見せないもんなんだよ。隠す必要はないにせよ、見せる必要もないからな」

「……それは確かに──そうだけど」

「まぁ、ナツノに余計な事を言うんじゃないぞ」

「……何も言わないけどさ、別に」


 頬を膨らませるその様子に再び苦笑をすると、フリットは改めてエステルに向き合った。


「……お前、すごい汗だな。それとも水浴びでもしてきたのか? どこにそんな水があるんだか」

「……せいよ」

「は?」

「あなたのせいよ!」


 そう言われ、フリットは言葉を失う。まさか自分のせいになるとは思いもよらなかったからだ。


「スープ! あれに何を入れたのよ! 変なものは入ってないでしょうね!」

「……あのなぁ」


 フリットは深い溜息をつくと、やれやれと言わんばかりに額に手をついた。


「考えてみろよ、三人同じもん食っててなぁ、なんでお前だけそんな事になってるんだよ。もっと別にあるだろ。原因は」

「う……言われてみれば」

「びしょびしょだぞ。風邪のせいじゃないのか?」

「うーん、体調はいいんだけどね。体はぽかぽかしてる」

「熱があるんじゃないか? 確かに……元気そうには見えるが……」

「元気よ。こう、なにか叫びたいくらい」


 エステルは大きく息を吸い込むと、放つように大地へ叫んだ。


「ガァオォォォォーーーーーー!」


 ──震えた。否、揺れた。そして……爆音と共にテントが吹き飛んだ。


 二人は顔を見合わせ、そして、息を呑んだ。


 ◇


 魔法樹の近くでは、魔法使いが三人並んでいる。一人はナツノ、残る二人はメアリードとエルマである。


「いい勉強になっただろう? 何も魔法は派手な物だけじゃない」

「案外、本当に魔法使いじゃなかったのかとまで考えたよ」


 先程までの戦闘はまるで何もなかったかのように終わりを迎え、ナツノは今、地面に座り込んでいる。というのも、彼女達の気持ちが変わり、戦う気を失くしたらしい。勝手なことに、嫌味までさらっと言われている。


「どうして急に戦闘を止めたのか教えてほしい」


 やっとのことでナツノは質問を投げかけた。


「思ったより弱そうだったから話し合いのほうがいいかなって。何より、見るに忍びない」


 エルマは可愛く舌を出して笑い、メアリードはナツノの肩を強めに叩く。


「まだ若いのかもしれないが、あまり修行をしてこなかっただろ? 精霊が泣くぞ?」


 二人から弱いと言われていることに若干気落ちしながらも、ナツノはそれを受け入れる。なんにせよ、戦わずに済んだことは好都合であるのだ。今すべきは力の証明ではない。


「この惑星には何をしに来たのかな? そう簡単には存在すらわからないはず……だけど」

「だろうね。ここを見つけたのは偶然だったし、相当やっかいな見張りも付いているから、なかなか難しいだろうね」


 エルマは笑う。

 この笑みは魔性の笑みだ。彼女が笑う度に、ナツノの心臓は痛みを覚える。


「まさかとは思うけど、クレハに危害は加えていないだろうね?」


 思わず立ち上がり、再びシリウスを構えると睨み付ける。胸騒ぎがそうさせていた。


「お前は本質的に勘違いをしている。私達は別に誰かに危害を加えようとはしていない。無論、さっきの戦闘は例外だ」


 メアリードがナツノを制すように手を前に出しながら首を横に振った。


「例外……」


 ナツノは頭部の痛みに顔を曇らせた。思い出すだけでも相当痛い一撃を何発か食らった記憶が甦る。


「すまなかった。だが、あの状況ではやむを得なかったと納得してほしい。私達にも目的はある」


 対面しているときは物凄く好戦的に思えたが、本当はそうでもないらしい。……メアリードは。


「クレハね……あの人はまだそんな名前で呼ばせているの」


 エルマは何かを考えるようにナツノの瞳を覗き見ていた。


「……あなたの名前は?」

「ナツノ」

「ううん、本当の名前」


 もう長い間、“自分の名前”なんて名乗ることはなくなっていた。そう、“ナツノ”は自分を表す記号であって、名前ではない。


「僕の名前は……」


 思い出し、そして確認するように天を仰ぐ。果たして今名乗る必要はあるのだろうか。


 ──ガァオォォォォーーーーーー!


 突如、咆哮が荒れた大地を駆け抜けて行き、ナツノの思考は中断された。


 ◇


「流石に驚いたぜ。お前……すごいな。前にナツノも言ってたが、あれが魔法だというなら俺は信じてもいいぜ」

「あたしも驚いてる。普段あんなことにはならないんだけど……っていうか初めてよ」


 驚く二人が見つめる先には、先程の咆哮で吹き飛んだと思われるフリットのテントが転がっていた。

 あまりの予想外の事態に二人して身動きも取れず、ただ呆然と横たわるそれを見つめていた。


「なぁ……どうやったらああなるんだ?」

「さぁね……そもそも本当にあたしがやったの?」

「わからん……俺にはお前が口から何かを出したようにも見えたが」

「……気のせいじゃないの。……テント直すの手伝うよ」


 無惨にも多少破けてしまっているテントを元の位置まで運び直すと、再び二人はその場に座り込んだ。


「そういえば、体の汗も引いてるんじゃないか?」

「あっ、ほんとだ。熱も引いたみたい」


 もう一つ、体内から涌き出ていた高揚感のようなものも引いている。


「ナツノが聞いたら驚くだろうな、どうする?  黙っておくか?」

「ううん……言ってみようかな」


 エステルはそう言うと、フリットに確認をするように問い掛けた。


「ねぇ、もしあれが“魔法”だとしたら、あなたはどう思う……かな?」


 フリットは考えるように地面を見つめると、視線はそのままで話始めた。


「別に個人に対しては何も思わねぇよ。それよりな、この世界には魔法ってものが本当にあって、もしそれを使えるやつが沢山いるっていうんなら、マーキュリアスとグィネブルの戦争、そして龍と鬼の伝説は、案外それらが関係してるのかもしれないな」


 フリットの話をエステルは黙って聞いていた。魔法なんてつい最近まで考えた事もなかったのに、いつからか──ナツノを見つけてからは魔法が気になって……気になって仕方がなかった。


「龍……ナツノはやっぱり“魔法使い”なのかな?」


 エステルがポツリと呟いた。


「どうだろうな。本人はなんて言ってる?」

「何も言わない」

「じゃあわからないな。戻ってきたらもう一度聞いてみろよ」

「……うん」


 エステルはボロボロのテントを見つめると、胸に手を置き決心したように頷いた。


「もう一度……もう一度よ、エステル」


 エステルの咆哮はナツノにも届いたのだろうか。フリットは複雑な表情で彼女を見守るように眺め、そして、天を仰いだ。

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