十二. 幻影

 月が光る。

 いや、これは偽物だろう。つまり、これは月の様なものが光っているというほうが正しいことになる。


 改め、月の様なものが光る。

 地上から見上げるそれは非常に丸く大きい。どこかの魔法使いが何か良からぬことを考えているのかもしれない。


「目標地点はわずかだけど魔力が発生している地点を選ぶね。魔力が回復したら私もそこへ転移するから」

「了解」

「同じ地点に飛ぶから、到着次第安全の確保はよろしくね」

「了解」


 二人は順番に打ち合わせを進めていく。資料はない。そのやりとりからは、感覚を頼りに、片やもう一人に任せている様子が窺える。


「きっと魔法使いが付近にいるよ。たぶんそこを拠点にしているんだと思う。おそらく魔法樹があるんだろうね」

「そう……私には感知出来ない。とても小さいのね」

「小さいのか、小さくしたのか、それとも小さくせざるを得なかったのか、それはまだ判断出来ないから」

「何でもいいよ。どうせ着いたらすぐわかる」

「ともかくどんな場所かもわからないんだから、用心に越したことはないよ」


 二人は幼少時からかなりの時間を共にしている幼馴染であり、頼れる相棒でもあるのだ。


「着いたらまず情報を収集するよ。無駄な戦闘は避けることね」

「了解」

「こっちの準備はいいよ。いつでもおっけー」

「行こう」


 次の瞬間、転移魔法が発動した。


 ──まずは一つ。


 薄暗い部屋の窓から見えたあの物体も満月になるのだろうか。……いや、やはり満月のようなもの、だろうか。


 ◇


 ナツノは魔法樹を目指して歩いていた。そう遠くはないのだが、拠点からは少しだけ離れた場所に位置しているのでいくらかは時間が掛かる。というより、あえてそうしたのである。


 本来ならなるべく目立たないようにしたいのだが、こうも植物が少ないと否が応でも目に留まってしまう。流石に魔法の樹であると気付く者はいないだろうが、それでも人目に付けたくない。……たとえ仲間であったとしても、それは同じだ。


 ──なんだろう。嫌な予感がする。


 風の精が少し慌ただしく騒いでいるのを肌に感じ、ナツノは唾を飲み込んだ。普段と違うということは、それだけで少しの不安を誘うものかのかもしれない。


「やっぱり来たか」


 目的地が見えてくると同時に何者かに声を掛けられる。当然ながら、その声に覚えはない。この地では待ち伏せをされるような謂われもなく、心当たりとしてはトウカのみである。


「あなたは?」

「単刀直入に問う。お前は魔法使いか?」


 あまりに急な問い掛けに、ナツノは少し戸惑いながら目の前の女性を注視する。やはり、その姿に心当たりはない。トウカではないのだ。

 漆黒のローブを纏っており、この国ではまず見掛けない服装であることから、この人物も恐らく魔法使いなのだろうとすぐに察することは出来た。しかし、この世界に自分達以外の魔法使いが来るということは聞いていない。ましてや、それであるかもわからぬ者に、軽々しく魔法使いかと訊ねるような人物が味方であるとは考えにくい。


「魔法使い? 聞いたことないけど……」


 相手が何者かわからない以上は自分の素性を明かすことは危険だと判断し、ナツノは咄嗟に答えをはぐらかすように言葉を返す。

 クレハが援軍を送ってくれた……とは考えにくく、無条件に魔法使いであれば味方だ、と思うことも出来なかった。


「そう……」


 そう呟くとその人物はゆっくりと近付いてきた。


「なら、確かめるしかないな」


 彼女は急に後ろに振り返ったと思うと、フッと姿が揺れ、目の前には閃光のような踵が襲ってきた。


「うっ!」


 呆気なく頭部に食らい、脳が揺れる感覚に襲われる。よろめきながらもなんとか目だけは相手の動きを離さないよう食らい付いた。


「目、が良いな。だが、反応は悪い」


 既に相手は次の攻撃の態勢へと移っており、間髪入れずに顔面目掛けて掌底が飛んで来る。意識を飛ばすつもりで来ているようだ。

 試すような物言いが妙にナツノの頭に引っ掛かり、図らずとも彼の精神に動揺を与えてしまう。


「幻視掌」


 本能的にまずいと感じたが、崩れた体勢ではまともに動くことなど出来るはずもなく、ナツノはただ迫り来る掌を見つめながら訪れるであろう衝撃を待った。


 ──ドンッ!


 鋭い痛みと鈍い音が響き渡り、勢いのまま押し飛ばされる。思わず目を閉じてしまったせいで、外部の情報がリセットされ、脳が揺れる不快な感覚と鈍い痛みが思考の大半を持っていく。


「痛っ!」


 ナツノは大地を転がった。受け身のつもりであったが、思ったより衝撃が逃げずに残留している。なんとか無理をして起き上がるが、もう相手の姿はそこにない。

 いつどこから攻撃を受けるかわからないという恐怖が汗となり、どっと身体中から沸き上がるのを感じる。見通しの良い場所であるにも関わらず、姿を見失ったことがナツノを更に混乱させた。


「幻炎輪」


 背後からの掛け声と共に、現れた複数の炎がそれぞれ輪を形作り、囲むようにナツノへと向かう。


「シリウス!」


 たまらずナツノはシリウスを手に呼び出してしまう。これ以上は耐えられなかった。

 ところが、当たる前に攻撃は消え、その代わりにそっと肩へ手が置かれる感触があり、続けて最後に耳元で囁かれていた。


「ほら、やっぱり。そうじゃないか」


 相手のほうを見ると、興味深げにこちらを眺めている。不思議と敵意のようなものは感じなかった。

 ナツノは動くことが出来ないまま、黙ってシリウスを握り締める。混乱した頭は、次なる手を彼に提示することが出来ずにいたのだ。


「魔法使い、じゃないか。……そろそろ来る頃だな」


 ところが、彼女の関心はナツノから離れたようだ。そう呟くと、あっさりとナツノから目を離し周囲へと注意を移している。釣られてナツノも身に迫る胸騒ぎを抑えるべく警戒を払った。そのほとんどが反射である。

 しばらくすると、魔法樹の付近に急激に魔力が集中し、次の瞬間にはもう、新たな人物の姿がそこあった。


 そう、“転移”して来たのだ。


 ◇


 転移を終えたエルマが目を開くと、対峙する二人の姿がすぐに飛び込んできた。当然ながら一人は相棒であり、もう一人に覚えはない。トラブルだろうか。


「メアリ、状況を説明して」


 無事に転移は出来たが、二人分の転移により彼女の魔力は大量に消耗している。正直動く元気はあまりなかった。というより、本来であれば早急に休むべきである。

 一応の臨戦体勢を取りながら、エルマはメアリードの言葉を待った。


「エル、こいつが魔法使いだ」


 先に転移をしていた相棒、メアリードはどういう経緯かわからないが、この惑星の魔法使いと戦闘を行っていたようである。

 その魔法使いは地に膝を突き、スタッフを握り締めながらこちらの様子を窺っているが、こちらに対して攻めてくる気配はない。真っ向勝負というわけでもなさそうだった。


「どうして戦闘を? 警戒された?」

「ああ、敏感に気配を察知したようですぐに駆けつけてきたぞ」

「それで?」

「魔法使いであることを隠しているようだから、どういうつもりなのか少し確めてみただけだ」


 メアリードはナツノを指し、エルマもまたナツノを見る。


「隠していた……? やっぱりこの惑星は魔法使いがいないのかもしれない」


 見渡すエルマの瞳には、ただ一面の荒野が広がっていた。


 ◇


 新たな魔法使いの存在に動揺しつつもなんとか現状を整理する為、ナツノは今混乱した頭を回転させている。


 ──シリウス、彼女らは僕らと同じように転移してきたようだ。

 ──そのようだな。恐らくエルと呼ばれている方が二人分の転移を行ったとみえる。さぞや疲弊している事であろう。……狙うなら、わかっておろうな?


「そうだエル、こいつ精霊を連れているよ。あのスタッフだ」


 二者のやりとりが聞こえているかのようなタイミングで、メアリードがエルマに合図を送る。


「精霊……? 珍しいね。なるほど、あなたの気持ちがわからなくもなくなってきたよ。少し遊んで行こうか」


 そう告げるとナツノにウインクを飛ばした。


「私はエルマ。あなたの能力を見せてもらう」

「待てエル。お前は消耗が激しいだろう。私がやる」


 エルマを制すようにメアリードが間に割って入り、二人はしばし目を合わせる。


「その顔は……駄目だね。じゃあ、お願いしよう」


 エルマはあっさりと身を引き、魔法樹の傍へ移動すると寛ぐように腰を下ろした。魔法樹から少しの魔力を得るのだろう。


「何故僕を狙うのかな? 僕を狙ってきたわけじゃないんだろう?」


 敵意はない、そう伝えるように手を上げながら、ナツノは二人に問い掛けた。このままでは戦闘は避けられなくなる。

 ナツノとしてはここでの戦いは本意ではなく、避けれるのなら避けておきたかった。


「そうだね。確かに君を狙っているわけじゃないよ。私一人なら、見逃してもよかった」


 エルマは薄笑いを浮かべながらナツノに答える。


「目的は何かな? 争う利点はないかもしれない」


 ナツノの問いに二人は顔を見合わせた。そして、笑う。


「悪いね。単純な興味だよ。君の魔法が知りたいだけさ。だって、君は魔法使いなんだから」


 エルマがそう言い放つと、メアリードがそれに呼応するかのように戦闘の構えを取る。


「“隠す”のなら、“暴きたい”と思うのが道理だろう?」


 ──だって、魔法使いなんだから。


 ◇


 シリウスを握り締める手には力が入り、唾を飲む音が妙に近い。胸の鼓動こそ平常運転を続けているが、普段よりも内側の音がよく耳に響いた。


 ──僕の魔法だって? 魔法を使う所がみたいのだろうか。なら……しかし、フリットやエステルに見られることは今は避けたい。


 ナツノは周囲を見渡し、無意識に二人の姿を探していた。幸いにも近くにはいないようである。


「周囲が気になるか? 困った男だな」


 メアリードはそう言いながら、呆れた様子で周囲を見渡す。一応は気を遣ってくれたようだ。というより、彼女自身も人目を避けたのかもしれない。


「大丈夫のようだ。ではいくぞ」


 ゆっくりとメアリードの手が動きだし、まるで何本もの手が生えているような錯覚を生み出し始める。人目もない以上、もう争いは避けられない。


「仕方ない、今度は僕もやらせてもらう」


 ナツノは覚悟を決めた。

 まずは駆け出しにシリウスを横一閃に振るうと、続けて一直線に突きにいく。シンプルだが、物理的に一撃を与えておくことに意味がある。というより……


 ──風の精は使わない。


 知らずのうちに意地になっていたらしい。


「おいおい、温存していては勝てないぞ」


 メアリードは決してシリウスには触れないようにしながら、注意深くすべての攻撃を避けてしまう。ナツノとは対照的に、まだまだ表情にも余裕が浮かんでいた。


「幻影阿修羅拳」

「──シリウスゥ!」


 その掛け声を起点にメアリードの拳が無数に存在するかのように見え始める。ナツノは思わず攻撃の手を緩め、防御をするように身構えた。

 固まったナツノに容赦のない拳の連打が襲いかかる──


 ……あれ?


 被弾を覚悟し、その後すぐに来るであろう痛みに備えるが、感触としては一発ほど食らった程度であり、段々と違和感を感じてくる。確実に、視覚と触覚、そして痛覚のズレが生じていた。


 ──あぁ、そうか。これは魔法だったんだ。


 確認するかのように目を合わせると、それを肯定するかのように満足そうな頷きが返ってきた。


 まるで、次はお前の番だ、とでもいうのだろうか。

 ナツノは再び唾を飲んだ。

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