八. 王子
久方ぶりの恵みにより、グィネブル陣営は活気を取り戻していた。雨が降るのは一体いつ以来のことだったのだろう。
昨晩の突然の雷雨からの嵐により、乾いた大地に今も一時的ではあるがまだ潤いが残されている。
しかし、それが良かったかといえば、一概には喜ぶことは出来ない。何故なら、それにより砦は傷つき、その修復にしても未だ思うように進んではいないからである。
「嵐まで来るのは予想外だったけど、うん、やっぱり心地いいな!」
それでも、バルビルナ砦に到着したトレイズは湿った空気に満足そうに頷いた。少し水分を含んだ土を踏む感触の滑らかさに、柄にもなく気持ちが高揚してしまっている。
砦の状況はともかく、グィネブルに住む者であれば、誰しもが雨を“恵み”と感じている。一時の潤いを与えてくれるからだ。
彼は一人頷くと、すぐに兵士達に通達を始める為に動き始めた。ぐっと踏み込むと、大地が応えてくれるような気分になる。
「みんな! 浮かれている気持ちはわかるよ。うん、でも斥候からの報告ではマクナード砦に部隊が集結しているらしいんだ」
先の戦いで負傷者が多くでたため、バルビルナ砦は人員不足に悩まされている。まだ経験の浅い新兵達の瞳には、早くも不安の色が浮かんでいた。
トレイズは全体を見渡すと小さく頷く。
「うん、皆、我々が少し人員不足だという現状はわかっているね? はっきり言ってしまえばピンチなんだ、うん」
トレイズから“ピンチ”という言葉が放たれると、場が一層静まりをみせる。その反応に、トレイズは現状の選択肢を書き換えては消していく。
──うん……これは少し荷が重いな、うん。
「それに頼りのシゲン様も今回ばかりは少し怪我をされている。ひとまずは後方に控えていてもらうつもりでいるよ、うん」
トレイズはすらすらと説明を続ける。やはり、浮き沈みの激しい兵には任せられそうにもないだろう。
「そこで、今回は傭兵を雇うつもりでいる。快く思わない者もいると思うけど、そうも言っていられない。わかるよね? だから、利用できるものは何でも利用しよう、うん!」
──嵐を引くくらいだ。運命の女神でも流れてくるんじゃないかな、うん。
彼は一人頷くと、早速準備に取り掛かることにした。もちろん、一歩一歩を楽しみながら。
◇
「くしゅんっ!」
テントの中ですっかり風邪を拗らせたエステルのくしゃみが反響する。
「まったくはお前は……馬鹿じゃねぇの?」
「何も言わないでぇ……」
すっかり元気をなくしたエステルを見兼ねたフリットがため息をついた。
「何があったか知らないが、何かやらかしたな?」
「何も聞かないでぇ……」
「ナツノは何でもないって言ってたが、どうみても何かあるだろ」
「……言わないほうがよかった」
消え入るようなか細い声にフリットは顔をしかめる。
──感情的になってたからな。
フリットが二人を見つけた時には、既にエステルは号泣しており、ナツノはいつも通りに振る舞っていた。
そして彼は、バルビルナに向かう旨の話とエステルを頼む、とだけ告げて姿を消したのだ。
フリットとしては、事情を聞きたいところではあったが今回は黙って引き受け、こうして先に拠点に戻っている。もちろん、落ち着いたらきっちりと聞くつもりでいる。
「──まぁ、気にするなよ。大丈夫だろ」
「どうしたらいいか教えてぇ……」
今にも泣き出しそうな、まるで何かにすがるようなその瞳からフリットは逃げるように目を背けた。
「じきに戻るだろ。本人に聞けばいい」
「無理ぃ……」
「じゃあ、お前は何をやったんだ?」
「言いたくない……」
「……どうしろっつーんだ」
地獄のループから逃れられず、たまらずフリットは天を仰いだ。
もしも、神がいるならば、果たしてこの状況をどう救ってくれるのだろうか。
◇
エステルをフリットに任せた後、ナツノはバルビルナを訪れていた。
あちこちで傭兵を募集している様子を見かけていたが、案の定というべきかバルビルナは傭兵達でごった返しているようだった。
「いつもこんな感じなのかな?」
ナツノは近くにいた大男に話しかけた。
その男は、やたらと色々な戦斧を身体中に備え付けている。武器収集でも好きなのだろうか。
「いや、今回は特別に人が多いようだ」
斧男はこちらに振り返ることはなかったが、それでも返事はくれた。
「そうなんだ、ありがとう。実は初めての戦場でね、勝手がわからないんだ」
すると、今度は斧男がこちらに向き直る。対面すると、改めて大きな人物であると驚いてしまう。
確かに、伊達や酔狂で大きな武器を持ち歩くわけがないといえばそうだろう。ともかく、“分厚い”という表現が適切かはわからないが、そう感じた。
「そうか、一人なのか?」
「うん。珍しいの?」
「いや、そういうわけではない。長く傭兵をやっていると見知った顔も増えてくる。そうなると認めた者同士で手を組むことはあり得るだろう。手柄も大事だが、それも生きてこそだ」
そこまで話すと男はじっとナツノを見つめた。
ムッツリとした印象はあるものの、意外と色々話してくれるようだ。
「見たところ、お前の格好は少し変わっているな。武器は……その背中にある大きな杖か?」
「変かな? 極力は怪我はさせたくないんだ」
ナツノが答えると、斧男は目をぱちくりとさせて驚いた。
「怪我はさせたくない? 面白い男だ!」
「そうかな? 誰でもそうだと思うけど」
「確かにそうだ。違いない。……そうだ、少し待っていてはくれないか?」
斧男はそう告げると、誰かを探すように人混みを掻き分けて進んでいき、次第に見えなくなっていった。
大きな人でも人混みには埋もれるらしい。
◇
「おーい、こっちだ」
その後、声があったのは、それから少し時間が経った後だった。
「すまないな。こいつがなかなか見つからなくてな」
指差すほうを釣られて見ると、今度は自身の身体ほどもある大きな盾を背負った、全身鎧に包まれた女性が目に留まる。
「ルルカス、この人?」
「ああ、そうだ。傭兵は初めてだそうだ。だが、なかなか面白そうな男だろう?」
斧男の名前はルルカスと言うらしい。
ルルカスに何か言われたようで、鎧女はじっとナツノを観察するように眺めている。
「……変な格好」
ポツリとそう漏らす。
「変な格好をしているが、恐らくそれは彼の自信の現れだろう」
「なるほど、一理……ある」
確かに自分は鎧も刃物も手にしていない。それが余程不自然に見えるのだろう。確かに鎧くらいはあってもいいかもしれない。
「僕はナツノという。自信はわからないけど、死ぬつもりはないよ」
「よく言った。俺はルルカスという」
「私、イルイ」
三人は自己紹介を終えると、周囲を見渡した。
「それでナツノよ、お前はこの戦場をどうみるか?」
唐突にルルカスに問われ、ナツノは周囲を見渡すと口を開いた。
「そうだね、昨晩の嵐によって地面がぬかるんでしまっている地形があるよね」
「ほう、あの沼のようになっているところか」
「あくまで僕の見解では、だけど」
ナツノは少し考えるように話を続ける。一応、現場の確認は済ませていたのだ。
「まず兵を砦の全体に隠れるように待機させる。相手は傭兵の人数なんてわからないだろうから、上手くいけば気付かれないと思う」
「ほう、戦力を分散させるのか? 真正面から蹂躙されかねないぞ」
ルルカスが首を捻る。イルイも似たような反応のようだ。
「正規部隊を中心とした中隊を結成し、囮として敵の真正面から迎撃させる。相手も噂くらいは聞いているだろうけど、まさか傭兵に後ろを任せているとは考えないと思う。頃合いで囮部隊が撤退を装いながら沼地に誘導し、全体で包囲網を張る。後は精鋭が指揮官を狙うことで撤退くらいは狙えるんじゃないかな。追ってくればだけど」
ナツノの説明を二人は興味深く聞いていた。
「うん! その話、面白いね」
突然、後ろから声を掛けられ、三人が同時に振り返る。そこにはグィネブル軍の指揮官、トレイズの姿があった。いつから聞いていたのだろうか。
「あんたは、確か軍の」
「シゲン様が怪我をされてね。少しだけここを任されているトレイズだ。……うん」
トレイズはナツノを眺めると、頷いた。
「君達三人は軍部に来てもらおう。少し話を聞かせてくれるかな? うん」
◇
三人はトレイズに連れられ軍部の本部まで来ていた。
「もちろん、バンデインからも援軍が向かっているが、開戦にはとても間に合わない。よって現状で迎え撃つしかない、うん」
本部には見覚えのある老将がおり、そして、後ろを向いているせいで顔が見えないが、もう一人いるようだった。
──そうか、今回はこの人が味方……なのか。
鬼の様な戦いぶりを思い出し、ナツノは思わず息を呑む。彼はナツノのことを知らぬはずであるのだが、なるべく顔を合わすのは避けたかった。それも無意識に近い。
「囮部隊を用いて沼地に誘導し、伏兵による包囲により敵将を狙い打つよ、うん。ちなみに敵将はイルヴァルトだという情報もある。おそらくはシゲン様を狙うつもりで腕っぷしのいいのに任せたんだろうけど、こちらには好都合かもしれないね、うん」
「確かに。奴ならば、深追いもしてこよう。その自信故に」
トレイズが頻りに地図に書き込みながら説明を始めている。
「そこで、君達には囮部隊に加わってもらいたい。もちろん、他にも人員は用意する予定だ。頼めるかな? うん」
「報酬は弾んでくれるんだろうな?」
「約束しよう、うん」
交渉が成立し、その準備にナツノ達が本部を後にしようとした時、それまで後ろを向いていた人物が振り返った。
「なぁ、枯れてないか? 樹は」
「樹?」
ルルカスとイルイが顔を見合わせる。そして、ナツノを見る。
「また会ったな。今度はお前の名前を教えてもらうとしようか」
そう言うと、その人物は歯を光らせてにやりと笑った。
◇
「やぁ、また会ったね。樹は枯れていないよ。育ってもいないけれど」
「あれには俺も期待しているんだ、枯らすなよ」
「大丈夫だよ。必ず育てる」
ナツノがそう告げると、嬉しそうに目を細めて立ち上がる。
「僕の名前はナツノと言う」
「そうか、ナツノ。共に戦おう」
「俺の名前はシグマ。シグマ・グィネブルだ」
目の前の青年は楽しそうに微笑んだ。
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