七. 激情

 マーキュリアス王国では“ある噂”が流れていた 。そもそも、誰が持ち帰ったかもわからぬような話に関心が集まるのだから、これは極めて珍しいことである。


「追撃をかけるのなら、今が宜しいのでは?」


 現在、マーキュリアス王国は今後の動向を決める会議の真っ只中である。花と水の都、リンドバルナにある王城の一室はどこか緊張感に包まれていた。

 先のバルビルナでの報告を受けての事であり、大まかな流れとしては、穏健派と強硬派が対立する形となりつつある。


 ちなみに、この会議には名家からも多数の者が出席をしている。しかし、実際のところ軍事には関心がない者がその大半を占め、発言をしているのはほんの一部しかいない。

 本来であれば争う必要はない。つまり、この国は豊かなのだ。


「おほんっ。既に聞き及びのことかと思いますが……先の戦いにてあの流剣シゲンが負傷をしたという可能性がある。そんな噂が流れているわけですな」


 右目に眼帯を着けた細目の男が話を切り出す。皆が気になっているにも拘わらず、誰もその発言をしないことを見かねたようだ。


「知っている。それに、あの砦も暴風によって甚大な被害があったという話もある。……それでいて、どういうことだ! 誰も確認した者がいないとは! 何をやっていたのだ! 何か確証を得た情報ないものか! これでは話にならん!」


 一人の男が声を荒げた。

 先の戦いの最中に起きたという暴風は撤退には都合が良かった反面、その混乱により状況を把握出来る者をも無くしてしまったのだ。ましてや傭兵がその多数を占めている。既に崩れていた経緯を考えれば確認する者がいないのも無理はなかった。


「そう言われましても困りますな。当初の目的であるバルビルナへの牽制は成されたと見ても宜しい。あそこは定期的に攻める必要がありますからな。──傭兵軍に殿を務めていた者がいたとの報告もありますが、何分当人が行方不明では。これでは確かめようもありませんな」


 その男──レヴァンスが苛立ちを露にする。


「ならばラウンデル、お前が確めてくるか?」

「それもよいですな。将軍殿の命とあればすぐにでも」


 眼帯の男──ラウンデルが飄々と答える。


 レヴァンスは面白くなさそうな顔でラウンデルを睨み付けた。舌打ちが小さく響く。

 会場がどよめき始めたとき、一人が静かに立ち上がった。


「……ラウンデル、その辺にしておきなさい。レヴァンスもよろしいですね?」


 諭すような、二人を諌める声が響き渡る。


「おや、これはオーディナル殿」

「ちっ、オーディナルか」


 その人物を見ると、二人は最後に一度だけ睨み合って顔を逸らす。


「噂ばかりを信じるのはとても危険ではありますが、一度バルビルナ砦の状態を見ておくのは悪くない提案かもしれません。彼が負傷しているのなら尚更のこと。英雄シゲンは我々にとって手強い相手だと認めざるを得ないのは皆さんも同意のはずです。もし……彼が崩れるようなことがあれば──」


 彼の発言に周囲が唾を飲む。伸ばされた腕から広げられた掌へ視線が集中する。

 いつしか皆がオーディナルを見つめている。


「なるほど、では流剣狙いで宜しいですな」

「噂だけでは危なすぎる。奴が化物ということを忘れるな」


 再び騒ぎ始める二人を手で制すと、オーディナルは宣言した。


「指揮はイルヴァルトに任せることにします。異論はないですね」


 広げられた掌が閉じていく様子に二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。


 一人は楽しむように。また、一人は不服そうに。


 ◇


 ナツノは魔法樹の前にいた。

 ここ数日で枯れることは無いものの、成長が感じられないことに違和感を覚える。単にすぐには大きくならないということなのか。


「シリウス、魔法樹が成長しないことってあるかな?」

「我の知る限りではあり得ない事態である」

「そうだよね。枯れた大地と関係あるかもしれない」


 シリウスに聞いてみたところ、特に詳しい話は聞けなかった。精霊なら知っているということでもないらしい。


「ナツノー! またそこにいたの?」


 自分を呼ぶ声に、ナツノは振り返った。


「うん、今日も成長していなかったよ」

「まだそんなに日が経ってないんでしょ? 仕方ないよ」


 知り合って間もないはずだが、なにやら自分を心配してくれているらしい彼女に少しの感謝をしながら頷いた。


「うん、気にしすぎたかな」

「絶対そうよーう」


 呼びにきたエステルに連れられテントの場所に戻ってくると、丁度大きな欠伸をしながら起きてくるフリットに出会した。


「悪いな。おかげでよく眠れたぜ」

「もう! いつまで寝てるのよ、お昼になっちゃうじゃない。あなたのおかげでナツノは樹の前でため息ばかりついていたわ」


 エステルにまくしたてられ、フリットは決まりの悪そうな顔でナツノに目配せをする。


 ──そういえば、何故彼女はこうも自分を気に掛けてくるのだろう?


「いや、ため息とフリットは関係ないから」


 ナツノはエステルを宥めると、改めて二人に向き直る。


「今日もユノに行こう」

「誰かさんの住みかも必要だしな。賛成だ」

「あなたが外で寝ればいいのよ」


 ここのところ生活は落ち着いていたが、真新しい発見はない。それでも、二人との話で少しずつこの世界のことも知ることが出来たのは有難い話である。


「好きにしたらいいと思うけど、一度バルビルナの様子も見ておこうと思ってね」


 その後、フリットの支度を待って三人はユノを目指すことにした。


 ◇


 荒野の途中でナツノが二人に声を掛ける。


「ところで、お金ってどこで稼げばいいのかな? そろそろ交換に使えそうなものが少なくなってきて困ってる」


 物々交換をするにしても今となればそれも難しい。魔法で何か作ろうにも、この世界では騙しているようで気が引けるのだ。


「んー、傭兵として戦場にでればいいんじゃねぇのか。この辺はいつでも募集してそうだが」


 フリットは歩きながら事もなげにいい放つ。


「ダメ! 傭兵なんて絶対認めない!」


 突如、エステルが両手を広げて立ち塞がる。


「傭兵?」


 フリットの返答にナツノは少し驚いて問いかけた。


「もしかしてだけど、フリットって傭兵としてあの戦場にいたの?」

「ああ。結局はあの化物と戦っただけだがよ。流石に肝が冷えたぜ。それに報酬だって貰い損ねている。……命こそはなんとか助かったがな」


 やれやれといわんばかりのフリットに、エステルが顔を曇らせた。


「お金のため……? 愛国心とか、そういう感情はあなたにはないの?」

「愛国心? まぁないこともないが、今は自分の生活のためだな」


 フリットは気にしていないようだが、エステルの顔色が変わっている。ナツノは何も言えなかった。


「じ、自分って! グィネブルは皆が国のために命を懸けてる! 国民が豊かな生活を送れるようにって! それをそんな理由で! 馬鹿みたい!」


 エステルが怒りを露にしてフリットを睨み付ける。


「じゃあ聞くが、そもそも戦争をしている理由はなんだ? 豊穣の大地が欲しいから? 水か? いや、侵略される前に潰してしまいたい? どっちもうんざりだ。それにグィネブルにも傭兵なんざ沢山いるさ。違うか?」


 フリットが吐き捨てる。

 目を逸らしていたことを見抜かれたからか、はたまたその剣幕に押されただけなのか、エステルの瞳が大きく揺れた。


「それは……そうだけど」

「それにどちらかを滅ぼすなんて馬鹿馬鹿しい話だと思うぜ。お前だって本気で思ってるわけじゃないんだろ?」

「そ、それは……確かにそうだけど……けど仕方ないじゃない! もう止められない!」

「止められないから行き着くとこまで行くっていうのか?」


 何度も悩んだのかもしれない。その結果フリットは傭兵となった。しかし、エステルはそれを受け入れられない。


「他にどうするって言うのよ!」


 フリットは黙ってナツノを見つめた。


「なあ」

「うん?」

「争いを止めるつもりなんだろ? だから俺達はお前に付いていこうと決めたんだ」


 その言葉に、エステルの瞳が再び揺れる。


「必ず止めるよ。そのために、僕はここにいる」


 ◇


 ユノに着くと自然と三人の足は離れていった。


「シリウス、傭兵の件はどう思う?」


 ナツノはシリウスに意見を求めてみる。こういう時に頼りになるとは考えもしなかった。


「汝が無茶をして魔法に頼ることは避けたいものだが」

「正直なところ、魔法を使わなければ勝てそうもない相手ばかりに見える。身体能力が少し高いのかもしれない」


 脳裏に浮かぶのは、バルビルナでフリットと対峙していた人物だった。並の達人ではない。


「万が一にもあの砦が落ちた場合は、国の均衡など脆くも崩れるだろうな」

「わかってる。砦を破壊してしまったのは失敗だったかな。でも、頼らざるを得なかった」


 遠くに見える砦は酷く頼りないものに見えていた。だとすれば、これを守ることを優先すべきなのかもしれない。


 ──今は傭兵としてバルビルナに残るほうが都合が良い。


 ナツノとシリウスはそう結論付けた。


 ◇


 辺りがすっかり暗くなった頃、エステルはナツノを探していた。

 彼は大体いつも同じ場所を好むようで、決まって同じ場所にいるように思う。そう、上層ならあのベンチのある…………いた。


「ナツノ、ここにいたのね」

「やぁ、エステル。少し風に当たっていたんだ」


 彼は……いつも“何か”を誤魔化したような返事をする。


「ねぇ、あなたは前にあたしの声が“魔法”のようだって言ったわね?」

「うん、そうだね。あの時は驚いたよ」


 彼は……いつも“何か”を隠すような返事をする。


「まるであなたは“魔法”を知っているみたい」

「そうだね。“魔法”はきっと素敵なものだと思うよ」


 彼は……いつも“何か”を避けるような返事をする。


「あたし、実は見ていたの。あなたが崖から叫ぶところを」


 “彼”が驚いている。


「ねぇ、どうしてフリットを助けたの?」


 “あたし”は止まらない。


「ねぇ、ナツノ。あたし、知りたいの。あなたのことを」

「ねぇ、ナツノ。あたし、どうしたらいいの……?」


 

 いつしか夜空が白銀色に染まり始め、空気を切り裂くような雷鳴が轟くと激しい雨が降り注いだ。

 しばらくの間、二人はまるで時間は止まってしまったかのように、動くことが出来なかった。

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