三. 朝顔
ここには何もない。
水もなければ、草もない。あるものは……いや、残ったものは、ただすべてを呑み込むように荒廃した大地のみだ。
彼は天を睨み付ける。
この世界を作った神は、何故半分にしてしまったのか。何か事情があったのだろうか。よもや気まぐれなどとは言わぬだろうか。
……それはいい。ならば、持たなくして生まれてしまった以上、自分は……いや、この場所はどうすればいいのだろうか。
立ち去った彼の足元には、枯れてしまった一輪の花が残されていた。頼りなく傾くそれは、何か言いたげにも見える。
忘れられない。
夢にみるのは、決まっていつもかつての蒼色だ。
──必ず手に入れる。
彼は再び挑むように天を睨む。
荒野を綺麗に照らしていたのは、月か星か、それとも涙か。
◇
ナツノは水晶に映る世界を眺めていた。
それは半分に分かれているように見えるし、半分はそもそもそこにはないようにも見える。まるで途中で投げ出された塗り絵のようだ。
見ればみるほど歪であり、ついには割れているようにも見えた。
師曰く、この世界はナツノとトウカの魔力によってこのような成長を遂げたのだという。
まさか、とは思うが、否定するのも違う気がするし、何より思い当たる節も……やはりある。軽視していたというよりも、そもそもから失念していたのである。
ともかく、結論から言えば、半分の惑星、が出来てしまった。
振り返れば、この半分は自分の空虚さ、つまりこの世界への無関心が悪い形で現れてしまったということであるとも考えられる。
それはそうだ、ほとんどハンザーのことばかりを考えていたのだから。
それでも、と疑問にも思う。それほどまでに荒れるものだろうか? 少なくとも、虚無ではない。
そう思うこと事態がもう、責任逃れなのだろうか。
その一方で、もう半分は豊かな自然に満ちている。一目でわかるほど蒼く、鮮やかな色をしているからだ。
トウカがちゃんと祈っていたのだと思うと、自責の念が堰を切ったように押し寄せてくるのを感じてしまう。
「ナツノ、状況は理解できたかな?」
反射的に自分の名に反応し、現実に引き戻されたナツノは、力なく頷くことしかできなかった。
もちろん、理解というよりは、そういうことなのではないかという推測になる。
「……はい」
「クレハ……少し私が言い過ぎたのよ」
「どういうことかな? 何かあったのかい?」
話が始まると、直ぐにトウカが間に入ってきた。彼女にしては珍しい反応である。
ナツノは彼女の意図が読めずに、否定するでもなく彼女を見た。当の彼女はそれを気にすることもなく、クレハのほうをじっと見ている。
「彼にハンザーの話をしたわ」
「ハンザー? わからなくは……ないけれど、本当にそれだけかい?」
クレハは呆れた顔で交互に二人の顔を覗き込む。
思わずナツノが目を逸らすと、今度は何故かばつが悪そうにしているトウカと目が合った。
「まぁ、経緯はともかく、起こってしまったものは仕方がない。二人にはあちらの世界に行って解決してもらうよ。いいかい?」
「行って? 解決?」
その突拍子もない言葉に、ナツノは思わず驚いて聞き返してしまう。直ぐに再びトウカを見るが、意外にも彼女からは驚いた素振りは見られなかった。
「もちろんさ、世界の環境が崩れてしまったのは仕方がない。でも、中に住んでいるものはどうだろうね」
仕方がない、では済まないよね、とそのまま続ける。
これは責められているのかもしれない。いや、怒っている? しかし、こんな回りくどい言い方をするのは何故か?
考えれば考えるほどに、言葉の本質がわからなくなる。無責任な言い方になるが、クレハほどの魔法使いであれば、修正することもできるのではないだろうか。
「人が住んでいるということですか?」
トウカの声で我に返る。そうだ、まず彼女はこの状況をどう思っているのだろうか。
気にはなったが、今度ばかりはどうしても顔を見ることは憚られてしまう。
「そうさ。私たちと同じ魔法使いかもしれないし、魔法使いではないかもしれない。人かもしれないし、人でないかもしれない。でも、何かしらは住んでいるよ」
「わかる……いえ、知っているのですね?」
トウカの問いにはナツノも同意する。そうでもなければ住んでいるという表現は普通しないだろう。そもそも、誰もいないことだって十分にあり得るのではないか。
内心ではそう思う。
「そりゃ、世界の種とはそういう魔法だからね。わからないが、そういうことだよ」
言い切るようにはっきりとした口調は、具体性はないものの、まるでその全貌を知っているようにも聞こえてならない。
そして、おそらく本当にいるのだろう。
「でしたら、すぐに行かなければ」
「少し待ちなさい。……クレハ、危険かもしれないのよね?」
ここでようやく、何か考えるように黙っていたトウカが再び口を開き、制止する。
「危険かもしれないし、そもそも、争いも何もないかもしれない。でも、誰かが確かめにはいかなければならないからね。言いたいのはそれだけさ」
曖昧にはぐらかすと、クレハは二人を真っ直ぐ見つめる。
口では相変わらず笑っているが、目はそうでない。
「行きます! 僕がなんとかしなくては」
「だから待ちなさいと! 一度は冷静になって考えてからよ」
逸るナツノを制止しつつ、トウカは一度深呼吸をする。そして、再び口を開く。
「クレハ、世界の種で大事なのは、大地でなくて人、いえ、生物……ということなのかしら?」
「うーん、どちらかと言えばそうだね。大事なのは住んでいるものだろうさ」
先ほどからトウカは何か考えているかのような素振りがある。頭の中でクレハの言葉を入念に噛み砕いているかのようだ。
対し、ナツノにはまだ現実味がない。
「クレハ、やっぱりあなたは初めから……」
「トウカ、私は魔法使いだ。預言者ではないよ」
何か言いたげなトウカを遮るように、クレハは人差し指を立てるとそれを口に当てる。そして、彼女は水晶を軽く叩いた。
「……なるほど、今直ぐにということはないけれど、早いほうがいいかもしれない。ということね」
トウカの瞳には何が映っているのだろう。ナツノには終始わからなかった。
◇
「季節は八月、九月というところか」
クレハは水晶を見つめながら答えた。深刻な雰囲気は既に無く、どこか楽しそうにさえ見えてくる。案外、本当にそうなのかもしれない。
責められればまだしも、こんな調子ではどうにもどんな顔をすべきなのか。ナツノは戸惑う。
一緒に笑うのはきっと違うのだろう。
「ありがとうございます」
ナツノは荷物を確認しながら返事をした。自分には知らねばならぬことがまだ沢山あるようだ。
「もしかしたら、常夏の国であるということもあるかもしれないね。そうだったら君にぴったりになるね!」
クレハは少し嬉しそうにナツノを見る。まるで旅行に出掛けるのを見送っているかのようである。
端から見れば、これから重大な任務に就くとは到底思わないだろう。
「そういうことなら私は合っていないようね……やめようかしら」
後ろからやや不機嫌な声がして、次いでトウカが現れる。
「トウカ、準備はできた?」
「ナツノ、少なくともあなたよりは問題がないように思うけれど?」
トウカは水晶を眺めたまま呟いた。彼女は彼女で何か思うところがあるのだろう。
薄々感じてはいるものの、わかっていないのは、案外自分だけなのかもしれない。
「クレハ、到着地点は決めることはできるのかしら?」
「うーん、それは難しいな。どうしても適当になるだろうね」
「ということは、トウカとは別行動になっちゃうのかな?」
「そうなるね、できる限りは同じところに飛ばしてやりたいが……私も専門家というわけじゃない。二人は無理なんだ」
「それよりも、例の半分に飛ぶとなると……少し情報が欲しいわね」
三人して水晶を前に黙り込む。
不安がまだ拭いきれておらず、少し場の空気が重みを増したように感じられた。
「それはそうとして、二人とも、大地についたら魔法樹を召喚することを忘れないようにするんだよ」
そんな沈黙を破ったのはクレハだった。彼女は続けて口を開き、説明を続けていく。
「魔法樹が育ちさえすれば、ある程度は私がなんとかしよう。それからナツノ、君は私の使い魔をつれていくといい。まだ少し頼りないようだから、ささやかなはなむけだと思っておくれ」
そう言い終わると同時に、今度は何かの呪文を唱えていた。
「シリウス、ナツノを頼んだよ」
ナツノの目の前で静かに頷いた精霊は、シリウスという名前のようだ。
「シリウス、よろしく」
ナツノはその狼の精霊に挨拶をする。形を持つ精霊を見るのは初めてのことで、少し胸が高鳴った。
「長い旅になる。いつか君の魔法の手助けになるだろう」
そう言うと、クレハはにやりと笑った。
「これから行くわけだけど、名前がないと呼びにくいね」
ナツノの呟きにクレハが頷く。
「そうだね、ならば名付けようか。この世界の名前は……ヘブンリー・ブルーだ」
水晶を覗き込んだクレハの瞳の奥では、妖艶に輝く半分の蒼色が静かに揺らでいた。
この半分の蒼星は、怒っているのだろうか。それとも……やはり、泣いているのだろうか。
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