二. 世界の種
パンドラン大森林。
その膨大なる大森林の壮観はきわめて神々しいものである。
常に淡い光を放っているようにも見えるし、薄い虹のヴェールを纏っているようにも見える。人によってはまた違ったように見えるのだろう。
ともかく、この大森林が醸し出す幻想的な雰囲気が、見るものを魅了していたということに関しては疑いようがない事実である。
また、それは大人に留まらず、多くの子供達をもそうさせていた。
というのも、この不思議な森林を進んでいけばいつかきっと違う世界に辿り着ける。そんな噂が流れるからだ。
誰しもが一度はこの場所で、胸踊るような大冒険を経験する。それがいつからか子供たちの習わしになっていたのかもしれない。
一説によるところ、もとはとある魔法使いがただ一人の妖精のために創造した森林であるのだという。
しかし、そんな神秘の森林が、今や儚くも失われようとしている。それも自分の眼前で、だ。
それは暴走しているのだろうか。侵略者は時折大地を揺るがすような咆哮を混ぜながら所構わず暴れ回り、破壊の限りを尽くしている。
「これが……パンドランなのか……」
荒れ果てた大森林に到着するや、その無惨な様子に思わず男は唇を噛み締めた。
そのまま一度は立ち止まったものの、しばし気配を辿るように視線をさまよわせるとすぐに侵入者を追い掛ける。
──消し去ってやる……!
ほどなくしてその姿を捉えると息を潜めてその全身を確かめた。そして、男は息を呑む。
現れたその姿は、なんと一つの胴体に多数の頭を持ち、その大きさは一目で捉えきれず、例えるならばまるで山そのものが動いているかのように巨大な幻竜であったのだ。
男は汗ばむ手で手持ちのスタッフを握り直すと、静かに呪文を呟いた。
その瞬間、男は光に包まれる。これはきっと侵略者への裁きの光となるだろう。
「おおおおおおお!」
雄叫びは幻想の大森林を駆け抜けていき、星が舞う灼熱の夜空にまで響き渡る。
そして、次の瞬間、激しい爆発の音が周囲のすべての音を遮り──そして、炎上した。
◇
ナツノはハンザー公園のベンチで寝転がり、眼前に広がる夜空を見上げていた。
星々は点滅をしているものや、少しずつ移動をしているものがあるようで、いつまでも見ている者を退屈にさせないように点在している。
──これも魔法なんだろうか。
ナツノは漠然と思考を巡らせた。
もし本当に魔法であれば、とんだ重労働なことだ。少なくとも自分には到底無理だろう。……否、一瞬の流れ星くらいは、案外なんとかなるのかもしれない。
──実は、二人にお願いがあるんだ。
ナツノはぼんやりと、師から頼まれた願いを思い浮かべる。どこかまだ現実味がなく、絵空事に近しい。
引き受けたものの、実感は程遠いものだった。
どうやら自分たちは、世界の種、という魔法によって作られた惑星に、ただ魔力を送りこむ、という新たな魔法世界の形成のために選ばれたということらしい。
説明によると、世界の種の成長には与えた魔力が大きな影響を与えるとのことであり、なるべく穏やかな魔力を送り続けなければいけないということ。
そんな簡素な注意のみで、他には何もないらしい。
何もない、というほうが、かえって気持ちの準備ができず、どこか宙ぶらりんな気持ちにさせられるようだ。
──詳しいことは私からは教えてあげられないけれど、私たち魔法使いが、今後生きていく上でも、重要になってくることかもしれないということだよ。
事情はわからない。しかし、それが大魔法であるということくらいは察しがつく。
ナツノは空に手を伸ばした。
急にまた随分とスケールの大きい話が舞い込んできたものだ。
果たして、自分にそれが務まるのか。全うできるのか。
──あの星にも誰かの魔力があるのだろうか。
つい、そう思わずにはいられなかった。
すっかりと流れてしまった星を目を追いながら、ナツノは再び回想に耽っていく。
◇
クレハはよく笑う。ふと、考えたときに思いつく顔がそうだ。
何が楽しいのか、内容と表情が合っていないと思うことさえあるほどによく笑っている。
「二人とも、共同作業は苦手だろう? きっといい勉強になるよ」
「…………」
まるで関心のなさそうなトウカを見て、自分が頑張ろうとナツノは密かな決心をする。先日の件といい、彼女はまるで反抗期の子供のようだ。
そんなことを考えていると、終始不機嫌そうな表情で無言を貫いていたトウカが、唐突に口を開いた。
「一つ聞きたいことがあるのですが」
「おお、なんだい?」
間髪を入れずに、クレハがトウカに向き直る。その表情はどこか嬉しそうだ。
嫌っている……わけではないのだろうが、彼女から師へと話し掛けるのはナツノの知る限りでは珍しい。
「この世界の種、とはヒシガル様の魔法でしょうか?」
「ほう……」
その質問にクレハは目を細める。
その瞳が怪しげに輝くのを感じ、トウカもまた目を細めていた。
「やれやれ、察しがいいのも困ったものだな」
クレハは興味深そうにトウカに呟く。 口は笑っているが、目のほうは決してそうではない。
「やはりそうなのですね」
トウカはクレハを一瞥して下を向いた。
「察しの通り、これは我が師ヒシガルの魔法だよ。ただし、訳あってこれ以上は教えることは出来ないんだ」
クレハは、ごめんよー、と両手を合わせる。
「他にないなら質問はここまでにしようか。もっとも答えられる範囲も決して広いとは言い難いものだ」
クレハはそっと二人の様子を窺った。
不満そうな様子を隠そうともしないトウカと、早くも何かを決意したナツノを確認する。
──きっと彼らなら大丈夫だろう。
クレハは静かに微笑んだ。
◇
ナツノとトウカは、先ほどクレハから預けられた水晶のようなものを覗きこんでいた。
そこには小さく、何かぼんやりとしたものが映っていたが、今の時点では到底これが惑星であるとはわからない。
世界の種と呼ばれるもの自体はすでに異空間にあるらしく、実際のところ水晶を見ながら定期的に魔力を供給するだけでいいようだ。
これではまるで実感がない。
自由に使っていいよ、と案内された部屋は、簡素な机が一つあるだけの小さな場所であり、後は何に使うかわからないような小物が散らばっていた。これもひょっとするとクレハが用意したものかもしれない。
水晶はひとまず机に置いておくとして、ナツノ達は床に座り込んで話し合うことにする。
「とりあえず、何か出せる?」
待っていても埒が明かないので、ナツノからトウカに声を掛けてみる。
「創造系の魔法は使えないの」
意外にもまともな答えが返ってきたことに驚いた。そして、今度はトウカが物言いたげにナツノを見る。
「僕も無理だ」
二人して頷き合う。
良かった。これならまだなんとかなるかもしれない。
話し合いも出来ないようでは、本当に先が思いやられるからだ。
「創造はできないけど、変形させることは出来るかもしれない。ともかく一度やってみよう」
そう言うと、ナツノは近くに転がっていた、何か硬そうな塊を手に取った。
「椅子……はできるかしら?」
「やってみるよ。そもそも変形だって、出来るかわからないけどね」
ナツノは、塊を体の正面に置くと、目を瞑り、魔力を変形へと集中させる。
体内の魔力を力へと変換させ、その力で対象物質を引っ張っていくようなイメージでいいのだろうか。
しばらくナツノが粘っていると、やがて、ぐぐぐっと形が変わっているような感覚を覚え始める。
しばらくそうして、恐る恐る目を開けてみると……。
「…………」
そこには、人が腰を降ろせなくもなさそうな、ボコボコしてゴツゴツしたものが置かれていた。
それでも、座れればこれでもいいだろう。
間に合わせの椅子を二つ形成させると、ようやく二人は水晶へと向き直ることにした。
「長い間生きてきたけど、変形に魔力を使ったのは初めてだったよ」
早速、出来上がった椅子に腰を下ろしてみると、意外にも少しばかりの達成感が湧き上がってくる。むしろ、見た目に反して悪いものでもない気さえしてくるのだから不思議なものだ。
自分が作った、という愛着だろうか。
「噂は聞いているわ。変身魔法ばかり修行している変わり者がいるってね」
トウカのほうも、労うでもなく、かといって文句があるわけでもなさそうに、ただ淡々と椅子に腰を下ろしている。出来栄えについては全く関心がないようだった。要は座れさえすれば何でもよかったのかもしれない。
「憧れがあるんだ。君は知ってる? ハンザー・リコルトっていうんだけど」
「詳しくはないわ。伝承なら少し、ね」
相変わらず口調は淡々としているが、慣れてきたのかさほど気になることもなくなっていた。
「そうだよね」
そうなのだ。それが普通なのだ。
ナツノは少し声のトーンを落とす。
「でもね、私はハンザーが侵略者だったのではないかとも思っているわ」
「え? どういうことかな?」
ナツノが顔を上げると、トウカはつまらなさそうに呟いた。
「ハンザーの得意生物は……」
一度溜めると、一度ナツノを一瞥する。それから水晶へと視線を移し言葉を続けた。
「数多の頭を持つという、獰猛な幻獣だからよ」
そして、小声で付け足した。
──あれは龍とはいわないわ。
◇
二人は水晶に魔力を送りこんでいた。
完成まで何年かかるかわからないが、上質な魔力コントロールを覚える意味では丁度いい。
──ハンザーが侵略したっていうのか。どうして。
ナツノは、ハンザーに対する疑問でモヤモヤしながら魔力を送り込んでいた。
──少し言い過ぎたかしら。
トウカは、ナツノを心配しながら魔力を送り込んでいた。
沈黙の時が流れていくが、ナツノにはそんなことは気にならなかった。
どうしてトウカは、ハンザーのことを知っているんだろう。そもそも、ハンザーに対する情報は、ほとんど残っていないはずである。
時間はあるんだ、もう一度変身魔法とハンザーについて考えてみよう。
結局、二人ともほとんど話をしないまま、ただ黙々と魔力を送り続けるのであった。
◇
各々悩みや心配を抱えながらの作業は、一年が経ち、また一年とあっという間に数十年と過ぎていった。
不思議なことに、水晶と向き合っていると一日が一瞬で終わってしまう為、本人達にはさして長い時間を過ごしているという自覚はなかった。
ある日、クレハが部屋に訪れた。
「やれやれ、大変なことになっているのに気付いているかい?」
「え?」
「どういう……あ!」
水晶に映っているものを見て、二人は同時に息を呑む。
「二人とも、穏やかな……穏やかな魔力ということを忘れていたね」
やれやれ、と額を押さえるクレハは、それでも静かに笑っていた。
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