小さな魔法の惑星で

山岡流手

一. ナツノ

 ナツノ──。


 いつしか、師は僕のことをそう呼んだ。

 それは季節の移ろいが好きだという、何かと風流を好む彼女らしい呼び方であると僕は思う。


 自分にはちゃんと名前がある、と伝えてみたこともあるにはあるが、まるで人の話など聞こえてもいないかのように、彼女はただ可笑しそうな表情を浮かべていた。

 そう、そんな時に決まって彼女は静かに笑みを浮かべるのだ。それだけなのだ。


 それが返事であるとは思うものの、いつだってそうなのだから、困ってしまう。そして、直ぐにこう呼ぶのだ。


 ──ナツノ、と。


 それにしても慣れとは不思議なもので、いつしか僕は自分がナツノであると十分に自覚できるようになっていた。少なくとも今ではもう違和感はない。

 知らず知らずのうちに自分でも気に入るようになっていたということだろうか。それとも単に自分がナツノへとなっていったのだろうか。


 愛称など今まで無縁な人生を送っていたが、どうやら思いの外悪くないものだったようだ。ある意味では、全てのしがらみからも解き放たれるかのような。

 そういった具合の都合の良さもないことはない。ともかく、気に入っていたのだろう。


 これは後から知ったことだが、自分の他にも弟子はいるようで、一人はトウカと呼ばれており、もう一人はハルトと呼ばれていた。

 おそらくは自分と同じく本当の名前は別にあるのだろう。師がそう呼んでいるだけである。


 何故名前を呼ばないのか気にはなったが、聞いたところできっと答えはこないのだ。師はそういう人だ。小さく笑って済ませるのだろう。


 そうして、僕はナツノになった。


 ◇


 ナツノはいつものようにお気に入りの公園のベンチに腰を掛け、静かに空を見上げていた。

 今日も明るい雲が流れている。この調子では、きっと雨も降らぬだろう。


 このハンザー公園は、遊びに訪れるにしては少々質素な場所である。記念碑こそあるものの、それだけだ。

 昔はもう少し華やかであったのかもしれないが、記憶の薄れとでもいうのだろうか。時代が変わり、今は寂れている。


 唯一の美点としては、夕焼けの空色が刻一刻と変化している様子を一望できるベンチがあることだろうか。

 そこから見る壮観な景色は、何度見ても息を呑むほど綺麗であり、思わず時間を忘れて見入ってしまう。それでいて、どこかでふとセンチメンタルを感じずにはいられなくなるのだから、人々が忘れるにはまだ少し早いのではないだろうか。


 この場所をナツノはとても気に入っている。


 ハンザー公園とは、その名の通りで、かつてこの地で活躍していたといわれている伝説の魔法使い、ハンザー・リコルトが作ったとされる公園である。

 伝承の一節によると、彼は自身の姿を様々な動物達に変えることができ、街を襲撃する凶悪な龍との死闘を繰り広げたとされている。

 ただの言い伝えだ、伝承だと、信じる者は少なかったが、ナツノはこの物語が大好きだった。


 そういったことからナツノは変身魔法というものに強い憧れを抱くようになり、師の元へと弟子入りしたのもそういうわけである。


 ただ、現在この公園にはあまり人が来るわけではないようだ。というのも、ナツノが考え事をする時には足しげく通っているのだが、人に出くわすようなことは特になかった。


 ◇


 夜になると静かに月がのぼり、星の海がきらめき、そして朝になれば太陽がひょっこりと顔をだす。

 ナツノにとってそれは当たり前のことであるが、師の話によれば、なにやら偉い魔法使いがそれらを魔法で管理をしているらしい。

 事実がどうかは判断が出来なかったが、師が言うのだからたぶんそうなんだろうなと漠然と信じていた。


 ──この世界は魔法が存在する。


 そんな当たり前のことを時々思い出させられる。

 そう思うのは、自分が世界に馴染んでいないからではないだろうか。

 師のもとで修行は続けているのだが、特に普段は使うこともなければ必要なこともない。自分の家に代々伝わっているというものがあるものの、それも特に魔法という感じでもなかった。


 ナツノの師はクレハという。

 世間では、レナトゥス十賢人の一人と呼ばれている。

 大昔の大きな戦乱があった時代から生きているようで、当時に彼女も名を残すような活躍をしたのだという話は微かに聞いたことがある。本人から聞いたことは一度もない。


 彼女はいつも、できないことはなにもないよ、と口にしているが、とりわけなにかしているところも見たことがない。

 しかし、たぶんそうなんだろうなとナツノには感じられる。上手く説明出来ないが、何か不思議な説得力があるのだろう。その辺りはできないことが多々ある自分には皆目わからない。


 気がつけばいつの間にかウトウトしていたようで、次第に意識がもどって来る。

 思い出したように時間を見ると、約束をしていた時間が迫っているようだった。


「さて、そろそろ行こうか」


 ナツノは立ち上がり、見慣れた光景をもう一度だけ見渡すと目的地へと歩き始めることにした。


 ◇


 師から呼び出された場所に来てみたものの、どうやら指定された時間よりも少しばかり早く着いてしまった。

 この先は師の研究所である。何度か来たことくらいはあったのだが、それでも数える程しかない。思ったより早く着いたのはそういう理由である。


 一旦足を止め、すぐに研究室に入るか迷うが、どの道少しの時間なので待つことにする。とはいえ、他に用事があるわけでもないので、近場を一周、二周とウロウロするくらいしか思い付かず。

 結局、四周ほど回っている頃にようやく約束の時間となった。


 満を持して颯爽と部屋に入ると、そこには珍しい姿があった。トウカである。どうやら彼女も呼び出されていたようだ。

 目が合った……というべきかは悩ましいが、何故か呆れたようにこちらを一瞥しただけだった。


「おお、今日も時間ピッタリのようだね」


 いつものようにクレハが眼を丸くしながら迎えてくれ、少し緊張していた空気が緩む。


「今日も……? さっきその辺でウロウロと時間調整をしている姿を見掛けましたが」


 ところが、怪訝そうなトウカの口から悪魔の囁きが放たれる。ナツノとしては、一瞬にして秘密を暴露された形で面白くない。


「……ははーん、それでいつもピッタリなわけだ」


 クレハはまるで玩具を見つけた子供のように爛々とした眼でナツノを追い掛ける。早くもつつきたくて仕方がないのだろう。


 ナツノは少し考えてから、一旦は目を逸らすことにした。どちらにも合わせない。


「実は、少し道に迷っていたんです」


 ナツノは努めて真面目な顔をし、一応誤魔化しを試みる。些細なことだが、素直になるのはやはり面白くないからだ。


「アドバイスをしてあげる。今度からは五分前に、調整、してはいかがかしら? そうすれば人を待たせることはなくなると思うわ」


 嫌味も込めてか、わざわざハッキリと聞こえるように言葉を区切って伝えてくる。


 ──待ったといっても、たかだか数分だろうに。


 ナツノは内心で苦笑いする。


「ありがとう。でも僕は丁度がいいと思ってるからさ」


 トウカには一切目を合わせないようにしながら、にこやかに返事を済ませておく。


「……ほら、調整してる」


 その様子に少し、不穏な何かを感じたようだ。


「偶然だよ」

「……バカ」


 微かに罵声のようなものが聞こえた気がしたが、今度は聞こえない振りでやり過ごしておく。もう相手にしないほうがいいだろう。


 軽く深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた後、ナツノは改めて質問をする。


「それで、今回は一体どうしたのですか? トウカと何か関係が?」


 露骨に名前を出されたトウカは少し複雑な顔をしていた。


「それは私も聞きたいです。まさか、なにかナツノに関係があるのですか?」


 今度はナツノが渋い顔になる。


「そうだね、二人とも関係があるよ」


 最後には、思わず二人で顔を見合わせてしまう。


「うん! いいね。息はぴったりのようだ」


 クレハは満足そうに頷いた。


「君達二人はあまり周囲の人との関係が良好でないと聞いている」


 クレハは二人を交互にみやっては少し意地悪そうに微笑んだ。


「確かに、ここ数十年は修行ばかりしていますね」

「私は別にそんなことは……」

「自分では分かりにくいこともあるよね」

「……」


 クレハは認めようとしないトウカを黙らせると手をぱんっと叩いて話を切り出した。


「そこでだ」


 クレハはにこりと微笑んだ。


「実は、二人にお願いがあるんだ」


 不思議に思いクレハに目を合わせると、もう一度だけにっこりと微笑みが返ってきた。

 いつもそうだ。これが返事ということなのだ。

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