第7話ジャックの隣に立つ

地面をぬらぬらと這い、一匹の蛇が詩音めがけて飛翔する。

どうやら喉笛に噛みつこうとしている。

大きく口を開け、牙を突き刺そうとしていた。

手刀を持って叩きつけようとした詩音の脳裏にあるイメージが投影された。


学校の机に彫刻刀で刻まれたであろう罵詈雑言の数々。

まともに読むのも憚れる汚い言葉たち。

机のはしに置かれた花瓶と白い花。

彼を見つめる嘲笑といくつもの瞳たち。

その目の光には、彼を傷つけることによって得られる優越感と快感の色であった。

少年は教室を飛び出し、屋上にかけ上がった。

金網のフェンスをのぼり、飛び降りる。


頭を左右に大きくふり、無理矢理にイメージを追い払い、気がつくと蛇は詩音の喉に噛みついていた。

力まかせに引きちぎり、地面に叩きつける。

ほんの少しではあるが、肉をもっていかれた。

だらりとした血が流れる。

乱暴に手の甲で拭う。

黒コートの袖口が赤く汚れる。

コートの袖が傷口にふれることによって流血がとまった。

コートに織り込まれたミスリルの効果の一つである。


地面をぴくぴくと痙攣していた蛇はぐぇっという声をあげ、動かなくなった。

その声は人間の、少年のものだった。

瞬時に詩音は理解した。

あの蛇はイメージにでてきた少年に間違いない。


ちからいっぱい拳を握りしめ、

「この卑怯者め‼️」

叫ぶように言った。


蛇の魔術師はただただ楽しげに笑っている。

「どうだ、面白い余興だろう。お前は自身を守るために不幸な人を殺し続けるのだ」

「ねえ、ねえ、今どんな気持ち?これで君は僕たちと同じ人殺しだよ」

二種類の声が詩音に向けられる。


「だとして、どうだと言うのだ。剣を持ち、戦場に立つ決意をした以上、すでに私は心を覚悟している」

再び戦闘態勢をとる。とはいえ、彼女の心がまったく痛まない訳ではない。

ためらう感情を無理矢理に振り払い、彼女は戦闘に専念する。


数十匹にもおよぶ蛇たちが詩音に襲いかかる。おそらく、そのすべてが元人間なのだろう。

非情に徹し、拳と手刀で襲いくる蛇たちを叩きつけ、切り裂くが、ほんの一瞬詩音は躊躇した。

一匹の蛇が胸元に噛みつき、シャツを切り裂き、彼女の形のよい胸があらわになり、うっすらと血が浮かぶ。

シャツにぶら下がる蛇を布ごと引きちぎり、アスファルトの地面にぶつける。

今度は老女の声で蛇は絶命した。


いったいこれはなんの悪夢だ。


戦闘という緊張状態にあるにも関わらず、詩音は静とのたわいもない会話を思い出した。

静は詩音の膝枕の上でまじないの言葉をいった。

いつもは厳しい顔をしているのに、二人だけのときは、猫のように甘えてくる。

怖い夢を見たらこう言うんだよ。

少女のように無邪気に彼女は言った。


夢食みさん。

夢食みさん。

夢食みさん。

お願いです。怖い夢を食べてください。


「やあ、呼んだかい」

酒焼けした女の声がした。

詩音のすぐ横、右隣から聞こえる。

まったく気配はなかった。彼女は突如、突然、出現した。

黒いカンカン帽を豊かな黒髪の上にちょこんとのせ、糸のような目に小さな鼻。赤い唇には不敵な笑み。

手には白カブのランタン。

背がかなり高い。詩音より頭二つ高いので、180センチメートルはあるだろう。

黒コートに同色のタイトスカート。シャツと皮膚だけがやたらに白い。

かなりグラマラスな体型をしている。シャツの胸元がはちきれんばかりで、ボタンが苦しそうだ。

深い胸の谷間からピューターを取り出し、中のアルコールをぐびりと飲み、酒臭い息を大きく吐き出した。


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