第68話 春真と伶愛の初デート その11

 

 少し肌寒い暗い夜道。夜空には星と月が輝いている。春真と伶愛は手を繋いで静かな住宅街を歩いていく。二人の歩みは遅い。家に帰りたくないようだ。


「楽しかったな」


 春真が呟く。現実世界では二人の初めてのデート。映画を観たり、洋服を選んだり、楽しい時間だった。あっという間に時間が過ぎていって、もっと一緒に居たかった。伶愛も小さく頷く。


「楽しかった・・・ですね」


 二人の歩みがもっと遅くなる。伶愛の家にあと五分ほどで着いてしまう。二人のデートは残りわずかだ。


「志保さんも生糸さんもいい人でした」


「あれは驚いたな。まさかシェリーさんとスレッドさんとは思わなかった」


「先輩は鈍感です。お二人はそのままじゃないですか! どうして先輩がわからなかったのか私にはわかりません」


「うぅ・・・何かごめんなさい」


「罰として私の命令を一つ聞いてもらいます」


「なんで!?」


「また、私をあのお二人のお店に連れて行ってください。これは命令です。いいですね?」


「・・・わかりました。その命令なら喜んで従います」


 春真は伶愛の手をギュッと握る。伶愛もギュッと握り返してきた。二人は寄り添いながら無言で歩く。刻一刻と二人の別れの時間が近づいてくる。


「そろそろ伶愛の家に着くな」


「なんで言っちゃうんですか! 折角考えないようにしてたのに!」


「す、すまん!」


「もう! 本当に先輩ったら! デリカシーがないんですから!」


「デリカシーと言えば”珍味”の英語も同じデリカシーなんだよなぁ」


「そんな無駄知識どうでもいいです!」


「すみませんでした!」


 とうとう伶愛の家が見え始めた。伶愛は手をギュッと握り、春真の腕をより一層抱きしめる。


「うぅ~~~~~~~うぅ~~~~~~~~~~~~~!」


「どうした? 可愛らしい唸り声を上げて」


「先輩、わかってますよね?」


「まぁな。帰りたくないんだろ?」


「合ってますけど合ってません! 先輩と離れたくないんです! って何を言わせてるんですか!」


「今のは伶愛が自爆しただろ! 俺は悪くない!」


「むぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」


 伶愛が拗ねたような唸り声を上げる。咄嗟に春真は彼女を抱きしめたくなるが、片手は伶愛に抱きしめられ、反対の手は荷物を持っているため抱きしめることができない。伶愛が腕に顔をスリスリと擦りつけてくる。

 二人は家の前に着いてしまった。玄関のドアの前で二人は立ち止まる。伶愛は春真の腕を離すと彼の胸に飛び込んだ。春真も荷物を下ろすと優しく彼女の身体を抱きしめる。


「伶愛は甘えん坊だな」


「・・・そうですよ。かまってちゃんです。甘えん坊のかまってちゃんはお嫌いですか?」


「いーや。大好きだな」


「ふふふ。そうですか。大好きですか」


 伶愛は嬉しそうな笑い声を漏らす。頭を軽く春真の胸にぶつけている。


「先輩。今日はログインしますか?」


 伶愛が胸の中で上目遣いに見上げてくる。


「しようかな。多分すると思う」


「なんですか、その曖昧な態度は」


「いや、そのままベッドで寝ちゃうかもしれないし」


「では、私はログインするので先輩もログインしてください」


「はいはい。仰せのままに」


 春真はコツンと額を伶愛の額にくっつける。お互いの息が混じり合う。二人の鼻と鼻が触れ合う。至近距離で見つめ合う。


「おぉ! これはもしかして!」


「茶化すな」


「無理でーす。茶化さないと私は恥ずかしさで死んでしまいそうです。さあさあ! カモーン!」


「誰だよ。初めてはロマンティックにとか言ってたやつは。自分でぶち壊してるじゃないか」


「い、いいじゃないですか! 私の心臓が壊れそうなくらいバクバクしてるんですから!」


「それは・・・俺もしてる」


 春真は鼻をこすり合わせる。伶愛はくすぐったそうにしている。


「おぉ! 先輩が甘えてきます。珍しいですね」


「俺だってたまには甘えたいときもあるんだぞ」


「知ってますよ。そういう時は何かしら先輩からアプローチがありますから。よく私を後ろから抱きしめて匂いを嗅いでますよね?」


「なぜ知ってる!?」


「ふふん! 先輩と何年一緒に居ると思ってるんですか。全てお見通しなのです。今、心臓がバクバクして、恥ずかしくて一歩が踏み出せないというのもお見通しです!」


 そして伶愛は拗ねたような瞳で春真に抗議する。いつまで焦らすのか、と訴えてくる。


「・・・・・ヘタレ」


「うぐっ! でも、伶愛が茶化してきて雰囲気をぶち壊した気がするんだが?」


「何のことですか、ヘタレ先輩?」


「はぁ・・・もういいですよ。俺のせいです」


 一瞬目を瞑って春真は覚悟を決める。春真の瞳に強い輝きが宿り、伶愛は射竦められる。彼の瞳に囚われたかのようにボーっと見つめ、頬が赤く染まる。春真が囁く。


「伶愛・・・目を閉じてくれ」


「はい・・・」


 伶愛は目を閉じて春真に身をゆだねる。二人の触れ合っていた額と鼻が離れ、次の瞬間には唇と唇が触れ合っていた。しっとりと濡れた柔らかな唇。熱い息。高鳴る鼓動。あまい香り。

 お互いの身体に回した腕に力が入る。抱きしめ合って相手を離さない。全身で相手の身体を感じる。

 十秒程、触れるだけの優しいキスをして名残惜しそうに唇が離れた。二人はゆっくりと瞼を開ける。


「キス・・・しちゃいましたね・・・」


「・・・しちゃったな」


「現実ではファーストキスですか」


「そうだな」


「初デートの最後がファーストキスです」


「お気に召したか?」


「はい。超大満足です」


 二人は再びコツンと額を合わせる。心なしかさっきよりもお互いの額が熱い気がする。


「・・・先輩・・・ありがとうございます」


「こちらこそありがとう。伶愛、大好きだよ」


「ひゃう! 先輩! 卑怯です! 不意打ちは卑怯ですよ!」


 むぅ~、と唸り声を上げて伶愛は顔を春真の胸に押し付けて隠した。グリグリと押し付けてくる。


「伶愛は可愛いな」


「むむむぅ~~~~~~~~! はい! 今日はもう終わりです! ハグは終了です! 私から離れてください! これ以上は私の身体が持ちません。このまま先輩をお持ち帰りしそうです!」


「伶愛さん? 離れる気は全くありませんよね?」


 益々、ぎゅう~、と抱きしめてくる伶愛に春真は苦笑する。洋服も握りしめられているようだ。少し痛いくらいに抱きしめてくる。


「はっ! 身体が勝手に!」


「ということは心は俺から離れたいんだな・・・」


 少し残念そうな声を出す春真に、伶愛は勢いよく反論してくる。


「そんな訳ないじゃないですか! 一緒に居たいに決まってます!」


「そうかそうか! そんなに俺と一緒に居たいか」


「あっ! やられました」


 揶揄った春真は笑い声を漏らし、咄嗟に本心を暴露した伶愛は悔しそうな顔をする。伶愛は目を瞑って春真の香りを大きく吸い込むと、パッと彼の身体から離れる。二人の顔が、あっ、と悲しそうな表情が一瞬浮かぶ。相手の温もりが消え去って物足りない。

 再び抱きつこうとする身体を必死で我慢して、伶愛は春真を真正面から見つめる。


「先輩、今日は素敵な時間をありがとうございました」


 伶愛は春真にお辞儀をする。


「こちらこそありがとな。またデートに行こうな」


「はい」


「そうだ。伶愛に渡す物があるんだった」


 春真はガサゴソと自分のバッグの中を探ると一つの縦長の小さな箱を取り出した。それを伶愛に手渡す。


「これは・・・開けてもいいですか?」


 頷いた春真を見て、伶愛は受け取った箱を開ける。中に入っていたのは銀色のハートのネックレス。シンプルなデザインだ。驚いて春真を見上げる。


「これは?」


「プレゼント。初デートの記念ってことで。伶愛が志保さんと買い物をしている間に生糸さんに案内されて選んだんだ。気に入ったか?」


「はい! とても!」


 感激している伶愛を見て、春真は、ほっと安堵した。彼女に似合うデザインを選んだつもりだったが、彼女が気に入るかどうか不安だったのだ。

 伶愛はネックレスを取り出して春真に差し出す。


「先輩・・・つけてください」


「えっ? 今から?」


「はい! 今からです!」


 春真はネックレスを受け取る。伶愛は彼に背を向けて、長い髪を片方の肩に纏めている。伶愛の白くて綺麗なうなじがあらわになる。春真は少しぎこちない動作で伶愛にネックレスをつけた。伶愛が恥ずかしそうに春真に向き直る。


「どう・・・ですか?」


「うん。似合ってるよ。綺麗だ」


 シンプルな銀色のネックレスだが、彼女の可愛さと美しさを際立たせている。伶愛の美貌がさらに一段と磨きがかかったようだ。春真は思わず伶愛に見惚れた。


「ふふふっ。ありがとうございます。大切にしますね」


 伶愛は愛おしそうにハートのネックレスを触れている。余程気に入ったようだ。


「伶愛」


 二人の視線が混じり合う。お互いにそれで言いたいことは伝わっている。そろそろ別れの時間だ。二人の間に沈黙が訪れる。心の中では別れたくないと叫んでいる。相手を抱きしめようとする身体を必死で抑えている。


「もう抱きしめません。離れられなくなりますから」


「わかってる。少しの間我慢する。俺たちの家でたくさんしよう」


「はい」


 伶愛は玄関のドアを開けて荷物を全部中に入れる。春真も手伝う。すぐに運び終わった。

 春真と伶愛は見つめ合う。


「先輩・・・今から先輩は目を閉じます。玄関のドアが閉じた音がしたら、目を開けて帰ってください」


「わかった。じゃあ、先に言っておく。また後で会おう」


「はい。では、目を閉じてください」


 春真は言われた通りに目を閉じる。伶愛の家のドアがゆっくりと閉じる音がする。すると、ドアが閉まりきる前に伶愛が近づく気配があった。スッと熱い吐息を感じたかと思うと春真の唇に柔らかい感触があった。唇と唇が触れ合っていたのは一瞬だった。

 目を閉じた春真に伶愛の声が聞こえてくる。


「私からのお礼です。抱きしめないとは言いましたが、キスしないとは言ってません! 先輩大好きです! またすぐに会いましょう!」


 ガチャリ、とドアが閉まる音がした。目を開けると誰もいない。春真はキスされた唇をそっと指で触れる。


「ったく! 不意打ちは卑怯だろ!」


 春真は小さく呟くと伶愛の家の玄関に背を向けて歩き出す。

 冷たい夜風が赤く火照った彼の顔を冷やしていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る