第72話

「…………」


 アルトの前で大泣きしてから十数分後、私は顔を真っ赤にして俯いていた。

 十数分前の自分に対して言いたくてしょうがない。


 ……なんで先の羞恥心も考えずに、大泣きしたのだと。


「もう顔を上げられない……」


 あまりの羞恥に、この場で私はシーツにくるまりたい衝動に駆られる。

 気遣ってくれているのか、アルトも何も言わないが、そのことがさらに私の羞恥心を煽ることになっていた。


 ……実のところ、アルトも照れて何も言えないだけなのだが、私はそんなこと知るよしもない。


 部屋の中を、私とアルトのどちらもが何の言葉も発しないせいで、なんともいえない沈黙が支配する。

 その沈黙にいたたまれなさを感じ、私は顔を上げられない。

 現実から目を逸らそうと、必死に別のことに意識を向けようとする。


 私がある違和感に気づいたのは、その時だった。


「……あれ?」


 私がその時思い出していたのは、アルトに見せてもらった貴族の署名が記された書類だった。

 別にその書類がおかしかった訳ではない。

 私が見る限り、あれはきちんとした書類だった。


 だからこそ、私は疑問を覚えることになっていた。


 貴族の署名がされた書類とは、明らかに重要なものだ。

 そう、それは一貴族が金庫に保管するのが普通と言われるほどのもだ。

 にも拘らず、なぜか商人であるはずのアルトがその書類を持っていて、それは明らかにおかしいことだった。


 アルトの本当の招待は貴族なんじゃないか?という、私の中に芽生えていたある可能性が、確信に近くなったのはその時だった。


 そこまで考え至った私は、それをアルトに告げようか悩む。

 だが、いつかは知ることになるのは、分かりきっていた。

 だとしたら、今確認しておいた方がいい。


 そう私はアルトに声をかけようとして。


「そ、その、エレノーラ様」


 どこか緊張したような、覚悟を決めたようなアルトが私に声をかけたのはその時だった。


「え? ど、どうしたの?」


 先程よりも威圧感を感じるそのアルトの様子に、私は自分が質問しようとしたことさえ忘れ、そう聞き返してしまう。

 アルトが私の休むベッド隣で、跪いたのはその時だった。


「……これは頭の片隅でも、いえ、忘れてもらっても構いません。それでもいいので、聞いて頂けますか?」


「え、ええ」


 アルトのただならぬ雰囲気に、私は戸惑いながらも頷く。

 その私の返答に、真剣な顔でアルトは口を開いた。


「エレノーラ様、貴方に恩を感じているのは手紙を送った貴族だけではありません。私も、かつて助けて頂いたあの時から、恩を返すために動いてきました。対等な立場になってからでは、貴方に何も伝えられないと」


「……アルト、それは聞き逃せないわ」


 その言葉に私は思わずアルトへと告げていた。


「これほどまでのことをしてもらっていて、まだ恩を返して貰えないなんて言う人間はいないわ。それどころか、今度は私が貴方に恩を返さなければならないほどよ。だから、変な遠慮なんてしなくていいわ」


 ……アルトが私に何か不満を抱いていたらしいことはショックではあった。

 だが、ここまで尽くしてもらっていて、その不満を聞かないなんて選択肢はなかった。

 故に私は、覚悟を決めてアルトをまっすぐ見返す。


「……そう、でしたね。エレノーラ様はそういう人だった」


 アルトが安堵したように笑った。

 胸のつっかえが取れたと言いだけに。

 ……そんなアルトの表情に、私は自分がどんなことをしたのか、内心震えることになったが。


「……え?」


 だからこそ、次の瞬間のアルトの行動に私は動揺を隠せなかった。


 アルトはまるで私の手が、貴重な宝石だと言うように丁寧に持ち上げ、そしてその甲にキスをした。

 まるで忠誠を誓う騎士のような行動に、私は何も反応できない。

 どこか、緊張したような朱を帯びた顔で、アルトが口を開いたのはその時だった。


「──エレノーラ様、助けられたあの時からずっとお慕いしておりました」


 その言葉に、私の身体は硬直し、頭は真っ白になることになった。


「え、え……!?」


 初めての告白に私はただ戸惑うことしかできなかった。

 自分が何を告げられたのかも認識できず、ただ馬鹿みたいに固まる。

 初めての結婚がソーラスで、奴隷のような待遇しか受けていない私が、こんなシチュエーションに慣れているわけがなかった。

 そんな私に、少し顔を赤くしながらも、アルトは笑う。


「は、はは。申し訳ありません。突然のことで驚かせてしまいましたよね。でも、今すぐ答えを求めるつもりなんてないので、安心してください」


 そう言ってアルトは立ち上がると、私の手を優しくベッドの上へと戻す。


「先程も言った通り、今は忘れて身体を休めることに専念してください」


 優しく私の身体にシーツをかけ、扉へと歩いていく。

 そして部屋を後にする直前に、真剣な表情を顔に浮かべ口を開いた。


「少なくとも私の気持ちはどれだけの時間があっても変わりませんから。お身体が治った後に、ゆっくりと頑張らせて頂きます」


「なっ!?」


 ……ようやく私の身体の硬直が溶けたのはその時だった。


「失礼しました。お大事にしてくださいね」


 そんな私に、微笑みを浮かべたあとアルトは一礼して部屋を後にした。


 部屋を遠ざかるアルトのものと思える足音を聴きながら、私はシーツを頭の上まで持ち上げてくるまる。


「忘れるわけ、ないでしょう……!」


 そう呟いた私の顔は、大泣きした羞恥心に襲われていた時でさえ比にならないほど、真っ赤に染まっていた……。



◇◇◇


次回から、アルフォート視点となります。

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