第71話

「……嘘!」


 宛先を見た瞬間、そんな言葉が私の口から漏れる。

 今まで貴族達にとって、自分はしいたげる対象でしかないと知っていたからこそ、私の中警告が鳴り響いていた。


 絶対に信じるな、希望を抱くほど真実が違った時、絶望が大きくなるぞ、と。


 だが、もう私は自分を抑えられなかった。


 もしかしたら、アルトの言う通り本当に貴族達は私に感謝していくれていたのではないか? そんな希望に背を押されるまま、私は手を伸ばす。

 私は一番日付の早い手紙を手に取り、その手紙の封を切る。


 その中から出てきた手紙は、まず謝罪から始まっていた。

 根も葉もない噂から私を侮り、善意からの行動を否定したことへの謝罪。


 その後、手紙の中盤からは、私に対する深い感謝が綴られていた。


 私が領地にきれてくれたことを、神に感謝する。

 貴方がいなければ、領民を守れなかっただろう、と。


 また、この恩は絶対に返す、いつでも頼みごとを告げて欲しいと最後には締めくくられていた。


 そんな手紙を私に送ったのは、一人の貴族だけではなかった。

 どの貴族から送られた手紙にも、こちらが恐縮してしまうほどの謝罪と、溢れんばかりの感謝が記されていた。


 貴族達の侯爵家に対する援助が、自分に対する恩返しだったのだと、私が理解したのはその時だった。


 ……しかし、それを理解したからこそ、私は胸に強い痛みを覚えずにはいられなかった。


「憎まれていてもおかしくないわね……」


 奥にしまわれていたのか、折れ目がつき、開けられてすらいない手紙の数々。

 その状態こそが、ソーラス達は貴族達から送られてきた援助金しか受け取っていないことを、何より雄弁に物語っていた。

 そんな状況で、ソーラスがこの手紙に返信しているとは思えない。


 つまり私は、こんな手紙をもらいながら一切貴族達に返信していないことになっているのだ。


 謝罪と感謝を無礼で返されら怒らない貴族なんていない。

 そう知っているからこそ、次の手紙を取る私の手は震えていた。

 一体どんな非難が、拒絶が手紙に書かれているのかと想像して。


 だが、その私の想像は裏切られることとなった。


「これは……!」


 幾通もの手紙に返信しなかった私に対して、貴族が送ってきた手紙の中に記されていたのは、手紙を返さない私に対する純粋な心配だった。

 その手紙には、非難どころかどこか身体が悪いのであれば、薬さえ送ると書いてあった。

 その手紙に、私の心の中じんわりと温かいものが広がっていく。

 その温かさを活力に、私はさらに手紙を読んでいく。


 全ての貴族が、私に対する言葉を手紙に記したわけではなかった。

 が、私に対する非難などを手紙に記した貴族は一人としていなかった。


 侯爵家が私に手紙を見せていないと判断して、私の立場をもっと大切にしろと、苦言を呈する手紙。

 私が侯爵家に囚われていると判断して、私の返答次第では、侯爵家から連れ出す準備を整えると記された手紙。

 さらには、何か困ったことがあれば秘密裏に連絡できると、記された手紙。


 内容は決して同一ではなかった。

 けれど、私を心配することだけは全ての手紙が一致していて──私の頬を涙が濡らしていたことに気づいたのは、その時だった。


 気づけば、想像以上に時間が経っていることに気づく。

 にもかかわらず、アルトはベッドの前で、私が読むまで動くこともなく待ってくれていた。


 そんなアルトの姿を見た瞬間、私は自分の思いをぶつけていた。


「……こんなの、受け入れられるわけがないわ」


 嗚咽まじりのその声に込められていたのは、喜びだった。

 胸を埋めつくし、どうしたって消化することのできないその喜びに、私は思わず叫ぶ。


「不意打ちで、こんな嬉しすぎる手紙を渡されたって、どうしたらいいか分からないじゃない……!」


 それがどうしようもない八つ当たりだとは分かっていた。

 それでも、口に出さずには居られない私に対して、アルトは何も言わずただ優しく笑う。

 ただ私の八つ当たりを優しく受け止めてくれるアルトに感謝しながら、私はゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着ける。


「少しだけよろしいでしょうか?」


 アルトが口を開いたのは、私の嗚咽が収まってきた時だった。

 どうしたのかと、思わず顔を上げた私にアルトが差し出したのは、一枚の書類だった。

 それがなんなのかも分からず受け取った私は、その書類に目を通す。


「なっ! これは!」


 ──次の瞬間、その書類が何かを理解した私は、呆然と声を上げた。


 それは侯爵家を潰すため、王家に対して公爵家が主導で集めた貴族の署名だった。

 その書類に、私が領地に干渉した貴族達のほとんどが署名しているのに気づいた私は、驚愕を隠せない。

 侯爵家は一貴族などには太刀打ちできないどころか、関わるのさえ避けた方がいい存在だ。

 こんな書類に著名してしまえば、貴族とはいえ王家に睨まれることになってもおかしくはない。

 それが分かるからこそ、私は驚愕を隠せない。


「エレノーラ様、一つだけ心に残して置いて欲しいことがあります。自分の行いを軽視はしないでください」


 アルトが、真剣な表情で口を開いたのはその時だった。

 未だ衝撃が抜けない私へと、アルトは射抜くような視線を向けながら、言葉を重ねる。


「この書類に関して、また援助に関しても、貴族達には負担があったに違いないでしょう。ですが、私が知る限り署名を頼んだ時、嫌がる貴族などほとんどいませんでした」


 アルトの表情が、語調が柔らかくなったのは、その瞬間だった。


「その全ては、エレノーラ様に対する恩義からです。エレノーラ様、もう一度言わせて頂きます。数多の貴族達にこれだけの覚悟が決める要因となった自身の行いを、この二年間を決して軽視はしないでください。──貴方は多くの人を救ったのだから」


「……っ!」


 アルトのその言葉に、私は何も言えなかった。

 ただ、言葉にできない感情が胸を圧迫し、気づけば大粒の涙が目から溢れていた。

 アルトはそんな私の傍により、慰めるように背中を優しく撫でてくれる。

 かつて弟のように思っていたはずのアルトに慰められることに、羞恥心を覚え私は、必死に涙と嗚咽を止めようとする。


「エレノーラ様の一番の恩恵を与えられていたソーラス達は、たしかに何も考えようとしない愚者でした。ですが、その愚か者達の傲慢な主観だけで、ご自身の価値を決めないでください」


 ……なのに、そんな私の努力を嘲笑うようにアルトは私に優しい言葉を囁く。

 心を溶かすような、暖かい言葉を。


 もはや、私の努力で涙を止めるのは不可能だった。


「エレノーラ様はたしかにこの二年間で大きく消耗してしまったかもしれません。それでも、そのお陰で助かった人間は多くいます。だから、この二年間を恥じないでください」


 おずおずと、それでも優しく私を落ち着かすように、背中から手を回し、アルトは囁く。


「──貴方に助けられたものにとって、この二年間はかけがえのないものだったのですから」


 必死に堪えていた何かが弾け、私が嗚咽を堪えられなくなったのはその瞬間だった。


「え、あ、大丈夫ですよ。私がそばにいます!」


 慌てながら必死に慰めてくれるアルトの存在が、より私の涙腺を緩め、私はマリーナと共に侯爵家を逃げ出したあの時よりも、大泣きしてしまうことになった。


 そんな中、アルトに対する暖かい気持ちが生まれていたことに、まだ私は気づいていなかった……。

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