第9話
ここから出る、そうマリーナに言われた時私の胸に浮かんだのはたしかな喜びだった。
ここでの暮らしは良いものではないどころか、最悪だった。
この場所から逃げられるなら、貴族の身分だって私にはいらない。
喜んで離縁だってする。
……だが、いくら望んだとしてもここから逃亡することが無理なことぐらい、私は理解していた。
「マリーナ、私は大丈夫よ」
私は感情を胸の奥底にしまい込んでマリーナへと笑いかける。
今私がここで逃げれば、侯爵家は貴族社会の伝手全てを使って追いかけてくるだろう。
そうなれば、奇跡が起きてお父様が私に手を貸してくれたとしても、逃げ切るのは不可能だ。
私が離縁でもしていれば話は別だが、今の侯爵家が離縁を認めることはないだろう。
もしかしたらマリーナは、それを理解した上で私に逃亡を持ちかけているのかもしれない。
全ては、私をこの場所から逃げ出すために。
それを理解しても、私にマリーナの手を取る選択肢などありはしなかった。
「マリーナがここに来てくれただけで、私はもう十分だわ。だから、マリーナはもう何も気にしなくて大丈夫よ」
私のことでマリーナまで巻き込むつもりなど、私にはなかった。
だから私は、マリーナを拒絶する。
それに、私が逃げるのを許さないのは侯爵家だけではないだろう。
「……それに、私が逃げたらお父様は絶対に許さないわ」
せっかく手に入れた侯爵家の縁を切ることを、絶対にお父様は許さないだろう。
今までなんど離縁したいと告げても、許さなかったお父様なのだ。
どれだけ説得しようが無意味なのはわかり切っている。
それを知っているからこそ、私は希望を抱かない。
突然、マリーナに抱きしめられたのはその瞬間だった。
「……エレノーラ様、もう良いのです。もうあの伯爵家に貴女様が尽くす必要は無いんです」
「……っ!」
想像もしていなかったマリーナの行動に一瞬私は動揺を感じる。
すぐに私はマリーナへと口を開こうとして、いつの間にか頬が濡れていることに私は気づく。
「……あ、れ?」
自分が知らぬ間に涙が流れていたことを私は悟った。
理由も分からないのに流れる涙に、羞恥と驚愕を覚え、私は目元を拭う。
なのに涙が止まることはなくて。
……自分が、とうの昔に限界を迎えていたことに私が気づいたのは、その時だった。
「私、は」
気づけば、今まで胸の奥に押し込めていたはずの感情が喉元まで溢れだしていた。
必死に私は、その感情を抑え込もうとするが、時既に遅しだった。
私の制止を聞かず、感情が溢れ出す。
「もう、こんな場所になんかいたくない!」
次の瞬間、押さえ込んできた思いが、爆発した。
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