038『朝餉:成田』
「ご心配をおかけしました」
そう言いながらヘンリエッタはマヒトの寝所の食堂の床へ三つ指をついた。
実はあれから二日、ヘンリエッタは時折、目覚めて食事をする以外眠り続けた。
どうやら、あの戦いで無理矢理力を引き出し過ぎたのが原因らしい。まあ、「二日酔いの様な物じゃ、しばらく寝ておれば治るじゃろ」とのマヒトの言葉があったので心配はしていなかった。
「そのように気にするでない。早うこちらに来て席に着くのじゃ。朝食が冷めてしまうぞ」とマヒトは宣う。
――いや、その朝食を作っているのは私なのだが……。そう内心思いながらエプロン姿の浅見は仕上げに出汁巻き卵を巻いた。
ちなみに今朝のメニューは和食である。
ご飯に味噌汁。塩鮭の切り身にお漬物。それにやや甘めの出汁巻き卵だ。そして、赤星はまだ帰ってきていない……。
三人で食卓に着き朝食を頂く。
その後、貨物船の火災については、正式な発表はまだ無く、死者についても多数としか発表されていない。どうやら、日本政府による報道管制が敷かれているのだろう。碌に情報が出てきていない様子だ。
まあ、あの時の生き残りで逮捕された連中の中には、中国共産党の政治局員や国家安全保障部の人間もいた様だし仕方がない事なのだろう。
一部マスコミが密入国をたくらんだチャイニューズマフィアが引き起こした事件と言う憶測を流しているが、確証はとれていないのが現状である。それに、吸血鬼事件との関連を疑う記事もまだ出てきていない。そんな事もあって、サウザンドメディスン事件や吸血鬼事件と比べれば実にささやかな報道となっているのだ。
――本当に何だかな……。規模としてはこちらの方が圧倒的なんだがな……。
まあ、マスコミも下手に首を突っ込むと、危険な話だと察しているのだろう。日本政府に中国政府、果てはバチカンまで絡んでいる。そして出てくる話は、政治まで絡んだ巨大な犯罪組織に怪しい儀式――そして、本物の吸血鬼。
真相を話してみたところで、恐らく誰も信じない……。そんな陰謀論を唱えるのは三流ゴシップ紙だけだろう。
きっと今後は、誰かが都合よく解釈したストーリーがまことしやかに囁かれる事になるのだ。
朝食を取りながらヘンリエッタが口を開く。
「明日のフランス行きの便が取れました。明日、成田まで送っていただけますか、真」
「ん? ああ、わかった」
「何じゃ、もう少しゆっくりして行けばよいではないか」マヒトが出汁巻き卵に手を伸ばしながらそう言った。
「いえ、そう言う訳には……ワイナリーの様子も見に行かないといけませんし」
「それこそ、旦那さんに任せれば良いのでは」
「申し訳ありません、実は夫は昨年亡くなっております」
「ああ、それは済まない」――あれ? これも騙されてた?
「いえ、お気になさらず。三人目の夫ですから」
「……」
「ふむ、〝だんぴーる〟 と言うのは寿命が五百年とも言われておるからの、その様な事もあるのじゃ」
「あっそ……」――ダンピールの生態なんて知らんよ……。ところで、ヘンリエッタの年齢は一体幾つなのだろう……っと、笑顔で牽制されている気がするので聞かない方が良いだろう。
浅見はここぞとばかり危機察知能力を発揮して危険を回避する。
朝食の後、神社にいない赤星の代わりに境内と拝殿の掃除を済ませ、洗濯をして昼食の準備を始める。
ちなみにお昼はトマトとツナの冷製パスタにしておいた。
お昼からはまったりと時間を過ごしながら、ヘンリエッタと近くのショッピングモールへ買い物に出かけ、夕飯の食材も買ってくる。
それから、夕餉の支度。今晩の夕食は豚シャブを用意する。
その時、新たに一つのニュースがテレビで流れはじめた。
『吸血鬼事件の首謀者と見られる中国人男性の白劉羽が中国で射殺されました……』
中国政府の発表によると、本日、福建省泉州市の郊外で捜査に踏み込んだ人民警察と銃撃戦になり、一味もろとも白劉羽は射殺さらたそうである。
――何とも粗い手を打ってきたな……。
勿論、白劉羽はあの時、貨物船の大広間で灰になって消滅したのだが……。
中国政府とどう言った取引があったのかは知らないが、これで、白劉羽はいつの間にかこっそりと中国本土へと戻り、人民警察に射殺されたことになってしまった。
恐らく意図としては拷血事件と貨物船火災の事件を結び付けないようにしつつ、報道を鎮静化させる目的なのだろうと考えられる。
中国政府は当然この遺体の引き渡しには応じないだろう。そして、警視庁が出向く前に公安調査庁が遺体の確認をしてお墨付きを与えてしまえば、これで事件の終息が宣言される事になる。
――と、まあそんなシナリオになるのだろう……。
やれやれ、長部のおっさんが怒り狂うだろうな……。うん、当分近づかない様に気を付けよう。
そう心に決めて浅見は豚シャブの為にカセットコンロを用意し鍋に火を点けた。
翌日、成田国際空港、午前十時五分。
「では、向こうへ着いたらワインを送りますね」
初日と同じ仕立ての良い紺スーツを身に纏ったヘンリエッタがそう告げた。
早朝、泡嶋神社を出発した三人は、ヘンリエッタの見送りに成田空港へと赴いた。ヘンリエッタは既にチェックを済ませこれから検査所へと向かう。
「ああ、楽しみにしている」少しぶっきらぼうに浅見は答える。
「それでは、マヒト様も息災で」
「なに、妾の事など気にせんでもよい。どうせ病気にもならぬ身体じゃ。そんなことより、またそのうち日本へ来るのじゃろ」白のワンピースドレスのマヒトが答える。
「ええ、必ず」
「ではその時に、また会おうぞ」
「はい、それでは私はこれで失礼します」
そう言ってヘンリエッタはぺこりと頭を下げた。
右手で翡翠の首飾りに手を添える。その翡翠の向こうにはティアドロップ型の赤い宝石が嵌っているのが透けて見えた。
それを愛おしそうに胸に抱き、ヘンリエッタはクルリと踵を返した。
そして、しっかりとした足取りで空港の奥へと向かって歩き出した。
成田空港第一ターミナル五階、展望デッキ。
「何やら、寂しそうな顔をしておるの」
白いリボンのついた麦わら帽子に白のワンピ―スドレス姿のマヒトが、白銀の髪を風になびかせながらそう言った。
「ん? ああ、別れは苦手なんだよ……」浅見はそう言って言葉を濁す。
その時、ヘンリエッタを乗せた飛行機がターミナルを離れ滑走路へと向かい始めた。
「じゃが、またすぐ会える」
「ああ、そうだな……それでも……」
滑走路にたどり着いたジェット機が向きを変える。
「それでも、なんじゃ」
「……苦手なんだよ、別れると言うのが……どんな顔をしていいのかわからない」
甲高い音を発しながらジェット機が加速する。
「損な性格じゃの。“はーどぼいるど” と言うのは」呆れたようにマヒトが笑う。
爆音を立てて大空へと飛行機が飛び立った。
二人はしばしそれを見つめる。
そして、浅見はぽつりと呟いた。
「別にそんなんじゃないよ。少し思い出が増えたのが辛いだけさ……」
深く青く澄み渡った大空へヒバリが声を上げながら舞い上がる。
その時、一陣の風が吹き抜けた……。
―クリムゾンレイン ~Fin~―
以上を待ちましてクリムゾンレイン本編の終了です。
後は後日譚をお楽しみください。
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