037『帰宅:夕飯』


 結局、あの貨物船から横浜海上防災基地へと、戻ってこれたのは朝の六時を回ってからの事だった。

 力を使い果たしぐったりとし始めたヘンリエッタに肩を貸し、一緒に歩いて巡視艇を降り桟橋を渡った。

 

「よお!」

 振り向くとそこに居たのは元同僚の軽薄男こと植木正成だ。

 どうやら車をレッカー車で持って来てくれたらしい。そして、山田美姫は無事保護されたと報告を受けた。

 忙しそうだったので簡単に礼を言って駐車場へと向かう。彼の仕事はこれからが大変なのだ。――後始末と言う大仕事が待っている。退職した私には関係ない。まあ、がんばれ。


 浅見はヘンリエッタを後部座席に寝かせ付け、愛車を発車させた。ちなみに横浜海上防災基地の場所は昨晩の赤レンガパークの隣である。

 一般道からすぐに高速道路へと乗り込み北へと向かう。眠い目を擦りつつ車を走らせ、途中のパーキングエリアで少し仮眠をとる。スーパーでの買い物を挟み、泡嶋神社に着いた時にはすでにお昼前の十一時を回っていた。


 神社の方へ挨拶に行く体力も無かったので、ヘンリエッタを抱え取り敢えず事務所へ入る。二階の以前、赤星が寝泊まりしていた部屋へ布団を敷きヘンリエッタを寝かせ付けた。


 そして、浅見は自室に向かい、そのままベッドへ崩れる様に倒れ込んだ。


「眠い……」

 ――体力、気力共に限界だ……。


 朝一番で御殿場へ向かい、それから横浜へと戻り山田美来と連絡を取り、赤レンガパークで宝石を手に入れ、それから東京カテドラル聖マリア大聖堂へ行き、その後、船に乗り込んで吸血鬼と戦った……。何と忙しい一日だったのだろう。

 忙しい事で有名な財務省の職員も真っ青な過密スケージュールである。


 ――探偵の仕事ってこんなにも忙しいものなのだろうか……。これでは流石に身が持たない。まあ、普通の人はマフィアに会う事も、吸血鬼と戦うことは無いだろうが……。


 瞼が自然に落ちて来る……。身体の芯から疲れが滲み出して来る……。全身の力が抜けて重くなる……。泥の中でもがくように、断続的に意識が途切れ始めた……。


 気温は高めだが、開け放たれた窓からは、森を抜けてきた心地よい風が吹き込んでくる。時折遠くから聞こえて来るキジの鳴き声。木の葉のざわめき。室内へ吹き込んできた風が優しく頬を撫でる……。


 そして……。寝た。ぐっすりと……。



 次に意識が戻ったのは夕方だった。

 空が僅かに茜色に染まり、ひぐらし達がカナカナとせわしなく鳴いている。時刻的には夕方の七時くらいだろう。


 ――うーん、良く寝た。しっかりと背筋を伸ばす。

 のそのそとベットから起き出し、隣の部屋のヘンリエッタの様子を覗く。まだぐっすりと眠っている。顔色も悪くないし問題なさそうだ。お腹もすいたし、先に夕食を作って待っていることにする。



 事務所を後にして、帰りにスーパーに寄って買って来た食材を手にマヒトの寝所へと向かう。

 勝手口から食堂へと入る。


 そして、そこでマヒトが死んでいた……。いや、嘘である。ただの表現だ。

 そもそも不死者であるマヒトは八十年間土の下にいても生きていたのだ。一日放置しただけで死んでしまうとは考えられない。

 机に突っ伏して、伸びている。


 なので、「どうした?」と浅見は机に突っ伏したままマヒトへ声を掛けてみる。

「お腹が空いたのじゃ、もう動けぬのじゃ……」蚊の鳴くような情けない声が返ってきた。

 と言いながらも巫女装束に着替えているので、すでに夕拝は済ませたのだろう……。


「あれ、赤星はどうしたんだ」

「あやつは、朝から所用で使いに出かけておる……」


「冷凍庫に食材が合っただろ、食べなかったのか」

「……わらわの作る料理は、何故か美味しくないのじゃ……」

 ――成る程、自覚はあったのか……。

「……だから、昔を思い出して、断食をしてみたのじゃ」

 ――その思考は今一良く判らないが……。


「はいはい、すぐ何か作るよ」と言っておく。

 さて、何を作ろうか……。簡単に作れて美味しいものは……。


 玉ねぎをみじん切りにして、バターで炒める。ウインナーを薄くスライスし、これを加える。冷凍のグリンピースも少量加える。温めるだけで食べれるご飯を投入し、パラパラにほぐしていく。ケチャップと醤油と胡椒で味付けすれば、なんちゃってチキンライスの完成である。

 次に卵二つをボールに割って、牛乳を少し入れる。菜箸で泡立てない様によくかき混ぜる。フライパンにバターを敷き、ボールの中身を投入。縁が焼け反りかえり始めたところで四辺をへらでたたみ菱形にして、ひっくり返す。それを先程のチキンライスの上に置き、中心にナイフで切れ目を入れる。はらりと卵が開き、トロリと中身があふれ出す……。


「おお!」いつの間にかシンクの齧り付きで見ていたマヒトが声を上げた。

「その服のままじゃ食事出来ないだろ、着替えて来いよ」

「うむ、わかったのじゃ!」急いで自室に戻るマヒト。


 その間に仕上げをする。

 スライスチーズを上に乗せ、ケチャップとウスターソースを同量入れてフライパンで温めその上に掛けて、とろとろオムライスの完成である。

 盛り付けを終えたところで、丁度、作務衣に着替えたマヒトが慌てた様子で戻ってきた。


「うほー!」目を輝かせながら歓声を上げる。早速、棚から自分のスプーンを取り出し握りしめている。「頂きます!」一気に齧り付く。

 浅見は、幸せなのじゃとか美味しいのじゃのじゃなどと言っているのを聞きながら、テレビを付けてもう一つ同じものを作り始めた。


 その時、テレビの画面がニュースを読み上げた。

『本日未明、東京湾に浮かぶ貨物船で発生した、火災で多数の死者が出ていることが判明しました……』

 ――成る程、そう来たか……。百五十名近くの死者が出ているこの事件。流石に隠蔽は不可能と考えて、そう言う手を打ったのだろう。


 テレビのモニターに一瞬だけ真っ黒な煙を噴き上げる貨物船が映し出された。

『……現在、海上保安庁では、密入国の疑いでも捜査が進められています。さて、次のニュースは……』


「ふう、なんだかなぁ~」浅見は大きく溜め息をつく。

「いつの世も人は同じじゃ」マヒトがオムライスを食べながらそう言った。


「……見たいものを見て、聞きたいものを聞く、案外それで幸せに暮らせるのじゃから、それで良いのじゃ。無理に真実を知ろうとすれば苦悩も増すと言う事じゃ」とマヒトが偉そうに言って “ふんすっ” と胸を張る。


 ――まあ、その通りなんだけど……。取り敢えず、そう言う事は口の周りのケチャップを拭いてから言ってくれ……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る