034『ヘンリエッタ:白劉羽』
浅見に続いてヘンリエッタは大広間へと入った。
左手は浅見へ任せ、ヘンリエッタは部屋の中央を進む。床に転がる遺体を避けながら、一段高くなっている中央の段上を目指す。
「よお、ヘンリエッタ気分はどうだ」豪華な椅子にふんぞり返る白劉羽が話しかけてきた。その白い服の胸元が返り血でべっとりと汚れている。
「最悪です。早く私にラクミリ・デ・フィユを返してください」不機嫌を顕わにしてヘンリエッタは答える。
「ふん、その辺に隠れてるぞ、勝手に連れて帰れ」
「そうですか……ところで、死んでしまった気分はどうですか」
「ああ、最高だ。ダンピールのお前たちはこんな感覚なんだな」
「いえ、ダンピールは吸血鬼の力を使っていない時は人間と同じです。だから人とも共存できるのです。ですが、あなたはもう駄目です。人であることを捨ててしまいました……もう人を殺しても何とも思わないでしょ」
「ハハハハハハッ! 確かに。朝に食べた白粥と同じだ。一々数も数えていない」顔に手を当て一人高笑いする白劉羽。既に人を食料としか見ていない。
「だから、私が貴方を狩ります……」
「別に俺と敵対する必要は無いだろう」
「おや、ご存じないのですか。私は趣味でバンパイアハンターをやってるのですよ」ヘンリエッタは妖艶にほほ笑む。
「やれるもんなら、やってみろ!」白劉羽が大声で怒鳴りつける。
同時に左右に控えていた男たちが飛び掛かる。低い唸り声をあげ、襲い掛かってきた。
ヘンリエッタが全身に力を入れる。身体の中心から湧きたつようにオドが溢れる。全身を包み込み抱き締められる様な多幸感。そのブルーの瞳が黄金色へと瞬時に変わる。
周囲のざわめきが耳から遠ざかる。
空中で静止している様に見える長身と巨漢な二人の男性。
ヘンリエッタが大きく前へと飛び込んで長身の男へと右手を突き出す。
プチュリと、豆腐を突くようにその衣服と皮膚を貫いた!
背中から弾ける様に血が噴き出し、それが黒い霧となって消えて行く。
「まさか、これ程とは……」思わずヘンリエッタは独り言ちる。浅見の血の効果に驚きを隠せない。
胸に大穴を開け立ちすくむ長身の男。その穴を中心に身体が次第に黒くなり崩れていく。すぐに、その場に衣服だけを残し男は灰になった……。
「うっ!」その光景に怯む白劉羽と巨漢の男。
本来、吸血鬼には恐怖と言う感情は存在しない。すでに死者となっている彼等には死を忌むべきものと考えることが出来ないのだ。だが、目の前で同族が何もできずに消滅した事に危機感を感じた。強いものへの畏怖の感情に支配される。
無言で白劉羽が剣を持って椅子から立ち上がる。
巨漢の男が両手を広げ、牙をむき出しにして迫って来る! その背後から剣を振りながら迫る白劉羽。
ヘンリエッタは後ろへ跳んだ。
ほんの一歩のつもりが十メートルを跳んでいた。流石にオーバースペックを感じた彼女は戦闘方法を小さく細かくへと変更する。
巨漢の男が拳を握りしめ殴りかかってきた。ヘンリエッタは横へ跳び男の背後へ回り込む。そこへ男の陰から白劉羽が剣を振り下ろす。ヘンリエッタは弧を描くように半身になってそれを躱し、さらに、横へ跳ぶ。
その時、ヘンリエッタは九十年前に日本で戦った小さな少女の事を思い出した。
その戦いは、あまりに一方的だった……。
少女は体術こそ稚拙であったが、その身体能力と様々に繰り出される術で翻弄してきた。隠形、幻惑、そして一瞬で距離を詰める縮地――。そのどれもが初めての経験だった。
気が付くと成す術もなく地面に伏した。そして、死を覚悟した。
「耶蘇教の連中も妙な奴をけしかけて来る。どうした、半魔。もう仕舞か」少女が高らかに笑う。そして、手を差し伸べた。
その少女こそマヒトである。彼女の不死性を吸血鬼と間違えて襲い掛かってしまったのだ。その後、誤解の解けた二人は互いに手を取り合った。
「卑怯ですねマヒト様。こんな力を弄んでいたなんて……」
思い出した光景が今の自分の姿に投影される。ヘンリエッタは思わず笑みを浮かべた。
巨漢の繰り出す拳をヒラヒラと蝶の様に躱すヘンリエッタ。そこへ時折、白劉羽が斬りかかる。
互いの距離は次第に近づき肉薄する。
「うがあぁぁぁ!」焦った巨漢がうなり声をあげ両手で掴み掛ってきた。
刹那!
ヘンリエッタはスカートをたくし上げ、黒ブーツで蹴りを放つ。鎌の様に掛った足首が一気に男の首を引きちぎる!
だが、その時……同時に男の胸から銀の剣が生えてきた!
「?」剣先がヘンリエッタの脇腹を引き裂く!「ぐっ!」
灰となって崩れ行く巨漢の男の背後には、白劉羽が銀剣を持って立っていた。
ヘンリエッタを攻撃するために同時に巨漢の男を刺し貫いたのだ!
「どうしたダンピール! それで仕舞か!」牙をむきだし勝ち誇る白劉羽。
「貴方程度にそれを言う資格はありませんよ」脇腹を抑えヘンリエッタは答える。
真っ白なワンピースドレスの脇腹から血がにじみ出す。しかし……。
通常のダンピールであれば傷の修復には一晩の時を要する。しかし、今のヘンリエッタならば――。
オドが傷口へと集まる。焼けつくような熱さとなって傷が見る々と塞がる。
「今の私なら、この程度の傷……」悠然と佇み微笑む。
「なっ!」白劉羽が後退りながら絶句する。「きぇぇぇ!」掛け声と共に大振りで振り下ろされる銀の剣。
その剣の腹を右の拳で叩きヘンリエッタは銀剣を二つに折った。
だが、その隙に白劉羽はヘンリエッタの腕を掴んだ。そして、その腕に牙を突き立てる! 更にその血を――しかし……。
「な、なんだ……」違和感に慌てて口を放す白劉羽。
「何も知らないのですね……」蔑む瞳のヘンリエッタ。「吸血鬼の血には順位があるのです。上位の血は毒になります。そしてダンピールが吸血鬼に恐れられ、蔑まされる理由は、“ダンピールは真祖とその血族からしか生まれない” ことです。だから……」
指先から灰になり崩れ落ちていく白劉羽。
「うおぉぉぉぉぉ!」絶叫する。
「さよなら、アルバニースの孫よ。地獄で神父に会ったら、謝罪を要求すると伝えてください……」
黒く変色し灰になりながら床へと崩れ落ちる白劉羽。
後に残された灰が埃となって散って行く。
ヘンリエッタは両手を組み祈りを捧げる。……アーメン。
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