032『真相:血の交わり』
ヘンリエッタは静かに答えた。
「私の名はヴェルガ家当主のヘンリエッタ・ヴェルガ。そして、ヴェルガの家系は 〝ダンピール〟 なのです」
ダンピールとは、吸血鬼との混血児の事を指す。通常は吸血鬼の父親と人間の母の間に生まれ、人間と吸血鬼の両方の特性を併せ持つと言われている伝説上の存在である。
さらに話を続けながらヘンリエッタは髪をかき上げ月を見上げた。「……そして、あの子の名前はドラゴス・ヴェルガ。吸血鬼となってしまった私の息子です」
「な……」浅見は思わず肩にかけた自動小銃のグリップを強く握りしめた。
ヘンリエッタは静かに真相を語り始める。
事の起こりは約百年前……。
ヴェルガの領地で連続して起こった失踪事件。
当初、ヘンリエッタはヴェルガ家と対立する吸血鬼の一族の仕業と目していた。何でもダンピールと言うのはその存在だけで通常の吸血鬼からは蔑まれるものらしい。
そこで、当時から当主であったヘンリエッタはヴァンパイアハンターになることを条件にバチカンと手を組んだのだ。
そして、最後の夜に罠を仕掛け館に立てこもった――。
だが、その罠にかかったのは、長く病気を患いベットから起き上がれなくなっていた息子のドラゴスだったのだ。
彼はその身体に流れる吸血鬼の血にいつしか耐えられなくなり、ダンピールから本物の吸血鬼へと変貌していた――。
それはダンピール特有の病の様な物で、吸血鬼の力を常時発動し続けた結果、人に戻れなくなると言う物である。
実際にはヘンリエッタはその事に薄々気が付いていたようだ。しかし、懸命に生きようとする自分の息子を疑いきることが出来なかったのである。
そして、ヘンリエッタがドラゴスの肉体を取り押さえ、その隙にアルバニース神父が吸血鬼と化した血と魂を抜き取り封印した。その場に残されたのは動かなくなったドラゴスの身体と、魂を封じ込めた 〝ラクミリ・デ・フィユ〟 であった――。
こうして、事件は幕を下ろした……。
「最期に……一目だけ……一目だけでも、彼に会いたかった……そして、許される事が無くとも、彼に謝りたかった……」月を見上げたままヘンリエッタは震える声でそう呟いた。
浅見はグリップから手を放し銃口を下ろした。
――さて、どうしたものか……。浅見も艦橋の壁に背を付けて月を見上げる。
封印された吸血鬼ドラゴスはヘンリエッタの息子であった。彼女が儀式を見たいと言っていたのこの為だ……。自らの手で封印を施した彼女の心情を考えると判らない理由でも無い。
「それで、ヘティー。君は彼をどうしたいんだ」
「私は……」潮風に吹かれながらヘンリエッタは熟考する。「……私は、彼を救いたい……ですが、既に身体を失ったあの子にその術はない。ですから、もう一度、彼を封印して、最期のその時まで私の元に……」
「封印できるのか」
「ええ」そう言ってヘンリエッタはその胸元から大きな翡翠の首飾りを取り出した。そして、その裏側から微細な模様の入った二枚の三角のプレートを取り外す。そのプレートを上下逆に組み合わせ六芒星を組み上げた。
「……これがソロモンの封印です。ですが……」
封印の方法は既に浅見も聞いている。
「何か問題でも」浅見は問う。
「ええ、問題はドラゴスの力が増している事です。今の私では彼を抑え込めるかどうか……」
――成る程。階位を上げた事で力もレベルアップしてるのか……。
「何か方法が?」
「……」ヘンリエッタは僅かに沈黙する。そして、意を決した様に振り返り、こう言った。
〝私に貴方の血を頂けますか?〟
二人は連れ立って、甲板の上に置かれているコンテナの暗がりに移動した。
浅見はスーツの上着を脱ぎ、シャツのボタンを外した。シャツの下には何も身に着けていない。その厚い胸板をはだけさせ強引にヘンリエッタを抱き寄せる。
そして、その細い肩を強く抱きしめた。
ヘンリエッタの上気した熱い吐息が胸をくすぐる。その柔らかく温かい胸が激しく脈打ちながら押し付けられる。
「いつでもいいぞ」優しい声色で浅見は言った。
「貴方と言う人は……」胸元のヘンリエッタが潤んだ瞳で浅見を見上げる。
細い指が優しく首の後ろに絡み付き、その首筋に吐息がかかる。ヘンリエッタの呼吸は荒い。甘い香りが鼻腔に漂う。
――うっ! 一瞬の痛み……。徐々に全身の力が抜けていく。
思わず浅見はコンテナに寄りかかる。
ヘンリエッタの指が浅見の髪を掻き上げる。浅見はさらに激しくヘンリエッタを抱きしめた。その指先でプラチナブロンドの髪を梳く。
そして、二人の鼓動が重なった……。永遠の刻。
ただ、青白く輝く月が夜空に浮かんでいるのが見えた。
潮風が優しく頬を撫で、船に打ち付ける波の音が長く耳に残り続けた。
浅見は床へとへたり込んだ。ヘンリエッタがその上気した頬を浅見の胸へ押し付けた。指がくすぐる様に浅見の胸を這う。
心地良い疲労感に身をゆだね、浅見はその指先でヘンリエッタの髪先を弄ぶ。
――何と言うか、すごかった……。浅見の感想である。
全身の力がフワリと抜けて、一瞬で夢の世界に落ちた様な感覚。まずい、これはちょっと癖になる。
しかし、ヘンリエッタの吐息も荒い。
「こんなの初めて……」
――え? 何だって?
「フフフ」何故かヘンリエッタが幸せそうに優しく笑う。「マヒト様が貴方を押し付けた理由がわかりました……」
「何?」
「貴方は知らなかったのですか。貴方の血にはオドが溢れています。そして、恐らくマヒト様と血縁関係があります」
――マジか……。
「……あの方には、お子はいらっしゃらないそうですから、恐らく傍系でしょう。貴方はその血族の子孫と言う訳です」
「成程……」
浅見には少し心辺りがあった。
以前にマヒトの夢の世界へ引きずり込まれた事があったのだが、その時の条件に良く理解できない 〝その村の関係者〟 と言うのがあった。勿論その村に入った事も無いし、場所も知らなかった。だがもし、マヒトと直接血縁関係にあったのならこれ以上ない関係性と言う事になるだろう。
多分マヒトの方は気が付いている。そして、わかっていて黙っているのだ。――と言っても私とマヒトは五十代くらい離れているので子孫と言われてもピンとこないが……。
浅見はヘンリエッタの肩を右手で抱きながら身を起こした。
「それじゃ、行くか」
「はい」
浅見が服を着直して立ち上がる。
二人は艦橋のハッチを開き、再び船内へと降りて行った。
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