第5章 血の雨の儀式

030『パズル:血の雨』


 浅見の頭の中で急速に、パズルのピースが嵌る様に、ストーリーが組み上がっていく。


 ――謎の多い人物であるチャイニーズマフィア黒蛇の首領であった黒牙。そして、中国共産党に強い影響力を持つと言われる伯汪老はやはり同一人物だった。だが、その正体はアルバニース神父と言う人物だったのだ。

 ヘンリエッタはその神父の事を知っている……。と言う事は……。


 浅見は横に立つヘンリエッタに小声で質問する。

「なあ、ヘティー。そのアルバニースと言うのが、もしかして吸血鬼を封印した人物なのか」

「……」

 ヘンリエッタは黙して答えない。だが、この場合はそれが答えになっている。NOであるなら素直に答えて良い質問なのだ。


 今二人の目の前では儀式の準備が着々と進んでいる。


 ――吸血鬼を封印したバチカンのエクソシスト(祓魔師)であるアルバニース神父が、中国人の盗賊団を使いヴェルガ家からラクミリ・デ・フィユを盗み出した。そして、シルクロードを渡り戦争の始まろうとしている中国(清国)に逃げ込み潜伏したのだ。

 そこで密かに自衛のためにチャイニーズマフィアの黒蛇を組織した。その組織を利用して政治にも介入していったのだろうと推察できる。

 だから、その孫である白劉羽がソロモンの封印と鍵を知っているのだ……。

 だが、本当の問題はそこではない。

 今、バチカンが恐れている醜聞と言うのは……。


 ラクミリ・デ・フィユに吸血鬼が封印されたのは約百年前。その時、神父が何歳だったかは知らないが少なくともエクソシストになっていたのなら修業期間を含めて二十歳には成っていただろう。そして、問題の伯汪老が殺されたのは昨年の事である。

 と言う事はその神父は百二十歳までは生きていたことになる。


 ――通常では考えられない……。通常では……。

 だが、もしそれが吸血鬼であるならばどうだろう。


 そう、バチカンのエクソシストが自ら吸血鬼に成っていたとしたら……。

 それが目的でヴェルガ家からラクミリ・デ・フィユを盗んだとしたら……。

 いや、もしかすると封印自体からその目的を持っていたのかもしれない……。

 いつの時点で神父が吸血鬼なっていたのかはわからないが、不死である闇の眷属であれば裏社会でも政治の世界でもその力は存分に振るうことが出来ただろうと想像できる。


 そして、恐らく高田渡氏が情報を集めた際に同時に別ルートでバチカンもその事に気が付いたのだ。

 隠したい醜聞。この話が表に出れば、いまだに多くのエクソシストを抱えるバチカンにとって深刻な信用問題になりかねない。神を信奉する彼等にとってみれば、決して過去に残したくない逸話になるのは間違いない。

 だから彼等は慌てて公安調査庁に協力を要請してきた……だが、その内容を知られるわけにいかないので、あまり介入させないようにしているのだ。


 ――まずい、これは、非常にまずい……。

 ……よし、と言う訳で私はこの話は知らなかった。そして気が付かなかったと言うことにしよう! 浅見はそう決心した。


 そして浅見は何食わぬ顔でちらりと横を見る。

 そこに立つヘンリエッタが緊張の面持ちで儀式の準備を見守っている。



 ラクミリ・デ・フィユの台座に、もう一つ三角形のパーツをはめて六芒星が完成する。それを神父の礼装の様な初老の男性が、魔法陣の中央にうやうやしく設置する。

 魔法陣の周囲に置かれた燭台の蝋燭に、次々と火が灯され、室内の照明が落とされた。


 薄暗い室内へどこからか、右手に剣を掲げた黒い三角頭巾の集団が現れ、魔法陣を取り囲む。

 そして、低い唸るような声でヘブライ語らしき呪文を唱え始める。

「「「ガミジン、アグロン、テタグラム、ヴァイケオン、スティムラマトン、エズファレス……」」」それを何度も繰り返す。

 ――これは確か、ソロモンの悪魔について記したグリモワール『レメゲトン』に書かれた悪魔召還の呪文の一節のはず……。


 風も吹いていないはずなのに、激しく揺らめく蝋燭の明かり。

 大人数が居る事でむせ返るような暑い室内。その室内に響く怪しげな呪文。

 立ち並ぶ人々の表情は緊張でこわばっている。

 荘厳な雰囲気の中、高く低く呪文の詠唱が繰り返される。


 暫くすると変化が起こった――。

 どこか遠くから、キーン! キーン! と甲高い鐘の音が聞こえてきた……。最初は小さく、次第に大きく耳へと響く。

 白劉羽が豪華な椅子から立ち上がる。

「いよいよ、来たか!」


 人々がざわめく。

 急に室内の温度が下がり始めたのだ。蝋燭の炎がさらに激しく揺れる。

 ミシリ、ミシリと船体が軋む音を上げ出した。

 ――何が起こっている?


 周囲の人間たちも動揺が隠せていない。全員が焦った顔で回りを見回している。

 三角頭巾の声が耳の中でワンワンと唸りを上げて聞こえ始め、辺りの何も無い空間からパチパチとラップ音が響いて来る。視界にも時折何か白い光が映る。足元がぐらぐらと揺れている。

 ――船体が揺れている? いや自分の足が震えているのだ……。


 その時、強く一陣の風が吹く……。一瞬の静寂。


 次の瞬間、七つのゴブレットに注がれた血液が音も無くはじけ飛んだ!

 周囲の人達からどよめきが起こり、女性が悲鳴を上げた。

 飛び散った赤黒い血液は霧になり、辺り一面にパラパラと 〝血の雨〟 が降る……。


 床に散らばる赤い染み。その染みが引き寄せられるように中央のラクミリ・デ・フィユに集まって行く。

 集まって、集まって、一つの塊となって盛り上がる。

 集まり続けるその血液は次第に大きくなり形を成していく。


 そして、次第に大きくなる血だまりが人間ほどの大きさになった時。

 その血だまりの中から、突如、小さな白い右手が飛び出した!


「おお、ドラゴス……」

 横に立つヘンリエッタが両手で顔を覆い嗚咽を漏らす。


「……」浅見は思わず声を失った。


 ――これは、やばくないだろうか……。

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