029『貨物船:魔法陣』


 夕闇に沈む東京湾に、煌々と明かりを焚いて浮かぶその貨物船は全長約二百メートル。甲板にはコンテナがいくつも積み上げられているのが見渡せる。船はクレーンも備えている所から多目的船かセミコンテナ船と思われる。

 ――そう言えば以前資料で見た中国海軍の偽装貨物船によく似ている。船体の古さから考えて、もしかすると本当に元は海軍の洋上補給艦とかだったのかもしれない……。


 浅見達を乗せた小型船が、その貨物船のタラップへと横付けされた。


「オリルゾ、ツイテコイ」

 案内役の女は片言の日本語でそう言うと、揺れる船からひらりとタラップへと乗り移り階段を上り始めた。

 浅見とヘンリエッタも無言でそれに付いて行く。


 甲板の上にはコンテナが積み上げられ、それを守る様にガタイの良い作業服の二人の男が立っていた。そして、その手には自動小銃を持っている。

 ――一体ここはどこの国なんだ。AK47……いや、中国製だから56式自動歩槍だろうか……。


「コッチダ」

 先導する女が艦橋部のハッチを顎で指す。二人は促されるまま付いて行き、ハッチを潜る。


 白の塗料でごってりと厚塗りされた狭い通路。油と磯の匂いが漂っている。そこを進むと下へと降りる階段があった。

 三人は連れ立って長い階段を降り始めた。


 通常のマンションなら五階分くらいだろうか――外側の船体の高さから考えるとずいぶん喫水が高いように感じられる。やはり何かの偽装が施されているな……。通常の船よりワザと喫水が深くなるように作られ船体を船底側に伸ばしてる。


 階段の一番下へとたどり着く。恐らくこれより下はエンジンルームやバラストがあるのだろう。エンジン音とどこからか漂ってくる濃い軽油の匂いが鼻につく。

 そこからさらに個室の並ぶ狭く暗い通路を船首へ向かって通り抜ける。

 すると目の前に両開きの大きな扉が現れた。

 女は一瞬その扉の前で立ち止まりこちらを振り向き確認する。

 そして、ゆっくりとその扉を両手で押し開けた。

 扉の隙間から、光が溢れだす……。



 その部屋のサイズは幅二十メートルに奥行き五十メートル位。室内には礼服姿の二百名を超える男女がひしめき合って立っていた。

 赤絨毯に金のシャンデリア。両壁には真っ赤なカーテンと肖像画がいくつも架かっている。その様子がまるでどこかのお城の謁見室を思わせた。そして、船首側の壁にはこれ見よがしに黒い蛇の意匠の旗が掲げられている。その旗のすぐ下――。

 一段高い壇上の豪華な椅子に、踏ん反り返る白いスーツの男の姿。


「白劉羽……」浅見は思わずつぶやいた。

 見た目の年齢は二十代後半。真っ白な肌の細身の体に身長は百七十ぐらい。髪は少し癖のあるブラウン。どう見ても西洋人だ、とても中国人には見えない。糸のような細い目がいびつな笑みを浮かべている。



 案内の女が歩くと人垣が割れていく。浅見とヘンリエッタもそれに続く。

 立ち並ぶ人々の前で赤絨毯は途切れ、白いリノリュームの床が敷かれていた。

 そこには、蝦色の線で描かれた三メートルほどの魔法陣――。


「ようこそ、我、城へ。私がパイ・リューユゥだ」

 大仰な仕草で椅子から立ち上がり、白劉羽はヘンリエッタに向けて胸に手を当て優雅に挨拶をした。

 ヘンリエッタが一歩前に進み出てカテシーを取る。


「ヘンリエッタ・ヴェルガと申します。貴方が、伯汪老……いえ、アルバニース神父の孫ですね」

「ほう、良く調べたな。ああ、その通り」歪な笑みを浮かべる白劉羽。


 ――え? 浅見は動揺を隠せない。

 なぜなら、その一言でヘンリエッタが黙っていたバチカンの醜聞の意味に察しがついてしまった。

 ――まずいな、これはまずい……。今のは聞かなければよかった……。浅見の心は沈んでいく。



「バアルにブエル。フェネクスにビフロンス。ムルムルにセーレ。そして、鍵はやはりガミジンでしたか……」

 ヘンリエッタが魔法陣を覗き込みそう呟く。


 直径三メートルほどの魔法陣。中心には三角を二つ重ねた六芒星が描かれ、それを囲う様に七芒星が描かれている。その七つの頂点にはそれぞれ違う紋章があり、そこに血液らしきを満たした大きな金のゴブレットが置かれている。

 ――これがヘティーの言っていたソロモンの鍵だ。だとすると、今言ったのはこの紋章が指す悪魔の名だろう。

 ソロモン王の使役した七十二柱の悪魔。そのうちの七柱の悪魔を使うのがこのソロモンの鍵と言う訳だ。


「ほう、良く紋章を見ただけで判ったな」声が聞こえたのか白劉羽がにやけながら言い放つ。

「ええ、勿論。私も長い間調べさせてもらいましたから」

「これが爺さんが研究の末、生み出した封印と鍵だ。間違いなく作動すると保証しよう」

「そうですか、ところでアルバニース神父は今どこへ」

「地獄だよ」

 白劉羽は薄ら笑いを浮かべそう答える。そして、楽しそうにほほ笑みながら言い放つ。「クククク……いつまでも居座られては迷惑なんでな、俺が処分した」

「そうですか、一言謝罪が欲しかったのですが……」ヘンリエッタがため息交じりにそう言った。

 ――成る程、自らの手で首領である黒牙を葬り去ったのだ。こいつがナンバーワンを名乗る訳だ……。


「灰なら少し残ってるが、必要か」せせら笑う様に問う白劉羽。

「いえ、結構」嫌そうに答えるヘンリエッタ。

「よし、それなら俺にドラクルを渡せ」

「ドラゴスです」ヘンリエッタが顔を顰めてそう答える。

「何?」

「彼の名前はドラクルでなくドラゴスです」

 ――彼と言う事はやはり人の名か……恐らく封印された吸血鬼の名前だろう。


「ふん、まあ、どうでもいい。早くその宝石を寄越せ!」


 横から神父の様な黒の祭服を纏った初老の中国人男性が近づいてきた。

 ヘンリエッタが黙って胸元から逆三角の台座に嵌ったラクミリ・デ・フィユを取り出し、手渡した。



 そして、壇上で白劉羽が英語交じりの中国語で叫んだ。


『これより解封の儀 〝クリムゾンレイン(血の雨)〟 の儀式を始める!』

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