028『準備:本拠地』
その直後、浅見は正式にヘンリエッタから協力の要請を受けた。
なんでも、封印の処置には人手が必要なのだそうだ。封印についての詳しい方法も教えられた。こうして浅見の退路は断たれてしまったのだ。
しかし、これでやっとヘンリエッタとマヒトの関係性が浮き彫りとなった。只の宝石探しだけで不死者のマヒトと関係を持つとは考えにくい。しかし、彼女の言うバンパイアハンターとしてなら過去に共闘する事もあったのだろうと想像できる。マヒト自身曰く、魔の物に対する日ノ本の要の役だそうなのでそう言う事もあったのかもしれない。
――うまく生き残れたら、後でマヒトに話を聞いてみよう。と思う浅見なのであった。
浅見はカードで料金を支払いすき焼き屋を後にした。
――さて、ここからが正念場だ……。
車へと戻った浅見は車に積んであった濃いグレーのスーツに着替えた。靴は一見ではわからない黒革製の安全靴。右の靴下にマッチ箱サイズのGPS発信機、左の靴下には小ぶりのガーバーのシースナイフを仕込む。バックルの下には特注品のTハンドルナイフ、ベルトの後ろにはフックナイフ。胸のペンは愛用のS&W社製のタクティカルペン。その他、至る所のポケットに手の平サイズで菱形の棒手裏剣が数本づつ仕込まれている。プリペイド携帯とスマホの電源も確認した。
――よし、準備は整った。まあ、相手がゾンビや吸血鬼だとどれくらい効果あるか判らないが……。
「行こか」
「ええ」
不安を抱えたままヘンリエッタと車に乗り込み出発する。神奈川県川崎市にある川崎港を目指す。
京浜港の一つである川崎港は日本を代表する物流拠点の一つだ。正式名称は京浜港川崎区。日本の国際戦略港の一つである。フェンスの向こうの物流センターには、出荷待ちの新車やコンテナが立ち並ぶ。それらを横目に見ながら待ち合わせ場所の東扇島西公園へと向かって車を走らせた。
港の敷地を通り過ぎ、すぐに幹線道路から南へ入る。車をUターンさせて道路の路側帯へと車を止めた。
ここへ来るまでに確認できた監視らしき車は二台。監視体制の常識からすると少し少ない。恐らくもう三台くらいは見えないように配置されているだろうと思われる。
浅見はヘンリエッタを連れて車を降り、公園内へと進んだ。十一時五十三分――約束の時間まで残り七分。
公園のほぼ中心。設置された街灯のすぐ下へ黒いパンツスーツの細身の女が立っていた。
黒髪を肩口で揃え目つきは鋭い。左の脇に膨らみがあるのが見える。銃を携帯しているのだろう。
細身ではあるがその動作はしなやかで黒豹を連想させる。軍人ではなさそうだが格闘戦は相当工夫しないと敵いそうにない。恐らく国家安全部の人間だと想像できる。
「ヘンリエッタト、アサミ……ダナ」片言の日本語で問うてくる。
「ああ」――名前を教えた覚えは無いがな……。
「ドラクルハ、モッテキタカ?」
「ええ、ここに」ヘンリエッタは右手でその豊満な胸を抑える。
「コッチダ、ツイテコイ」
「ちょっと待て、山田美姫はどこだ!」浅見はどっしりと構え怒鳴りつける。
「チッ!」
――当然の要求なのに、こいつは思いっきり舌打ちを返しやがった!
女はポケットからスマホを取り出し、早口の中国語で何かを叫ぶ。
すぐにどこかから公園の外の道路にシルバーのワンボックスカーが現れた。サイドドアが自動で開く。
シートに長身の女性が目隠しをされて座らされているのが見えた。
彼女が恐らく山田美姫本人で間違いないだろう……。
本来、山田美来と取引する目的以外に彼女の利用価値はない、だからすんなりと渡すのだ。
「ココデオロスカ」女が問うてくる。
「いや、川崎駅で開放してくれ」
「ワカッタ」
女は大声の中国語で運転手に指示を出した。運転手は二度頷き車を出発させた。
浅見達は車を見送った。
――残念ながら彼等は、川崎駅に着くことは無いだろう……。
浅見は元同僚の植木に電話した際に人質の事は話しておいた。なので、現在この埋め立て地から出る全ての道には神奈川県警によって緊急検問が敷かれる手筈になっている。辿り着く前にまとめて逮捕される事になるだろう。
勿論、もしこの場で引き渡される事になった場合は、後でこっそりと植木にサインを送り保護してもらう予定も組んでいた。
「ソレジャ、ツイテコイ」
女はそう言って海の方へと歩き始める。
女が公園の端の柵をひらりと越える。浅見とヘンリエッタもそれに続く。
柵を越えた防波堤の下には、漁船型のフィッシングボートが浮かんでいた。
女は堤防から身軽そうに飛び降りて船に乗り込み、操舵主に中国語で指示を出す。
浅見とヘンリエッタもそれに続き船に乗る。それと同時に船はいきなり走り始めた。
バックをしながらの急反転。そして、エンジンが唸り上げ急発進。船は沖へと向けて疾走する。
夜の沈み込む様な暗い海。次第に遠ざかって行く街の明かり。月明かりに照らされて輝く海原。その先へと小さく跳ねるような速度で船は突き進む。
――想像はついていた……。
公安調査庁は無能な組織では決してない。むしろその諜報能力だけ見れば世界基準で見ても優秀と言える。だが彼等は一部の特殊な案件を除き強制捜査をする権限を持ち合わせてはいない。そのためどうしてもその諜報活動に制限がかかってしまうのだ。
そして恐らく、公調は既に白劉羽の居場所をある程度特定している。それなのに、警視庁にそれを伝えていなかった。それは何故か?
勿論バチカンの思惑もあるのだろう――だが、それだけでなく、多分その場所にいると確信が持てなかったと言うのもあったと想像出来る――。
潜伏場所が民家やホテルであれば、周辺住民や従業員への聞き込み、そして電波の盗聴などで絞り込むことが出来る。だが、相手が海の上では、そう簡単には手が出せない――。
暫くすると進行方向の海原に煌々と明かりを灯す大きな船が見えてきた。
シルエットで甲板の上にコンテナが並んでいるのが判る。
フィッシングボートが次第に速度を緩めつつそれに近づく。
暗い夜の東京湾に浮かぶ大型貨物船。
この貨物船こそが、チャイニーズマフィア黒蛇の本拠地だ。
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