027『ビール:ストリゴイ』


 ――失敗した!

 これは間違いなくビールが必要な案件だった。


 浅見は素直に自分の過ちを認めた。何を置いても夏のすき焼きにはビールが必要だったのだ。

 目の前に座るヘンリエッタが美味しそうに生ビールのジョッキを傾けている……。

 ――まだ車の運転をしなければいけない……。羨望のまなざしのまま全てを捨てて、ビールを注文しそうになる自分を必死で抑えこんだ。浅見は仕方なしに冷たい麦茶で我慢する。


 そして、甘みを増した白ネギ。ぐつぐつと揺れる焼豆腐。舌の上で蕩ける様な霜降り和牛に舌鼓を打つ。


「なあ、ヘティー。君はもうラクミリ・デ・フィユを手に入れた。儀式の事は黒蛇の連中を捕えて聞きだすのでは駄目なのか」

 恐らくこの先は事情を知らずに踏み込んで良い領域ではない。そう覚悟を決めた浅見はヘンリエッタに疑問の説明を求める事を決断した。


「……駄目です」ご飯を白滝で包み込み口へと運ぶヘンリエッタ。

「それは実際に儀式を見ないといけないと言う事なのか」

「ええ、そうです」ヘンリエッタは言い切った。

「それは何故」

「彼らの言う開封の儀が本物かどうか実際にこの目で確かめないといけません」

 ――確かに七人の人間の血を集めるのは他ではできないか……。他では確認する事すらできないかもしれない。


「そうか……、なあ、白劉羽は君がそれを知りたがってるのを判っていた様だが間違いないか」

「ええ、アレは私がソロモンの鍵を求めているのを知っています。だから私に取引を持ち掛けてきました。そして、私がそこに行くのを疑ってもいないでしょう」

 ――成る程、これは二段構えの計画だ。最初から山田美来から宝石を手に入れられなかった場合はヘンリエッタと交渉するつもりだったのだ。だから黒蛇の連中はこちらの捜査を邪魔してこなかった――いや、ワザと見逃していたのか。

 そして、御殿場では疑問を持っていたヘンリエッタが、今、確信をもって言い切ったのは、その事が例の報告書に書かれていたせいだろう……。


「だが、奴等の目的は何だ。今更、儀式をしたところでどうせ逮捕されるに決まっていると言うのに……」浅見は呟くように囁いた。

「死人は逮捕されませんよ。日本の法律では」そう言いながらヘンリエッタは焼豆腐をつつく。

「え? どう言う事だ」一瞬、浅見の箸が止まる。

「このラクミリ・デ・フィユに封印されているのは見紛うことない上位の吸血鬼です。闇の眷属になれば逃げる方法などいくらでもあります」

「ちょっと待て! そうすると、白劉羽の目的は自らその吸血鬼の犠牲になる事なのか!」浅見は思わず叩き付ける様に箸をテーブルへと置いた。

「そうです、その後すぐにまた封印すれば主を失った下位吸血鬼の出来上がりです」言いながらヘンリエッタは焼豆腐を頬張る。

「それじゃ、奴等の言う不老不死と言うのは……」

「下位の吸血鬼は謂わば動く死体です。死人は死にません」

「……」――マヒトの忠告はこれの事か……。もしかして、公安調査庁の連中が手を出さないのもそれが原因……公務員はオカルトには手を出さない……。確かにそれなら儀式の後にラクミリ・デ・フィユは必要ない。……あれ? 何か私はまたとんでもない事に巻き込まれてるのだが……。


 浅見は呆然としながらゆっくり視線を上げる。ヘンリエッタが最後のお肉を鉄鍋から掬う。

「心配しないでください。貴方の事はマヒト様からお願いされていますから」

 そう言い放ちながらヘンリエッタはお肉を頬張りジョッキのビールを美味しそうに飲み干した。

 ――ちょっと、帰りたくなってきた……。



 そもそも吸血鬼とは、民話や伝承に登場する存在で、生命の根源とも言われる血を吸い、栄養源とする蘇った死人または不死の存在のことを指す。西洋で有名なヴァンパイアを始めとして、ギリシャのラミア―、アラビアのグール、マレーシアのペナンガラン、中国のキョンシーなどもその仲間である。


 ヘンリエッタの語る吸血鬼は、ルーマニアでストリゴイと呼ばる生ける死者であるらしい。一度死んで蘇った者。日本では起き上がりやカタスクニと呼ばれる。その身に宿す血液の中のオドと呼ばれる生命エネルギーで動いている。

 特にラクミリ・デ・フィユに封印されているそれは既に実態は無く、本当に血液だけの存在となっている上位の吸血鬼らしい。


 一般的に言われている吸血鬼と特徴はほぼ同じで、弱点は太陽光。しかし、既に実態を失っているため日の光を浴びせかけると激しく抵抗しすぐに逃げ出してしまう。その為に封印と言う処置が施されたと言う事だ。

 その他、上位種の特徴として血を吸って相手を殺し、血を与えて眷属にする。特殊な能力と言うのはまだ無い様だが、人の形になると人間の四~五倍程度の力を発揮するらしい。


 血を吸われ眷属となった者が下位の吸血鬼。眷属だけあって上位の吸血鬼の命令には絶対に逆らえない。

 下位の吸血鬼は血だけになっても生き残ると言う器用な真似はできない。首を切られたり心臓を突かれると血を失い滅んでしまう。勿論、太陽の光にも弱く日の光を浴びると滅んで灰になる。血を吸っても眷属を作ることは出来ないが、低確率で人を襲う自我の無い化け物、屍鬼を生み出してしまう。


 屍鬼はただ人を襲う化け物だ。自我は無く本能で人に襲い掛かり死肉を貪るらしい。頭部を破損したり、血液を失うと活動できなくなって死体に戻る。こちらも低確率で屍鬼を生み出す。――まるでゾンビだな……。



「ヘティー、何故、君はそんな事まで知っている」険しい目つきで浅見は問いただした。

 それに食後の祈りを終えたヘンリエッタが答える。

「言いませんでしたか。ヴェルガ家はバチカンと共存関係にあると……」


 ヘンリエッタがこちらをしっかりと見据え微笑みかける。

「……件の一件以降、ヴェルガ家はバチカンの依頼を受け吸血鬼を退治する 〝バンパイアハンター〟 となったのですよ」


 ――私は帰っても良いだろうか……。

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