025『ドラゴス:イリーガル』
「さて……「あんた誰?」……ぐっ」
浅見の言葉の途中に美来の鋭いツッコミが突き刺さる。
「この人は、私の雇った探偵です」すかさずヘンリエッタのフォローが入る。
「……と言う事だ、浅見と言うよろしく」
「ん」
浅見は周囲を見渡した。ここは神奈川県警本部庁舎の駐車場。入るのに守衛もいるので後を追われている様子もない。取り敢えずの安全は確保されている。
まだ、ショートヘアーで赤渕眼鏡の山田美来は後部座席から運転席に座る浅見を怪訝そうな目で睨みつけている。
「この人は大丈夫よ美来ちゃん。私の雇った探偵だから」気が付いたヘンリエッタが再度なだめてる。
浅見と大して年齢は変わらないはずの美来だが、バックミラーに映る姿は背も低く小柄な身体でちゃん付けが良く似合っている。
「ロリペド野郎の匂いがする」
「するか!」脊髄反射で瞬時にツッコミを入れた浅見。しかし、その脳裏には淡島神社のマヒトと赤星の姿が浮かんでいた……。
美来の口撃によって打ちのめされた浅見は運転席で沈黙を守っている。
「美来ちゃん。早速取引をしましょう」後部座席に並んで座るヘンリエッタが言い放つ。
美来は背に担いだボストンバックを膝の上に置き、そして、その中からアタッシュケース型の金庫を取り出した。
「これよ」
「これが約束の品」代わりにヘンリエッタは左手の薬指から大きなルビーの指輪を外し美来に手渡した。
美来はそれをポケットから取り出した小さなライトビュアーの上に置き呟く。
「ピジョンブラッド……四カラット……確かに受け取ったわ」
三カラット以上のピジョンブラッドは稀である。恐らく価格的には都内の一等地に家が建つくらいだろう。もしかすると名のある宝石なのかもしれない。その場合価格はもっと高くなる。
しかし、浅見の反応は……。――それが結婚指輪で無く報酬だったとは……。と内心絶句した。
浅見は無言でヘンリエッタに鍵を渡す。
ゆっくりと慎重にヘンリエッタはアタッシュケースの金庫を開けた――。そうして……。
「……おお、ドラゴス……」
ヘンリエッタはケースから逆三角形のプレートを取り出し、愛おしいそうに胸に抱く。そのしなやかな指先で中心のティアドロップ型の赤い宝石を優しく包み込んだ。
その言葉に浅見は眉をひそめる。――白劉羽は確かそれをドラクルと呼んでいたが……。
ドラクルはルーマニア語でドラゴン(竜)の事を意味する。そして、それはドラキュラの語源にもなっている。だから奴等はその宝石の事を龍の魔石と呼んでいたのだろう……。だが、ドラゴスでは “平和” の意――まるで人の名のようだ……。それにヘンリエッタのこの態度……何かある。
浅見は訝しみながらその光景をバックミラー越しに見つめた。
暫くの時間が経った。ヘンリエッタはその宝石を胸に抱いたまま美来に語り掛ける。
「ねえ、美来ちゃん、実は私達、黒蛇の連中から取引を持ち掛けられているの……。それで、妹の美姫ちゃんが人質になっているの」
「え? どう言う事? そ、そんな、まさか……ど、どうして、あの子は今、大阪に居るはずよ!」美来はその言葉に取り乱し声を荒げ始めた。先程までの強気な態度とは裏腹にその動揺を隠せてはいない。
「連中、恐らく美姫ちゃんを囮にして貴女を呼び出すつもりだったのよ。でも、貴女に連絡が付く前に私達に接触してきたの」
「で、でも……どうして……」
「だけど安心して、私達が無事取り返すと約束するわ」そう答えヘンリエッタは優しく微笑んだ。
「そんな……私、パパに外と連絡しないように言われてて、気が付かなかったの……」顔面を蒼白にして頭を抱える美来。
「それは、多分、高田渡さんがそこまで想定して行動してたから……これを私に渡す為」そう言ってヘンリエッタはケースから書類の束を取り出した。
「それは、一体何?」
「これは、報告書。黒蛇の組織について調べたものよ」
その言葉に運転席の浅見は一瞬目を見開いた。――そう言う事か……。
「そんな物の為に、パパは死んで美姫は人質にされたというの」
「いえ、連中の目的はあくまでこのラクミリ・デ・フィユの奪還よ。でも渡さんは、どうしてもこれを私に渡さなければならなかったの。その所為で多分奴らに正体がバレてしまった……」
「ねえ、だったら私も一緒に行かせて……私も何か手伝いたい!」
「それは駄目。貴女までも人質にされかねない。だからここからは私達に任せてちょうだい」
「でも……」
そこへ、すかさず浅見が割って入る。
「神奈川県警にはすでに事情が伝えてある。お前が行けばすぐに保護してもらえる」
「でも……私……何か出来る事が……」
「ない」浅見は言い切る。
ヘンリエッタが自分のバッグを漁り1枚の書類を手渡した。
「これはその宝石の譲渡書よ。これを一緒に持って行って」
美来は無言で指輪と書類を握りしめた。
必要な時に何もできない無力感は浅見にもよく理解できる。しかし、ここで同行を許せばこの先の行動に支障をきたすのだ。冷たい様だが仕方ない。浅見は黙って様子を窺った。
山田美来が懇願するような眼でヘンリエッタを見つめる。
ヘンリエッタは無言で首を横へと振った。
この先は何が起こるか判らない。そんな場所に不確定要素になりえる人物を連れてはいけない……。
観念した様子の山田美来は俯いたまま車を降りる。
そして、浅見とヘンリエッタは静かに庁舎内へ消えて行く山田美来の姿を見送った。
「御免なさい、未来ちゃん……」ヘンリエッタがぽつりと呟く……。
だが、これは仕方のない事だ。それに、人質になっている山田美姫を保護する手段は既に講じてある。
この場合二人を無事保護する事が、最優先事項なのだ。
「真、白劉羽に会う前に少し寄ってほしい所があるの」唐突にヘンリエッタはそう口にした。
「東京都文京区で良いか」軽い調子で浅見は答える。
「え?」今度はヘンリエッタが眼を見開いて驚いた。
「行くんだろ、その書類を持って。“東京カテドラル聖マリア大聖堂”へ」
「どうして、それを……」
「殺された高田渡氏は、バチカンの諜報機関 “サンタ・アリアンザ” のイリーガル(スパイ)だった。そう言う事だろ」
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