第4章 ソロモンの鍵

024『赤レンガ倉庫:通信』


 横浜赤レンガ倉庫は横浜港にある歴史的建築物である。明治政府によって保税倉庫として建設され、建設当時の正式名称は横浜税関新港埠頭倉庫である。平成元年に保税倉庫としての役割を終え、現在は商業施設を含む赤レンガパークとして整備され観光施設となっている――。


 国道沿いのネカフェを後にして、浅見とヘンリエッタは赤レンガパークへとやって来た。

 浅見は海側の道路へ車を止めてそのまま待機。インカム無線機を通じてヘンリエッタと会話する。

 ヘンリエッタは赤レンガパーク前の広場を突っ切り、ショッピングモールの入った2号館へ向かって歩いた。


「どうだ、ヘティー目標は見えるか」マイクに向けて浅見は話す。

 ヘンリエッタは髪をかき上げる動作でごまかしながら小さな声で答える。

『いえ、まだ現れない……。少し2号館入口へ向けて移動します』

「了解」


 浅見の方からは、広い広場には疎らに人が歩いているが、今は不自然な動きをする人物は見当たらない。


 ここを取引場所に選んだのは用意周到な高田氏なのだろうと思われる。この見通しの利く開けた空間であれば周囲の異変の察知もしやすく、異変に際して逃走にも移り易い。さらには観光客やショッピングモールの出入り客の視線も適度にあり、待ち合わせも不自然に目立たない。取引をする側からすれば最適な場所と言える。

 ――それにしても、高田氏はこんな場所まで用意しているなんて、とても素人とは思えんな……。


 時刻は十七時五十分。太陽も随分と傾き沈みかけている。

 僅かに暗くなり始めた明かりの中を、急ぎ足で歩く買い物客や手を繋ぎイチャつくカップル達。どこにでもある穏やかな日常の光景の一コマ。ここには静かな時間が流れている――。

 ――仕事で無く、観光できているのならヘンリエッタとゆっくりショッピングでも楽しみたいところだな……。


 その時、観光施設メインの1号館が閉館時間になったのか、奥の方から大量の観光客が押し寄せてきた。すぐにヘンリエッタの姿が見えなくなった。


「ヘティー、今どこだ」浅見はマイクへと語り掛ける。

『現在、2号館正面入り口の柱にいるわ……』

「目標は」

『まだ現れない、もう少し奥へと移動する?』

「いやそのまま待機だ」

『わかった』


 ――恐らく山田美来はどこかからヘンリエッタの事を監視しているだろう。人ごみの中にあっても彼女のサラサラプラチナブロンドの髪は目立ってしまう。人ごみに紛れることは無いのだ。そして、黒蛇の連中もその光景をどこからか見ていると思われる……。


 御殿場を出発してからヘンリエッタは視線を感じていないと言ってはいたが、それは監視を外れたと言う訳では決して無い。ヘンリエッタの警戒している様子からより尾行に長けた者にシフトチェンジしただけと考えるのが自然だろう。

 取引を持ち掛け油断させ、あわよくば尾行から拘束とか裏社会においては常套手段なのである。だから、奴等はどこかから必ず見ている――。


「ん?」

 人ごみに紛れて黒いスーツのガタイの良い男が二人近づいて来きている。

 普段街中では目立たぬスーツ姿だが、観光客とおしゃれをした買い物客でごった返してるこの場所では逆に異彩を放つ。このことも高田氏は想定をしてこの場所を選んだのだろう……。


「ヘティー。三時方向からエネミー接近。一旦その場から離れろ!」浅見はインカムに向かって指示を出す。

『待って、真。目標を発見したわ。建物の中よ。迎えに行く……』

 一瞬、2号館の建物の中へ消えるプラチナブロンドが見えた。

「な、待て、ヘティー! 一旦逃げろ、ヘティー、応答しろ……くそ」通信障害が起こっている。ここには電波を阻害する何かがあるようだ。


 スーツの二人組もヘンリエッタの姿が見えたのか、手近な扉から建物の中に駆け込んだ。

 ――まずいな。こいつら、荒事になったとしても強引に二人を連れ去るつもりかもしれない! しかし……。


 本当ならばすぐにでもヘンリエッタの元へ向かいたい。だが、そうすると今度は建物の周囲の監視が出来なくなる。知らないうちに取り囲まれると退路が断たれてしまうのだ。今、浅見がここを動くわけにはいかない。

 ――ここは、ヘンリエッタを信じて待つしかない……。浅見はそう判断を下した。


 しかし、僅か数十秒。連絡が無い事に苛立ちが募る。

 ――やはり、私も突入すべきか……どうする。判断がぶれる。


 その時、やっとヘンリエッタから通信が入った。

『まこと……も……確保……』

「ヘティー! すぐにそこから離れろ! エネミーが向かったぞ!」

『りょ……』通信は途切れた。

 ――今のでうまく、意図は伝わったのか?


 浅見はエンジンを掛けたまま車を降りて周囲を見渡す。――尾行があの二人だけなはずはない。他の連中はどこだ!

 建物の周辺には見当たらない。建物の裏側か? それとも向こうの海の方か?

 ――だとするとあの二人は陽動役か……いや、どちらかと言えば追い立てる猟犬役だったのか。くそ! ヘティーはまだか? このままではすぐにでも包囲網が狭められ退路が断たれる可能性がある! 焦りが苛立ちへと変わって行く。


 ――ここから、ヘンリエッタを迎えに行って、別の退路で避難すべきか……。それとも、直接男どもの前に現れて邪魔をすべきか……。次の判断はどうする……。苛立ちが冷静な判断の邪魔をする。

「くそ!」思わず声が出た。


「お待たせしました」


 浅見は声に振り返る……。背後にはいつの間にか山田美来を連れたヘンリエッタが立っていた。

「……」――あれ? 前を見ていたはずなのに見えなかった……。

「すぐに出発しましょう」ヘンリエッタが蠱惑的な笑みを浮かべる。

「……ああ」再起動した浅見が答える。


 三人は急いで車に乗り込み発進させた。



 前の通りに出て橋を渡り、そのまま右折。すぐに右手に大きな白い建物が見えて来る。

 浅見は守衛に挨拶して、その建物の駐車場に車を乗り入れた。


 赤レンガ倉庫から僅か数百メートル。橋を一本渡ったところに建つこの建物の名は “神奈川県警本部庁舎”。

 恐らくここが、取引に際して高田氏が用意した緊急時のセーフティーゾーンだ。


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