022『休憩:保険』
浅見はインターネットカフェの受付で通路を挟んで向かい合う個室を二つ借り受けた。本当はツインルームやカラオケも出来るファミリールームもあったのだが、今日は深夜まで活動する予定なので少しでも体を休ませておきたいのだ。それにやっておきたいこともある……。
「あの……これは、どう過ごせばいいのでしょう……」向かいの部屋の扉を開けたままヘンリエッタは困惑している。
まあ、いつも帝国ホテルを定宿にしている様なセレブなので知らないのも無理はない。
「ドリンクは受付横のドリンクバーで、漫画が読みたければ適当に本棚から持って来て、映画やテレビはパソコンを立ち上げれば見れる、見方はパンフレットに書いてある。シャワーの使用は受付に聞いてくれ。後は時間までご自由に」と店員のような説明をしてみた。
「はあ……」やはり困惑気味のヘンリエッタ。どうやら、ここの利用価値自体が分かって無い様子である。
――まあ、習うより慣れろだ。
浅見はリクライニングシートを目いっぱいに倒し横になり、そして扉を閉めた。
「それじゃ二時間後に」
どうやらヘンリエッタはパタパタと受付の方へ移動したようだ。飲み物でも取りに行ったのだろう。
浅見はポケットからスマホを取り出しマヒトに電話を掛けた。
『むう、何の用じゃ』何やらご機嫌斜めの様子だ。まあ、どうせ冷凍炒飯に砂糖を掛けたが美味しくなかったとかが理由だろう。この前も同じような事をやっていた……。
ちなみにマヒトのこの行動は、浅見が料理の最後に一手間かけて美味しく仕上げるのを真似てのことだと思われる。いつも冷凍炒飯には熱々のバター醤油を少し加えて香りとコクをプラスするのだ。
「今晩、用事が出来て帰れなくなりそうだ」ちょっと冷たい口調で言ってみる。
『な、……んじゃと……』ガーンと言う効果音が聞こえてきそうなくらいで絶句している。
「仕方ないだろ、お前が持ってきた仕事だし、こっちは忙しいんだ」
『その様な事で妾の食の安全はどうするのじゃ』
――思い切りぶっちゃけやがったな……。いや、その安全を脅かしてるのは自分自身だから私は知らない。大体料理もできないくせに自分でアレンジしようとするのが間違っている。なので……。
「知らん。食材はいっぱい買い込んであるんだ自分で何とかしろ」
『むう……』
――これで、良し。
「なあ、それよりマヒト。お前はラクミリ・デ・フィユに吸血鬼が封印されていることを知ってたのか」ついでに浅見は気になっていたことを質問する。
『当然じゃな。妾は元々陰陽寮に居ったのじゃ。この日ノ本の国の魔の物に対する要の役を担うておる』不機嫌そうに答えるマヒト。
――うん、薄々は気が付いていた。多分、そんな事だろうと……。以前に宮内省のお偉いさんや、神社関係の出入りが激しかったのはそう言う事だ。そして恐らくマヒトが眠りに就いている間にその役の一端を担っていたのが、私の公安調査庁時代の元上司:小泉薫なのだろう……。それにしても……。
「黙ってたくせに、何を偉そうに言ってやがる!」
『こう言う事は、知らねば知らぬ方が良いのじゃ。そもそもそなたに頼んで居ったのは人探しの手伝いじゃ。後の事はヘンリエッタに任せれば良いのじゃ』
「そう言う訳にもいかないだろ」――やっぱりそう言う事か。
『まあ、そなたはそう言う人間じゃからの。ただし、くれぐれもヘンリエッタの邪魔をする出ないぞ。これは、あ奴と教皇庁の問題なのじゃからな』
「うん、わかった」――成る程、ここでバチカンが出て来るんだ……。マヒトも最初から知っていたと……。
『そなたの事じゃから問題ないとは思うが気を付けるのじゃぞ、真』
そう言い残してマヒトは電話を切った。
――なぜか私の方が悪い風になっているのは気になるが……恐らくマヒトはこう言う事態になる事は想定していたのだろう。そして、最後はヘンリエッタ一人で事を収めるつもりだった……と言う事だ。それに陰ではバチカンの要請で公安調査庁が動いていると……そして、日本政府は不介入と……何とも大きな話になってきたな……。
浅見はリクライニングソファーに横になり目をつぶる。
――それに、ヘンリエッタはまだ私に隠していることがいくつかあるようだ……。
本来ラクミリ・デ・フィユを取り返すことが目的だったはずなのに、それを置いて黒蛇の行う儀式を見たいと言い出した事もそうだ。
一体なぜそこまで儀式にこだわるのだろうか? 内容を知るだけなら黒蛇の連中を逮捕してから聞き出しても良いはずなのに……これではまるで儀式そのものを見たいと言っている様に思える。儀式を行う事に何か特別な意味があるのだろうか?
さらに、白劉羽はヘンリエッタがその事に興味を持つのを知っていた節がある。だからあの時自分から儀式の内容を一部明かしたのだろう……。
その上、公調の動きも妙過ぎる。ここまでの事態になっても何も手も打ってこない。本当にヘンリエッタ一人に押し付けるつもりなのだろうか……。
――分らないことが多すぎる。もう少し事情が判明するまで、様子を見るしかないだろう……。
「一応、保険を掛けておくか……」
浅見はそう独り言ちり、もう一度ポケットからスマホを取り出した。
そして、アドレス帳を開き、公安調査庁時代の元同僚の
――前に高田宝飾店に居た時に『逃げろ』と電話を掛けてきたのはこいつである。警察の動向を知ることが出来、かつ私の電話番号を知っていて、音声変換ソフトを使える人物は、周囲にフィールドマウスとこいつくらいしか思いつかない。
さらに言えば、長部のオッサンに泡嶋神社の住所を教えたのもこいつだろう……。警視庁に出向く用事あって、かつ神社の住所を知っているのは、私の元上司の小泉薫とこいつしかいないのである。そして小泉はオッサンと軽口をたたく事は無い……。そう、ヘンリエッタが泡嶋神社に来る前から公安調査庁はすでに動いていたのである。だからあの日オッサンが私を訪ねてきたのだ。今回はこいつの所為で事件に巻き込まれてしまった……責任をとってもらうとしよう。
〝さて、こいつをどう使おうか……。〟
「もしもし、植木か。あのな……」
浅見は電話口で黒い笑顔を浮かべながら話し始めた。
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