021『黒電話:ネカフェ』


 二人を乗せた車は無事、横浜元町公園へとたどり着いた。

 近くのコインパーキングに車を止め、公園内を歩いて元高田宝飾店の方へと向かう。


 公園の西の遊歩道から散歩をしている風を装いながら、高田宝飾店の建物の周囲を観察する。

 ――周囲に人影はない。すでに警察のガサ入れも済んだようだ……。

 恐らく警察は、本田強一との取引の有無について重点的に調べているのだろう。だから、高田氏の過去の仕事については、あまり興味を示していないのだ。もっともあそこに残されていた有力情報は、浅見が持ち出したパソコンの他は書類だけだったので、それは押収されているだろうが――。


 さらに、浅見とヘンリエッタは注意深く建物に近づき観察する。やはり周囲に黒蛇の連中らしき人影も見当たらない。

「誰もいないようだな……」浅見はそう小さく呟くと、おもむろに玄関に近づき鍵を使って扉を開けた。

 二人の姿が滑り込むように建物の中へと姿を隠す。



 宝飾店の中は乱雑に置かれていたショーケースやテーブルが、脇に避けられて歩きやすくなっていた。

 ――人気も無い様だ……もし、警察に見つかっても、宝石の取引の用事で来たと言い訳すれば何とかなるだろう……。


 そう考えながら浅見はつかつかと奥へと進み、カウンターの上に置いてある黒電話へと向かった。


 綺麗に整理された白色のカウンターの上にポツンと置かれた懐かしい形状の黒電話。

 受話器をそっと持ち上げヘンリエッタに手渡してダイヤルを回す。“090-××××-××××”

 ――これで繋がるのか……。恐らくこの場所から指定の番号に電話を掛けることが条件になっていると思われる。


「もしもし……」ヘンリエッタが話しかける。

『カチャ……』

 黒電話にスピーカーは無いので仕方なしに浅見も受話器に耳を近づける。ヘンリエッタの吐息が頬をくすぐる。


「もしもし、美来」

『ヘンリエッタ?』

 ――ああ、やはり二人は知り合いだった……。浅見は気づかれないように小さく息を吐き出した。


『ヘンリエッタ、ヘンリエッタ、無事だった? 心配してたの……パパがあんなことになるなんて、私……』小さく聞こえる子供の様な女性の声。

 浅見はこの言葉に目を見開く。――パパと言うのは高田氏の事だよな。パパってアレかパトロン的な奴? それとも、本当の父親だったのか? いや、この女性を天使に例えていたのなら後者の可能性が高いのか……。


「落ち着いて、美来ちゃん。今どこにいるの」

『駄目。絶対教えるなって言われてるから……』

「宝石はあなたが持ってるのね」

『ええ、ここにあるわ』

「どうやって取引するの」

『本当だったら、私がそこへ宝石を持って現れるつもりだったの……でも沢山人が出入りしてるから場所を変えましょう』

 ――ん? この建物自体にはセキュリティーらしきものは見当たらなかった。もしかして、この建物が見える場所に居るのか? それとも他に協力者が居るのか?


「ええ、わかったわ。場所はどこ」

『今晩六時、場所は横浜赤レンガ倉庫前で』

 ――すんなりとその場所の名が出るのは事前に決めてあった場所なのだろう……。随分と用意周到だな。


「わかったわ。それで、あなたは今無事なの」

『ええ、電話がかかってくるまで、絶対にここを動くなと言われて、私……ねえパパはどうなったの』

「美来ちゃん。残念だけど私がマンションに行った時には高田さんはもう亡くなってたわ……」

『……そう……』

「ごめんなさい、助けることが出来なくて……」

『ううん、こんな商売だから、パパも覚悟はできてたの……。でも、駄目ね、私……』

 ――覚悟?


「それじゃ、今晩六時、場所は横浜赤レンガ倉庫前で必ずまってるわ」

『……ええ……』

 プツリと電話は切れた。

 ――ふう、なんとか取引は続行と言う事で一安心だ……。



「ヘティー、山田美来とは元々知り合いだったのか」受話器を置きながら少し厳しい口調で浅見が問う。

「ええ、すみません。以前、高田氏のお店で一度だけ……。でもその時は自分の娘だとだけ紹介されて、仕事の手伝いをしてるのは聞かされていません。それに、美来ちゃんの話はよく聞かされていましたが、妹がいるとは聞いていませんでした」済まなさそうにヘンリエッタがそれに答える。


「ん? だが住民票には名前があったぞ……ああ、そうか、もしかして父親が違うのか……」

 ――山田美来と山田美姫は互いに婚外子で父親が別の姉妹なのかもしれない……。どうやら高田氏の系譜図はかなり複雑な事になっている様だ。まあ、色々と想像は膨らむが今回の事とは関係ないので今は無視しよう。


「でも、美姫さんの事はとても話せませんでした……」ヘンリエッタは俯き加減でそう話す。

「うん、あれは仕方ない。まだ気が付いていないようだったし、今、話しても動揺させるだけだ。妹の事はラクミリ・デ・フィユを手に入れてからの方が良いだろう」と言っておく。

 ――それに、このシチュエーションで動揺を広げて、突飛な行動に出られても困るしな……。例えば、勝手に黒蛇の連中と話を付けようとして動かれると、とてもでは無いが彼女を守り切れない。そう言った意味でもヘンリエッタの判断は正しかったと言えるだろう。それにしても高田氏のイメージが少し変わった……。妙にブレの無い行動力は一体何なのだ? 覚悟とは何なのだ? 何か奇妙な感覚がする。


「さて、それなら警察が来る前にここを離れよう」

「はい」

 浅見はヘンリエッタを先導するようにして元高田宝飾店を後にした。



 周囲を警戒しながら車まで戻ってきた浅見は呟く。

「待ち合わせまであと四時間か……」

 ――喫茶店や飲食店で時間をつぶすにしては長すぎる。かと言って、映画を見ている場合でもない。それに体を少し休めたい。となると、あそこかな……。


 浅見はコインパーキングから出て車を走らせた。

 そして、国道沿いにあるインターネットカフェへとやって来た。


「ここは……」困惑気味のヘンリエッタ。

「インターネットカフェだよ。まあ、パソコンの置いてある休憩所だな。ドリンクは飲み放題だし、漫画やシャワーもあって時間をつぶすには最適だ」

「はあ……」

 どうやら良く理解できない様子である。


 浅見はヘンリエッタを連れて扉を潜った。


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