019『逸話:溜息』
「今から百年と少し前……」ヘンリエッタは静かに語り始めた――。
ルーマニア王国の貴族だったヴェルガ家は、僅かな領地を治める地方の弱小貴族であった。これと言った特徴も特産物もない代わりに、争いも無い静かで穏やかな農村。そこでは家々は貧しくあったが互いに手を取り合い、慎ましやかな生活が営まれていた。そんな領地だったそうである。
ところがある日、その村である事件が起こった。
村はずれに住む一家が忽然とその姿を消したのだ。
前日まで普通に畑を耕していた四人家族の農家である。
ヴェルガ家の当主は率先して村人を率い周囲の山や森を捜索を開始した。
それから五日ばかり――その一家は離れた山の中で発見されたのだった。
いや、正確には遺体は発見されなかった。
遺体はこの辺りの獣にでも食べられたのか、その着衣と装飾品のみが散乱していたそうである。
そして、その一家に一体何があったのか判らぬまま捜索は打ち切られた。
それから、一か月の後……。
美しい満月の晩に、別の一家が行方不明となってしまった。
再度の捜索が開始される。
それから数日後――またしても離れた山中で着衣のみが発見されたのだった。
しかし、当主はこの時その衣服の中に、僅かばかりの灰が付着しているのに気が付いた。
「これは、言い伝えにある吸血鬼の仕業では無いだろうか……」
この地方でも吸血鬼は太陽の光を浴びると灰になると言い伝えられていた。
当主はすぐさまバチカンへ手紙を送り調査を依頼した。
バチカンは一人の悪魔祓い(エクソシスト)の神父を送り込む。
だが、証拠となるのは衣服に残された僅かな灰のみ。調査は難航した。
そして、一月ごとに起こる失踪事件は止まらなかった。犯人の手がかりも掴めぬまま事件は続く。
その間に次第に噂は広まり、恐慌をきたし始める村人たち。
一人、また一人と村を去って出て行ってしまった。
結局、その後も事件は続き、最初の事件から一年ほどが経過したのだった。
最後に村に残されたのは、領主とそれに仕える家の者達のみ。
全員で領主の館に立てこもり、犯人の襲撃を待つこととなった。
「吸血鬼と言うのは招かなければ屋敷内に入ることは出来ません。誰が来ようとも答えなければ入ってくることは出来ないでしょう」と悪魔祓いの神父は言う。
だが、この時、神父はもう一つの可能性を見落としていた……。
突如、襲撃は起こってしまった!
叩き付ける様な雨の嵐の晩に、領主の館の中で人が次々と消え始めたのだ。
残った全員で武器を手に持ち、大広間に集まり身を守る。
そして、ついに犯人が皆の前にその姿を現した。
その犯人は――この館へ避難していた少年の一人だったのだ。
当主はその少年に飛び掛かり力づくで無理矢理押さえつける。
その隙に悪魔祓いの神父が、その吸血鬼に封印の術を施した。
そして、術は成功した。
こうして、その場に残されたのが “ラクミリ・デ・フィユ”(子供の涙)と呼ばれる宝石だったのだ……。
「……その後、このことがきっかけでヴェルガ家は領地を失い没落し、ルーマニアからハンガリーへと移り住む事となったと聞いています」とヘンリエッタは静かにそう語り終えた。
「それが封印された吸血鬼……ふむ興味深い。実際に合った話なんだろ」浅見はそう言いながら顎に手をやり考え込んだ。
「ええ、そうです。そして、恐らく彼等はもう一度その封印を解き、吸血鬼を復活させるつもりです」
「何故そう言える」
「ヴェルガ家に詳しくその方法は伝わっていませんが、その封印を解くにはソロモンの鍵と呼ばれる七芒星の魔法陣を使うそうです。そして本来の悪魔を呼び出す儀式としては、牛・山羊・羊・鳥・蛇・カエル……それと人間の七種の生贄が必要とされています」
「だから七人の血なのか……」
「はい、恐らく。あの石の 〝解封の儀〟 は悪魔召還の応用のはずですから、七人の人間の血を用いるのでしょう。しかし、何故彼等がそれを知っているのかは判りません。ですが、もし、それが本当であるとするなら、あの石の管理者である私はそれを確認しなければなりません」
「だから取引にも応じたと……」
「はい。それを確認したうえでもう一度封印を施し、さらに解封出来ない封印を探さなくてはいないのです。それが、バチカンから管理者の権限を与えられたものの責務です」
「バチカンから……」
「ええ、あの石は封印に手を貸し事情をよく知るヴェルガ家にその管理が任されました。ですからラクミリ・デ・フィユは、二度と封印が解かれないよう我が家に安置されなくてはならないのです」
――うん、ヘンリエッタがマヒトを訪ねてきた経緯がなんとなくわかってきた……。まだ私が公安調査庁で働いていた時にも、バチカンからの要請の仕事を受けたことがある……。今回も同じように要請が来ているとすれば、すでに背後で公安調査庁は動いていると言う事になる。だとすると、誰かがヘンリエッタをマヒトに会わせるように動いていたとしても不思議ではない。きっと今回は事件がオカルト絡みなだけに陰ながらヘンリエッタをサポートするつもりで動いているのだろう……。そして、何故か公調は犯人逮捕には協力するつもりが無い。長部のおっさんが怒る訳だ……。
「うん、わかった。話は理解した」
「そう言う訳ですので、ここから先は私一人で行動させて頂き……」
「ダメだ」ヘンリエッタの言葉を遮るように浅見は言った。
「なっ……」声を詰まらせるヘンリエッタ。
「そこまで話を聞いた以上、私が最後まで付き合うべきだろ。移動するにしたって移動手段の無い君では、無理だ」
「……」ヘンリエッタは押し黙る。
「それとも君は、無関係のタクシーの運転手でも巻き込むつもりなのか」
「ですが……」焦りの表情を浮かべるヘンリエッタ。
「それに待ち合わせは今晩だ。現実的に考えて、今から色々手配していたら間に合わなくなってしまう。妹の山田美姫の命も掛かってるんだ。一刻も早く横浜に戻って連絡を取らないといけない。そうだろ」
ヘンリエッタは力なく頷く。「はい」
「よし、そうと決まれば急いで横浜まで戻ろう」
浅見はそう言うとクルリと後ろを向き、足早に部屋を出て行った。
そして、後に残されたヘンリエッタは、呆れた表情で大きく溜め息をつくのだった……。
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