018『交渉:魔石』


 浅見は静かに受話器を持ち上げた。

「もしもし……」

『そこに居るのはヘンリエッタ・ヴェルガと誰だ……』受話器に響く重く低い男の声。

 ――お前こそ誰だ? 聞き覚えは無い声だ。

 ヘンリエッタも受話器の反対側に耳を近づける。

 ――近い、近い、近い、頬が当たる。吐息がかかる。思わず浅見はスピーカーボタンを押した。


「私は探偵だ」静かに浅見が答える。

『成程、警察に駆け込まなかったのは正解だ』

 ――こいつ警察の者ではない。


「お前は、誰だ」

『俺の名は白劉羽。黒社会 〝黒蛇〟 の首領だ』

 ――何? 白劉羽だと、本物か? やけに日本語がうまい。


 黒社会とはチャイニーズマフィアの事を指す。だが上下関係の厳しいチャイニーズマフィア内で、ナンバー3のはずのこの男が首領を名乗るのは余りに危険な行為である。冗談や酔狂では済まされない、場合によっては命に係わる。それでも首領を名乗ると言うのなら、それなりの根拠があると言う事だ。もしくはただの自信過剰な野郎なだけかもしれないが……。


「それで私に何の用だ」浅見は尋ねる。

『俺はドラクルを探している』

「ドラクル?」――ラクミリ・デ・フィユの事を言っているのだろうか?

『ああ、龍の魔石の事だ』

 ――魔石だと……そんな話は聞いて無いが……。


「私達もそれを追っている。だが、残念だったな、お前たちはやり過ぎたんだよ。もう既にお前たちは警察にマークされている。あきらめろ」

『クククククッ……。そうだな、ちと周囲が騒がしくなったな。だから、俺と取引しよう』

「取引だと……」――こいつは何を言っている?

『その石はこれから俺の儀式に使う。それが終わればもう必要ない返してやろう』

 ――儀式?

 横で聞いているヘンリエッタもその言葉に眉をひそめる。


 ――だが、何となく見えてきた……。それが恐らく黒蛇の首領になるのに必要な事なのだろう。だから幹部であるこいつは石を追って日本まで来た。それで跡目争いに決着をつけ首領になるつもりなのだ。そう考えれば辻褄が合う。しかし――その儀式とは何だ? もしかして、そのために血が必要だったのか? だが……。


「話にならんな、私達に何のメリットがある」

『ああ、そうだな……メリットか……。一つ俺たちはお前らを邪魔しない。二つ必要なら手を貸そう。そして、三つ目、捕らえた山田美姫を無事に返す』

「なっ!」確か山田美姫は山田美来の妹の名だ。昨晩、住民票で確認できた。

 ――こいつら、人質を取りやがった!

 前の二つはどうでもいいが、三つめは何とかしなくてはいけないだろう。どうする。


「その娘、無事なんだろうな!」浅見は語気を荒げる。

『ああ、血は丁度七人分集まったしな』

 ――七人分? どう言う事だ。意味が解らない。何のことを言っている? そう言えば今年初め、香港で見つかった血抜きの死体が五人だったはず。多摩川で見つかった本田、宝石店の高田氏を合わせて七人だ。その事を言っているのか? だが何故今そのことを……。


 しかし、その言葉に目を見開いたのはヘンリエッタであった。

 浅見から受話器をもぎ取り言い放つ。

「七人ですって!」その声は怒気を孕んでいた。

『ヴェルガ家の嬢ちゃんか。ああ、七人だ』

 ――何だ、どう言う事だ。ヘティーは何を話している? そして、私に何を隠している?


「その意味は解っているのですね!」

『当然だ』

「……いいわ、取引に応じましょう。でも、私たちも彼女への連絡方法を知らない」ヘンリエッタは僅かの思慮の後、勝手に話を進め始める。

『鍵はもう手に入れたんだろ』

 ――何故、こいつは鍵のことを知っている? 高田氏から聞いたのか?


「ええ、手に入れたわ」

『ここに宝石屋の男のメモがある。〝待ち合わせは宝石の園、そこから天使を呼び出せ〟 わかるか』


 ヘンリエッタは受話器を手で押さえ浅見に向かって問う。

「宝石の園は 〝宝石の園高田宝飾店〟 の事です。天使は何ですか?」

 ――いや、いきなりそれを聞かれても……。いや、待てよ、〝呼び出せ〟 だと……。そう言えばあそこに黒電話がこれ見よがしに置いてあった。と言う事は……。


 浅見は慌ててポケットからカードキーを取り出した。

 ――これだ! このカードキーに刻印された文字が、暗号になっている!

 今度は浅見がヘンリエッタから受話器を奪い取る。


「わかった。それでどうすれば良い」

『今晩12時、ドラクルを持って川崎市にある東扇島西公園に来い』

 ――確か川崎港の西にある公園だったはず……。

「わかった」

『じゃあな……』

 プツリと音を立て電話は切れた。



 ――さて、どうしたものか。メモの出現によってばらばらに見えていたアイテムが一つにまとまった。これで恐らく高田氏の用意していた取引の仕掛けは全て揃ったはずだ。このカードキーの暗号を解き、高田宝飾店の電話から掛ければ、山田美来に連絡が付く仕組みなのだろう。これで多分宝石は手に入る。しかし、問題は……。


「どう言う事か説明してもらおうか、ヘンリエッタ」浅見はヘンリエッタを睨み付け強く問い詰めた。

「……」ヘンリエッタは押し黙る。

 ――ヘンリエッタが色々と隠している事は判っていた。恐らく何か話せない裏の事情がある事も理解できる。だが、これ以上はそれを無視して捜索を続けることは出来ない……。


「魔石とは何だ。儀式とは何だ。何故七人もの血が必要なんだ」浅見は立て続けに問い詰める。

「……」ヘンリエッタは目を閉じて深く思案している。


 そして、ゆっくりと目を開きこちらを見つめ返しながらこう言った。

「ここからは私一人で向かいます」

「ダメだ」――そう言うと思っていた。

「ですが危険です。この先は……」

「それでも君はやるんだろ。一人でも。それならば私も行く」言葉を遮るように浅見は宣言する。

「……」

「先ずは事情を説明してくれ。でないと判断する事すらできない」


 ヘンリエッタは大きく息を吸い込み、ため息をついた。

「では、もし、私があのラクミリ・デ・フィユに封印されているのが 〝本物の吸血鬼〟 だと言ったら貴方は信じてくれますか」

「な……に……?」


 ――吸血鬼……だと……。

 予想外の言葉に、浅見は動揺を隠せない。

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