009『ホテル:竜の血』


 東京都千代田区内幸町の 〝帝国ホテル〟……ホテルオークラ、ニューオータニとともに『ホテル御三家』と呼ばれる高級ホテルである。


 浅見はヘンリエッタを送った後に泡嶋神社に戻ると伝えたところ、「ベッドもツインで客室もある部屋なので是非ご一緒に」と誘われ、つい調子に乗って快諾してしまったのだ。

 ――スーツに着替えて置いてよかった……。いつものジーンズにTシャツ姿だと場違い感が半端ない。勿論、中に入るのは初めての経験である。


 車を玄関先に付け、着替えだけをボストンバックへと移し、車のキーを駐車場係へと渡す。

 荷物を奪おうとするドアボーイを左手で制し、ヘンリエッタと共に開放たれた扉を潜る。


 金色に輝く広大なエントラスホール。デカいシャンデリアと何本も乱立する太い柱がどこぞの王城の大広間を想像させる……。


 ヘンリエッタはつかつかとフロントへ近づき、事も無げに「同室に一人追加で宿泊を」と言いながらカードを差し出した。

 彼女は買い付けに行く際に使用人や知人と同室に泊ることも多いそうなので躊躇ない。

 一方の浅見本人は動揺を隠したつもりでバレている。


「私、着替えをしてきますので、ここでお待ちください」そう言いながらヘンリエッタはニコリとほほ笑み、浅見からボストンバックを奪い取り、エレベーターへと消えて行った。



 浅見は場違い感を感じながらも隣のランデブーラウンジへと移動した。いや、バーカウンターが見えたのでそちらで待つことにする――。


 カウンターの椅子に浅く腰掛け注文する。

「山崎十二年をロックで……」


 差し出されたグラスを手に取り慣れた手つきでくるりと回す。グラスの中で氷が回転しカチャと音を立てた。

 右の肩肘をカウンターへ置き、少し後ろを振り返り気味になってグラスを煽る。琥珀の液体が喉の奥へとに注がれる……。


 恰好こそつけてはいるが、浅見は今内心ガクプルである!

 ――どうして、こうなった! 本来ならば今日もあの山奥の静かな神社で、穏やかな一日を過ごしていたはずなのに……。

 なのにどうして、金髪美人と一流ホテルでお泊りすることになっている? 朝からは想像できない事態である。


 浅見は心を落ち着かせるためにゆっくりとグラスをゆすった。僅かに溶けて角の丸くなった氷が、カチャリと小さく音を立てて琥珀色の液体の中へと落ちていく。ほのかに甘いフルーティーな香りが立ち昇った。

 優しく口付ける様にグラスを口元に当て傾ける。甘く華やかでいて、そして、どっしりとした味わいのシングルモルトが喉を――。


「お待たせしました」


 目の前のバーテンダーのグラスを拭く手が止まっている。

 浅見は椅子をわずかに引いて振り返る。


 そこには、大胆にレースをあしらった、黒で肩の開いたカクテルドレスの女性が立っていた。

 胸元には大きな金の台座に翡翠の首飾り。左腕には宝石をちりばめられた金色の龍の腕輪。ハーフアップでまとめられたプラチナブロンドに銀の蝶と花の髪飾り。愁いを帯びた瞳が濡れている……。

 恐らく急いで歩いてきたのだろう。上気した肌の頬と胸元に赤みが差している。

 浅見も流石に一瞬声を失う。


 だが、残念! その左手薬指には大きなルビーの指輪が輝いていた……。



「レストランの予約も出来ました。早速十七階へ行きましょう」ヘンリエッタは小さく浅見にそう告げた。

「では参りましょうか」少し気落ちした浅見の声が響いたのだった。


 浅見は椅子から立ち上がりエレベーターホールへ向けて歩き出す。すかさずヘンリエッタは背後へ回り優しく浅見の右ひじへと掴まった。エスコート――他人からはそう見える形で浅見はヘンリエッタと共にバーカウンターを後にした。



 十七階展望レストラン。


 大きな窓から見渡せる東京の夜景は素晴らしい。

 宝石のようにきらめく街並み。近くに見える副都心の摩天楼。列をなす車のヘッドライトが光の川を作り出す。視界一杯に広がる街の明かりは、その質量を持って確かな人の営みを伝えて来る……。


 このレストランのコースは色々あるようだが、ヘンリエッタが予約したのは和食メインの物の様だ。

 浅見も妙に小洒落たフランス料理などより気楽でよい様子である。

 小さな小鉢に盛り付けられた艶やかな料理が次々と運ばれてくる。

 ――おや、グラスに注がれたのは食前酒のシャンパンではなく、白ワインだな……。


「こちら、我ワイナリーの新作です。お試しください」ヘンリエッタはそう言ってワインを勧めた。

 恐らく事前に持ち込んでレストランに出してもらえるように頼んでおいたのだろう。

「頂きます」浅見はワイングラスを手に取った。


 グラスを傾ける。軽やかな甘さに、弾けるようなブドウの香り。クチュリと空気を含ませ香りを楽しんでから飲み干した。

 滑らかなのど越し、泡のように消えて行く後味……。酸味はほとんど感じず、渋みは全く無い。


「これは和食の食前酒様に作られたワインですね」

「はい、繊細な料理の味を殺さないワインを目指したのですが……私としてはもう少し我儘を主張してほしかったのです。でも、どうしても夫の好みで……」

「あくまで、素直で従順ですか……」――まあ、気持ちはわかる。男と言うのはいつまでも理想を追い求める物だ。せめてワインくらいは自由にさせてあげて欲しい。


 たわいもない話をしながら料理が進む。

 メインのトリュフソースの掛かった和牛フィレ肉のステーキを頂き、デザートも頂く。

 そして、二人でアフターディナードリンクを注文する。

 フランスのブランデー、コニャックであるレミーマルタンXO。浅見はストレートでヘンリエッタは水割りで頂く。



 会話も落ち着き、周囲に人もいなくなったので浅見はヘンリエッタに確信を突く質問を始めた。

「ヘンリエッタさん、ずばりお聞きします。貴方がお探しの宝石 〝ラクリミ・デ・フィユ〟 とは何ですか」

「何とはどういう事でしょう」

「中国からの輸入業者。そして中国人に盗まれた貴女の宝石を見つけた宝石商。そのどちらもが血を抜かれて死んでいる。となれば犯人たちは貴方の宝石を追っているとしか思えない。そして、それが只のブラッドストーンの為に引き起こされた殺人なんて考えられない。ましてや水銀の素になる辰砂などでもないでしょう。一体何なんです、その 〝ラクリミ・デ・フィユ〟 とは……」

「……」ヘンリエッタは押し黙る。

「……それに、殺された輸入業者は 〝不死の妙薬〟 なる物を持っていたらしいですが……」

「……あ、あれは、決してその様な物ではありません……むしろ人に死をもたらすものなのです……」何やら焦った風のヘンリエッタが答える。

「死をもたらす? ……どういうふうにですか」

「さあ、私も詳しくは存じ上げておりませんが……。何でも、多くの人の血を欲するものだとか……そして、あの石の別名は “竜の血” と呼ばれていたそうです」

「竜の血……」――多くの血を欲するとは通常ならば沢山の人が死ぬ事を指すのだが、この場合は文字通りに血が必要なのだろう。だから現場に血液が無かったと言う事か? そして、確か辰砂の別名も龍の血だったはず……。だから不死の妙薬なのか? わからない……。何故血が必要なのか、何が不死の妙薬なのか……。それに、ヘンリエッタの様子も少しおかしい……まだ何かを隠してるみたいだ……。


 恐らくその話せない何かが、自分一人でその宝石を探そうとしていた理由なのだろう。

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