005『身元判明:捜査』


 千代田区霞が関二丁目一番一号・警視庁本部庁舎


 昨日、浅見から聞いた情報を基に、長部は早朝から該者の身元を手作業で検索し始めた。

 対象年齢五十歳以上・年内に中国への渡航歴又は中国から日本への入国歴のある男性を指定した。

 通常の出勤時間九時を過ぎたが見つからず。

 仕方なしに検索範囲を昨年六月にまで広げた――。


「長部さん! ちょっとこれ……」出社してきてすぐにこの作業に加わった新米刑事の元井が声を上げる。

 長部も横に並びモニターを見つめる。

 そこには、パスポートの写真と並んで該者の復元されたデスマスクが映し出されている。


「なんだ、これは……」


 身体的特徴は合っている。確かに顔に面影もある――しかし、その顔で受ける印象があまりにも違うのだ!

 ――確か報告書にはいくつかの整形痕が認められるとあったが……。まさか、ここまで違うと最早別人である。

 特に目元、口元の変化が著しく、モニターの隅に映る判定ソフトでも適合率が60%を下回っている。これでは本人と判定されない理由も頷ける。

 通常の整形と言うのは見栄えをよくするために行われるものだ。だがこれは、明らかに身元を隠すために行われている!

 ――一体、何故だ? いや、身元を隠す為か……。


「該者の名前は、本田強一(ほんだきょういち)。香港在住の日本人で輸入代行業を営んでいるス」

 元井がマウスを動かし別ウィンドウを開き検索を始める。どうやら別の専用ソフトを使って警察内部のサーバ―にアクセスした様だ。

「……おもな輸入品目は漢方薬の原料の様っス」

 モニターに出ているのは税関関連のデータらしい。


 この新米刑事の元井はサイバー関連の部署からの引き抜きでこの刑事課にやって来た。この刑事課も古臭い現場主義から早く脱却しろと上の人間が考えているのだろう。だからこう言った場合には滅法役に立つ。


「ああっ! こいつ脱法ドラッグにも手を染めてやがるっス」更に検索を続けていた元木が声を上げる。

「なに?」ずいっと長部も思わずモニターを覗き込む。

「ほら、この品目……観賞用の目的で苗を沢山輸入してるっス。それにこっちは肥料として輸入してるっス」

「なに、それはドラッグの原料なのか。それ自体を取り締まれねえのか」

「無理っスね。取り締まる法律が無いっスよ。研究用とか工業原料なんて品目にして許可申請すれば結局同じっス。法的には何の問題も無く輸入できるっス」

「ちっ! 抜け目ねえ奴だな。おい、その情報もまとめて分析センターの方にも送っとけ」

「うぃっス」

「俺はちょっと上に報告行ってくる。そいつの日本での拠点や取引先も出しとけよ」長部はメモをひらひらさせながら席を離れて行った。

「ういっス」



 本田強一:年齢六十五歳――。現在は香港に拠点を置く輸入代行業者で、主に入手しずらい漢方薬の原料を中心に扱う業者の様だ。その仕事の内容はかなり胡散臭く、様々な手法を用いてグレーゾーンの商品を輸入していた様である。その扱っている品目から見ても医療関係には相当強く、そして、かなりの利益を上げていた様だ。司法解剖の結果を合わせると整形・アンチエイジング・その他もろもろをやっていたと想定される。日本への入国は昨年末の十二月三十日。拠点のある香港には、香港警察が捜査の協力に当たる事が決まった――。


「……そして、世田谷区砧公園近くに倉庫を借りていることが判明した――」第一会議室に長部の声が鳴り響く。

「――ここの捜査は俺が当たる。他の取引先は配布した資料に書いてある。各自、分担して聞き込みに当たってくれ!」

「「「はい!」」」会議室に集まった二十名の刑事たちが一斉に返事した。

「もし何かあれば、すぐに俺に連絡するように……以上、解散!」

 刑事たちは一か所に集まり自分の行く場所を話し合い、次々と飛び立つように会議室から出て行った。


 時刻はすでにお昼を回った。

 長部も会議室を出ていき駐車場へと向かう。そして、用意されていた白黒のツートンカラーに塗られたワンボックスカーへと乗り込んだ。

「おい、おい、こいつは事故処理車じゃねえかよ」車に乗り込んだ長部が運転手の刑事に声を掛ける。

「車が出払ってて他が無かったんで、交通捜査課に借りてきたんですよ。文句言わんでください」

「まあ、いいや。行ってくれ」

 長部と刑事の運転手に三人の制服警官を乗せた車が走り出す。



 車は首都三号渋谷線を走り四十分程で砧公園に着いた。そこからぐるりと公園の裏手に回り込んだ所に目的地は合った。

 一階にコンビニの入った普通のマンション。そのコンビニの横の閉じられた青いシャッターが本田の借りていた倉庫になっている様だ。

 すでに管理人には連絡が行っている。管理人立会いの下シャッターが開かれた。そして――。

 そこに合ったのは段ボールの山。――本当に倉庫として使われていた様だな……。見慣れぬ漢字の書かれた箱が並んでいる。


 長部はその段ボールの山の隙間を通り奥へと進んだ。

 倉庫の片隅には、試験管とビーカーが乱雑に置かれ。その脇にベッドと冷蔵庫が設置されている。着替えなども散乱していることから、本田は今年に入ってからここで生活をしていたと見られる。

 奥の窓の下に靴がたくさん置かれてるのが見えた。本田は何かから隠れる様に、シャッターは使わず普段はこの窓から出入りしていたのだろうと推測できる。

 ――奴は、ここに隠れる様に住んでいた。だとすると一体何に追われてた?


「おい、岩倉」長部は先程運転をしていたもう一人の刑事を呼ぶ。

「うっす」

「ちょっと隣行って、一か月分の映像残す様に言っといてくれ。それと、ついでにこの辺りの不審者情報も聞いといてくれ」

「うっす」岩倉と呼ばれた刑事はコンビニへと向かった。


「よし! 他の奴は何か証拠になりそうなもん探してくれ、それ、かかれ!」長部は残りの制服警官たちに指示を出す。

「「「はい!」」」返事と共に制服警官たちは一斉に捜索に取り掛かる。


 長部は捜索の状況を見届けながら倉庫から出て、隣のコンビニの灰皿の前に立つ。そして、禁煙していたはずの煙草をポケットから取り出す――ブルーの箱のハイライト。百円ライターを手にして火を点けた。大きく吸い込みゆっくりと紫煙を吹き出す。

 ――これで何か、出てくりゃいいがな……。



「おやっさん!」岩倉が慌てた様子でコンビニから出てきた。「どうやら本田は今年に入ってから頻繁に顔に包帯巻いて近所じゃ包帯男ってあだ名で呼ばれてたみたいです。それで、不審者もいました。先月辺りから、中国人らしい三人組が倉庫の様子を聞きに来てたらしいです」

「映像抑えたか」

「うっす。ここに」岩倉がUSBメモリーを掲げる。

「すぐ、分析センターへ送ってくれ」

「うっす」岩倉は小走りで車の方へと消えて行った。



 応援に駆け付けた警視庁のワンボックスカーに押収品が次々と乗せられていく。

 長部はそれを冷ややかな目で見つめた。

 ――どうやら本田の奴は、顔を変えて高跳びしようとしてたみたいだな……。だが、何から逃げてた? そう言えば浅見の言っていた香港のチャイニーズマフィアの名前――“黒蛇” だったな。やはり奴らと何か関係あるのか?



 その時、長部の携帯が鳴った。池袋に向かった部下からの電話だ。

「はい、長部」

『あ、おやっさんですか、今こっち中華街の取引先で聞き込んでるんですけど……』

「おう、何だ」

『それが、どうやら奴さん、かなりやばいもん捌こうとしてたみたいなんですよ……』

「何だ」

『どうやら、それが……“不死の妙薬” ってやつらしいですわ……』



 ――不死の妙薬? 本田の奴、一体、何に手を染めやがったんだ……。

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