呉栄 一

銭唐に着いた時、河から瘤のように突き出た岸が見えた。瘤といってもかなり巨大で、その陸地の上に堅牢そうな砦が建っている。

近づいてみると岸の上だけでなく、川の中にも柱を打って、四分ほどは川の上に建っているようだった。

「ここは元々官軍の砦だったが、許昌が占拠してしまってな。更に増築して、こんな堅牢な砦に仕立てちまった」

「官軍の砦を落とせるくらいの大軍だったのか」

「元々許昌はこの砦の指揮官だった班憲と旧知だったらしい。班憲は許昌と内応して、自分の子飼い兵以外殺して、許昌をひきいれたんだ」

話しているうちに砦の真横に差しかかかった。そこは船着き場のようになっていて、桟橋の端に見張り所のようなものが建っていて、そこに三人の男が立っていた。

孫堅はその男達のいる場所で船を停め、男に小袋を渡した。

つまりここを通る船は全てここで通行料を払うことになっているのだろう。

「今では殆どこの河を通る船はいない。どうしても通りたい時は今みたいに銭を払う。だから物を売るためにここを通るときに銭を払い、いった先で儲けてきてもまた払うことになる。儲け分より銭が出ていくんだから、河を使った商いが成立しなくなる。陸路は陸路で時間がかかるしな。結果この近辺の物流はかなり滞っている」

米などが各地へ行き渡りにくくなっているのだろう、加えて許昌の略奪だ。

「しかも許昌は陽明皇帝と称し、今の腐った漢王朝を倒す義賊だと喧伝しているらしい」

「民を苦しめて何が義賊だ」

「その通りさ健。ここに集まるやつらも世直しなんて考えちゃいない。ただ、ここに駆け込めば取り敢えず餓えずにすむ。だから数だけは増えていく」

孫堅はこれを見せるためにも自分をここまで伴ったのだろう。

少し進んだ所で、また船を停めた。孫堅がおりたので、なんとなく健もそれに従った。しかし黄蓋は船に乗ったたまだった。

「お前を連れてきたのはもう一つ理由があってな。銭唐に会わせたい人がいるんだ。黄蓋は船を富春まで戻さなくてはならないので、ここで一旦お別れだ」

「じゃあ俺達は徒歩で富春まで向かうのか」

「お前の足なら大したことないだろ」

「わかった。またな黄蓋。富春についたら俺にも体術を教えてくれ」

「俺は教えることはできん。だが俺と何度も組打ちをすれば勝手に覚えるだろ」

寡黙な黄蓋らしい返答に健は苦笑した。

お互いに特に見送ることもなく、孫堅も黄蓋も出発した。

「会わせたい人っていうのも、俺たちと一緒に戦う仲間なのか?」

「いや。女だ」

「女?」

「ただ、一人であうとうまく話せん。弟分がいれば、格好をつけようとして何とか自分を保っていられる」

「おい、誰が弟分だ」

「この戦いの大将は俺だって言ったろ。しかもお前は俺より三つも年下だ」

川から二十里ほど南に行ったところにその村はあった。村の奥へ入っていくと、一際大きな邸が見えた。

「孫堅です。呉燐殿はおみえだろうか」

門にたどり着くと孫堅は訪いをいれ、すぐに使用人らしき小太りの女が出てきて、孫堅を招き入れる。見慣れない健にもちょっと目をくれたが、よほど孫堅がこの屋敷の住人に信頼されているのか、特に誰何されることもなく、一緒に通された。

「ではいよいよなのですな」

呉燐は五十に届くかどうかといったところだろうか、落ち着いた雰囲気の人の良さそうな人間だった。

「ええ。これ以上人は集まらないでしょうしね。何よりやつらをこれ以上野放しには出来ません。ここにいる健達倭人との調練を一月ほど予定しております。」

「では一月後。それまでに武器などはこちらでも用意させて頂きます」

「かたじけない。呉燐殿」

「なんの。ご助力頂くのはこちらの方です。孫堅殿。息子のこともお願いいたします」

そういって軽く頭を下げると、酒肴を用意させると言って、呉燐は部屋を出ていった。

それまで、落ち着いていた孫堅が、見るからに緊張しはじめた。昨日出会ってからの孫堅からはちょっと想像できないような様子だった。

しばらくすると、最初に邸に招き入れてくれた小太りの女と、綺麗な着物で身を飾った女が酒と料理を運んできた。

着物に目がいったのは一瞬だった


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