最終話
変わらないもの
ポラリスは見晴らしのいい高台に登ると、
アンナに届くよう
大きな声でモジュラーの歌を唄った。
モジュラーとは、高次元の存在であり、
音楽を通じて感情や記憶を共有することができる思念体の様なものだった。
ポラリスとアンナは、モジュラーに出会ってから、
その力で高次元の世界に行けるようになった。
しかし、そこではお互いに姿が見えず、
感じることしか出来ない二人だったが、
モジュラーの歌だけは次元を超え確かに2人を結びつけてくれた。
「誰か唄を歌っているのかしら?
もしかして…… ポラリスなの?」
すると不思議なことに
届かないはずのアンナの耳に
ポラリスの歌が届いたのだ。
そして、ポラリスの歌声を聴いたアンナも
ポラリスに向けてモジュラーの歌を唄った。
「アンナの声?
それに不思議だ。
アンナの歌声と一緒に
アンナの気持ちが俺の心に染み込んでくる」
ポラリスはアンナのすぐ近くでいつも彼女を見守っている。
アンナもポラリスがいつも近くにいてくれていることを知っている。
二人の心はモジュラーの唄によっていつも通じあっている。
二人は19万6883次元の景色を眺めながら、
永く幸せな時間を過ごした。
二人は本当に幸せだった。
幾何学のセカイに生まれた少女。
代数学のセカイに生まれた少年。
例えそれが、
二人の為に見せてくれた幻だったとしても。
*************
「あれあれ?
さっきのは夢?
あたしいつの間に寝ちゃってたんだろう?」
真智を含めその場にいた全員が、
どうやらみんな同じ夢をみていたらしい。
「グリが……いないね」
そして、アンナが元の結晶の姿に戻り
グリがその場からいなくなった理由は夢の内容から察しはついた。
モジュラーは、ポラリスとアンナが互いに惹かれ合っていることを知り、彼らに高次元の愛の体験をさせるために、このような夢を見せたのだった。
そして、モジュラーは、自分が今存在する次元から次の次元へと旅立った。
「なあ、真智?」
「どうしました?谷先生」
「例えうちらが歳を重ね、
お互いの立場や境遇が移ろい変わってしまっても、
例え時代が移ろい変わっても、
例え世界や宇宙の仕組みが移ろい変わってしまっても、
それでも……、
より高い次元の広い視野でみたときには
決して変わらないもの
もあるんやな……」
「谷先生、
それはさっきの夢の内容ですよね?
変わらないもの
あたし肝心なその意味を聞きそびれちゃったんですが、
それって具体的には何なんですかね?」
「真智、
お前も聞き取れんかったんやな。
うちもや。
意味はうちにもわからん。
でもな真智、
うちはそれには素数が深く関わっていると思うんや。
素数とは、1と自分自身以外に約数を持たない自然数のことや。
素数は無限に存在することが証明されており、
どんな自然数も素数の積で表すことができるんや。
素数は、数学の基礎を支える不変の法則や。
そしてな、
うちはこう考える。
うちらが日々実感している
絶えず変化する世界はな、
本来質量が無く変化の起きない宇宙の対称性が
たまたま破れて生まれた
数ある宇宙の中のたった一つに過ぎないんやとな。
そやからな、
決して変わらないもの。
その記憶は
うちらが見落としているごくごく身近な場所に
約132.8億年前の宇宙誕生よりもずっとずっと果てしなく古くからちゃんと存在してはずなんや!
それらを一生をかけて探し受け継いでいくんがうちら人間の
そして、一生をかけてそれを探求し、受け継ぎ、
社会を発展させていくんが、
うちのような科学者の仕事なのかもしれんな……」
「すごいですね……谷先生。
でも、素数や記憶だけが変わらないものではないと思いますよ。
愛や友情も変わらないものではありませんか?
ポラリスとアンナもグリも、愛を感じていましたよね?
私たちも友情で結ばれていますよね?
そういうものも高次元で見れば不変ではないでしょうか?」
「真智、うちもそう思うで。
愛や友情も変わらないものや。
それらは人間にとって最も大切なものや。
それらは素数や記憶と同じくらい不可思議で美しいものや。
それらはきっとモジュラーの歌に込められているんや」
あたしと谷先生は、
その後しばらくの間、
19万6883次元の景色を無言で観賞していた。
『数学とは、異なるものを同じものと見なす技術である』
※ジュール=アンリ・ポアンカレが遺した有名な言葉より
Q.E.D
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