第15話 瘴気

「迂回するが、網を避ける為だ。早まるなよ」


 そう言うなり、運転手は交差点でハンドルを切った。

 タイヤが削れる音。ヘッドライトが交差点で大きく弧を描いた。


 坂を上り、促されるままにそこから見下ろせば、先ほどの交差点を直進した先の広い一帯が光を失っているのが見えた。それは紛れも無く瘴気の霧によるものだった。


「派手にやらかしているだろう。こんな事をするような男には思えなかったんだがな…」


「やはり短沢の仕業なのですね」


 私の声は自然と鋭いものになっていた。


「…師範は、どこまで知っているのですか」


 遠い目をしていた運転手師範は視線を現在ここに戻し、再び口を開いた。



 ーーーーーーーーーーーーー


 短沢が人手を求めて星野邸に訪れたのは、2、3ヶ月ほど前だという。

 短沢の屋敷の敷地内には古くから瘴気が湧き易く、それを祓う人手を常駐させていたらしい。そういった土地は早々に見放され人が寄り付かなくなるのが常であるが、神職が居を構えて祓い鎮め、一帯を霊障から守ることもあったとか。

 短沢家が神職の流れを汲むと聞けば、一介の商人が霊体を視認出来たことにも納得が行った。


 瘴気を祓うだけであれば、花守ほどに戦闘に長ける必要は無く、神官程に儀式に精通する必要も無い。その上で給金も期待できるとなれば、衰えて一線から退いた花守や、資質不足とされ花守になり損ねた者たちにとって絶好の働き口と言えた。

 一般の職に就きながらも祓いのわざを持て余してくすぶっている者、一般の職に馴染めない者は星野一族の中にも多かれ少なかれいて、当主も始めはそこから数人見繕みつくろって短沢に預けるつもりだったらしいのだが。


「短沢がもろは様をめとりたいと申し出たことで話が変わってきた」


 偶然居合わせたもろは殿を、短沢が見初めたと言う。


「…短沢の身辺調査の為、その仕事に師範があてがわれたのですね」


「お前という許嫁いいなずけがいながら、別の嫁がせ先を品定めしていた訳だな。…お前の立場であれば怒る所かも知れんが」


 向けられた視線に、私は首を振って応えた。

 窓の外には雪がちらつき始めていた。


「花守という仕事柄、万が一ということもありますので…、保険は必要でしょう。短沢であれば経済力は申し分ない。それに、私がもろは殿を長い間放っておいたことについて思うところもあったでしょうね」


 そう答えはしたものの、己に向けた怒りばかりが先に立ち、他の怒りを自覚出来ずにいただけかも知れない。


「“桂家当主としての地盤を固めるまではもろは様と距離を置く”というお前の考えを、されていたと思う。当主も、もろは様も」


「ええ」と答えた私の胸中は黒煙に巻かれていた。とはいえ身体を休めつつ情報を聞き出すことがその時の私のするべきことであったし、それ以外に出来る事もないというのが正直な所であった。

 香擁にいさめられたことを思い返し、辛うじて焦りを鎮める。


「…短沢に怪しい所は見受けられなかった。つい数日前、湧き出す瘴気の量が増えるまでは」


 始めは工夫を凝らしてそれを乗り切っていたが、その内にそれだけでは祓いが追い付かなくなったらしい。

 祓い人はらいびとたちは増員を願い出たが、費用を負担する側としてはそう簡単には聞き入れられなかった。何しろ原因が分からない上に、瘴気の噴出量を測定する術が無いのである。

 それが祓い人の怠慢による申し出ではないかと短沢が疑っているうちに、たまりかねた数人が辞めた。

 慌てて新たに人手を定員を増やしつつ確保するものの、自然それまでの間は一人当たりが祓わなければならない瘴気の量が増える。既に祓い人たちは手一杯だったにも関わらず、である。そこで今度は数人が倒れた。


 倒れた者の中に最古参の祓い人たちがいた。彼らだけは短沢が所有する数多あまたの名刀に移った瘴気を専門に祓っていたというのだが、師範にもその仕事が回されてきた。現役の花守である彼は、やはり祓い人としても優秀だったに違いない。


 その後は大方私が予想した通りであった。


 短沢は湧き出す瘴気を利用し、望む時に何時いつでも霊魔堕ち出来るよう、刀霊たちの魂の剥離を管理させていたというのである。ご丁寧に“何時いつ何処どこで堕とす”といった記録まで残されていた、と。

 残念ながら、今回の一件に関する情報は一部しか発見出来なかったという。


「済まない…それに気付いたのは、今日短沢の屋敷でお前を見かけた後だった。突然大量の刀が消えたことに気付き、慌てて報告すれば、短沢は“売った”と一言だけ」


 そうそう簡単に売れるようなものではないと勘ぐった彼は、“何かがある”と踏んで書類の山をひっくり返したらしい。そして、それはあった。


「今まで隠し通してきた悪事をここまで大っぴらにしでかすとは、異常と言わざるを得ない。恐らく短沢もこの件で瘴気に当てられたに違いあるまい」


 瘴気に当てられ魂が剥離するにつれて、人が本来の在り方を変容させる事は花守をはじめ神事に携わる殆どの者にとって周知の事実である。


「…もろは様が短沢の屋敷にいると気付くのも遅かった。お連れしようとしたのだが、“ここで司暮様を待ちます”の一点張りでな」


 それを聞けば、もろは殿の居場所に確信を得ただけでなく、彼女が大事に至っていないとも思えた。

 しかし彼女もまた瘴気に当てられているならば、やはり急ぎ彼女の元へ辿り着き、その魂の剥離を食い止めねばならない。

 

 本格的に降りだした雪が、世界を白く染め始めていた。

 


 ーーーーー


「短沢は“不知代だいしらず”と“無代むだい”を幾振りかこの一件に投入する気でいるようだ。それだけの価値を見出したのか、刀の価値も分からぬようになったのかは定かではないが…気を付けろ」


“不知代、無代”とは、代が付けられない程に高価な代物の呼び名である。

 自然、そこに宿る刀霊もまた高位の神格を備えている可能性が高い。


「…厄介ですなぁ。司暮様も儂も万全ならいざ知らず」


 私の握っていた先の折れた打刀の刀霊、酔橋が弱弱しい声を出したところで、黒々とした大きな人影がヘッドライトに照らされて浮かび上がった。


 影が手にしているものが薙刀だと認識した時にはすでに、それによってフロントガラスが突き破られていた。

 ボンネットに飛び乗った人影が薙刀を振り上げれば、その怪力で天井が引き裂かれる。

 そのまま薙刀の切っ先をエンジン部に突き刺そうとするのを見た師範は、急ブレーキを掛けざま「降りろ!」と私に向けて声を張り上げた。


 体勢を崩した人影、大柄の堕ちた刀霊がボンネットから転がり落ちる。

 私たちもまた、ボンネットに穴の空いた車の外へ転がり出た。


 辺り一面に雪の薄化粧。

 急ブレーキでスリップしたタイヤ痕。

 転がった際着衣に付いた、雪と砂利。


「…早速、“無代”の一振りがお出ましだ」


 立ち上がる霊魔を見て、元星野家剣術師範が白い息を吐く。

 彼は私を庇うように霊魔の前へと歩み出た。


薙刀こいつの相手は俺がする」


 短沢の屋敷は既に歩いて行ける距離にあった。


「急いでいるんだろう。行け」


 私は、頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る