第14話 夜更け前


「…済まないがもう少しの間、私に付き合ってくれないか。今から他の刀霊と契約する時間的余裕はない」


依り代たる打刀の先が折れた酔橋は、わずかに背を丸めいつもより小さく見えた。

私は彼の返事を待たず、内弟子をともなって桂邸の門をくぐった。

邸内ていない程ではないにしろ、通りにも瘴気が立ち込めていて、いつ霊魔が現れようと不思議はなかった。

酔橋が慌てて口を開く。


「そう言われましても、儂もいつまで刀に憑いていられるか分かりません。司暮様の身に何かあっては困ります」


彼は松の葉のような眉を八の字に曲げた。

私の腰には先の折れた打刀が差されているのみであった。


「もろは殿に会うまで…いや、短沢の屋敷に着くまでで良い。短沢に自分の屋敷で刃傷沙汰を起こす気があるとは考え難い。まして望んで霊魔を野放しにはするまい」


見据えた道の先は、淀んだ空気と夜に溶けていた。


「香擁様も仰ったはず。場合によっては、何をしでかすか分かりませぬぞ」


北風が長い長い嘆きの声を上げ、私は身を僅かに強張らせて白い息を吐いた。


「もろは殿は5年も待ってくれた。この期に及んでこれ以上待たせたくはない。必要に迫られたなら、刀は短沢の屋敷向こうでなんとかしよう」

「そう上手く行くでしょうか」

シャンデリアの下に並んだ七振りの名刀と、その刀霊たちを想う。

どこの馬の骨とも分からぬ相手から契約を申し込まれて、素直に応じる刀霊はそうそう居るものではない。

「…どうだろうな。しかし、今は一分一秒が惜しい…」


話している間にも桂邸は遠ざかり、視界から消えようとしていた。

それを振り返って見ていた酔橋は呟くように言った。


「…元より、儂が頷かずとも行かれるおつもりなのですね」


「つまらぬ意地は捨てることにしたんだ」


酔橋は私の顔をまじまじと眺めた後、小さく嘆息した。


「…そうですな。そうでなくては、もろは様がお可哀想です」




ーーーーーーーーーー


急ぎタクシーを拾うべく懸命に身体を動かしたが、手負いの身体がきしんで思うように進まなかった。先を行く内弟子と徐々に距離が開いてゆく。内弟子彼女は私を心配するように振り返った。

ふとほんの数年前を思い出して感慨にふける。桂家にやってきたばかりの頃は自身のことで精一杯だった少女が、この危機的状況において再三さいさん私の心配をするまでになった。


「ここで分かれたほうが良さそうだな。…頼んだぞ」


「…わかりました。どうかお気をつけて」


内弟子が踵を返して踏み出した。


「強くなったな」


今生の別れを覚悟して彼女の背に向かって言うと、彼女は動きを止めた。


先程さきほど無力を思い知ったばかりです…お戻りになられたら、鍛え直してください」


「…また、近いうちにな」


自慢の弟子は背を向けたまま頷いて、駆け出した。



ーーーーーーーーーー



闇を裂く一条の光が背を照らし、私は車の接近を知らされた。

瘴気で視界の悪い中を平然と走るたった一台の車。

速度を落とし、私と併走した。


「急いでいるみたいだな。その上、手負いか」


帽子を目深に被った運転手が声を掛けてきた。

無残に切り刻まれた外套を見れば、私が厄介事を抱えている事は一目で分かるはずだった。

彼はそれを全く意に介さぬ様子で、でないことをうかがわせた。


「乗っていけよ」


「願っても無い話ですが」


罠を警戒し疑いの目を向けると、運転手が帽子を上げた。

私は懐かしい顔を認めて、声を漏らした。


「…師範」


「そう呼ばれていた時分もあったな」


私がかつて内弟子に入っていた頃、星野家で剣術師範を務めていた男が目の前にいた。

彼は苦笑の後、神妙な面持ちで私を見た。


「短沢の所へ行くのだろう。早く乗れ」


「なぜそれを」


「それは運転しながら話そうか。俺が信用できないのなら…そうだな。運転している間、抜き身の刀を突き付けてくれてもいい」


私は打刀を抜いて、助手席に乗り込んだ。

運転席に座る男の首筋に向けた刃が、闇夜の中で僅かな光を映した。

男は眉一つ動かさず、車を走らせた。


街の光が流れ行く。

車は確かに、短沢の洋館がある禾橋方面へと向かっていた。

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