第7話 頬
香擁が示した通り、私は冷静になり、為すべきことを為さねばならなかった。
この時点で考えられることは―
・十中八九もろは殿は短沢の所にいる
・私はもろは殿と香擁どちらかを選ばなければならない
・もろは殿を選ばなかった場合、恐らく最悪の結果になる
・もろは殿は私に失望し、既に最悪の結果になっている恐れがある
―私は速やかに短沢の所へ舞い戻り、
もろは殿の命を保障しなければならなかった。
「先代に一言断りを入れて、直ぐに
私が立ち上がるや否や、
「司暮様、霊魔が屋敷を囲っております!」
内弟子の少女が
不安を押し殺すかの様な声であった。
花守の家が霊魔の群れに襲撃されるなど、前代未聞である。そしてそれは、あまりに
短沢の差し金である、と私は直感した。
私が香擁を選べば…、
「その霊魔と言うのは、【刀霊堕ち】では」
刀霊堕ちとは、その名の通り刀霊が穢れを溜め込んで霊魔に転じたものである。
「仰るとおりです!」
短沢の父が刀剣の
「人の手では足が付くからの…。それでは、もろは殿を手に入れたとて、安心は出来ぬであろうからな」
私は頷いた。
「この様な悪用方法があるとは、盲点だった。この一件を済ませたら、
香擁が私を見上げた。
「済ませたら、か。そう簡単ではないぞ。刀霊堕ちとは…なかなかの相手ではないか。」
霊魔の天敵たる刀霊が霊魔に転じたものであるが故に、超難敵と明言して何ら差し支えなかった。
しかし、当主である私が皆の不安を煽る訳にはいかない。
襖越しの少女は心細さを抱えたまま、黙って私の言葉を待っていた。
「なかなかの相手程度に害される桂家ではない。そうだろう」
私は余裕を装い、襖の向こうの内弟子に問いを投げた。
「…全く以て、その通りで御座います!」
果たして、決意に満ちた返事が返って来た。
私は酔橋を腰に差し、香擁を手に持った。
「他の者は」
襖越しに問う。
「既に戦闘の準備に取り掛かっております」
「良し。敵の数は」
「定かではありませんが…およそ十体。多くとも十五程度かと」
「短沢のヤツも奮発したのう」
と香擁は嘆息した。
対して桂の屋敷にいる花守は、私を含めておよそ八、九人であった。
その中には先代当主や高弟もいた。しかし相手が刀霊堕ちならば…全く以って分が悪いと言わざるを得ない。
襖を開け内弟子に告げる。
「まずは、一点を突破しよう。私が先陣を切る。付いて来てくれ」
内弟子を伴って玄関口へ向かう。
「お前は私と一緒に包囲を抜けるのだ。そして、救援を呼んで来て欲しい」
「…!」
顔を上げた内弟子の無言の問いに応える。
「まずは、兄上達を」
血縁の者が近くに住んでいるのは不幸中の幸いであった。
「次いで、囲家へ向かっておくれ。足の速い長物使いがいただろう…名はなんと言ったか」
「存じております。承知致しました」
「囲家には
花守の名門夕京五家が一つ、囲家にあって精鋭と呼び名の高い方々である。
「はい」
「その後は―」
古来より数多の霊魔を祓い、鬼と称される一族を思い浮かべた。その拠点まで距離はあるが、先代当主は拠点を離れてここから程近い桜路町に居を構えていると聞く。
内弟子に手筈を告げた後、こちらもまた私の傍らを歩く具現化した香擁に向き直った。
そしてその依代たる脇差を手渡した。
「私は包囲突破後、そのまま短沢の所へ向かう。香擁は私の代理として先代と共に、この場の指揮をしてはくれないだろうか」
聡明な香擁に任せておけば、間違いは無い。それに、桂の姫君の存在は、桂の人間を大いに勇気付ける筈である。
香擁が矢のような視線を私に向けた。
「儂がいなくては取引にはならんぞ」
私はその視線を受け止めた。
「もろは殿には、金輪際、香擁を手にしないと告げてくる」
それで納得してもらえるのなら、
小さく頷いた香擁は「成程」と呟いて
「後の事は任せよ。事の次第も儂から
と、ぎこちなく微笑んだ。
「しかしそれでは、骨折り損となった短沢は逆上するであろうな。何をしでかすか分からぬぞ」
「それに関しては、」
私は腰の打刀を掴んで、それに向けて言った。
「お前がいるから、大丈夫だ」
打刀の刀霊、酔橋は心底愉快そうに笑った。
酔橋の笑い声に釣られた振りをして、香擁は無理に笑おうとしていた。
私は、その華奢な体をきつく抱き締めた。
「今まで、ありがとう」
「早う行け…」
香擁の顔に寄せた頬に、熱いものが伝ったのが分かった。
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