第2話 魔法使いと黒ボタン
山間の地方都市・朝靄市の街外れ、深い山林を分け入った奥に幽霊少女の屋敷がある。
朽ち果てた洋館の名はシャーロット記念邸。シャーロットと名が付いているが、それが何者なのかは不明。建設に携わった関係者の中にシャーロットは居ないし、シャーロットのどんな行いを記念したものかも不明。
そんなシャーロット記念邸の現在の住人は金髪の少女アリスと、そのメイドである幽野香澄。ふたりがなぜここに暮らしているのかも、やはり不明。
*
「どうしましょう、香澄さん」
梅雨の晴れ間の昼下がり。昼食の冷凍うどんを食べた後、二階のテラス――二ヶ所あるテラスの、洗濯物干しになってないほう――のビーチチェアで優雅にシエスタを決め込んでいた私の元に、お嬢様がやってきました。
「どうなさいました?」
「お洋服のボタンが取れてしまったの。この服、もう捨てるしかないかしら……。気に入っていたのに……」
しょんぼりと俯いて、お嬢様はブラウスの首元に手をやりました。仰る通り、本来そこに留まっているはずの第1ボタンがありません。
ちなみにお嬢様がお召しになっているのは白の飾りレースがふんだんにあしらわれた半袖ブラウス。そして紺のフレアスカート。質素でいて清潔感のあるコーディネートは、別段余所行きという訳ではありません。お嬢様は屋敷の中でも最低限のドレスコードを守っています。よほどお育ちがよろしいのでしょう。
閑話休題。ついでにシエスタも中断して、お嬢様のご相談に戻りましょう。
「でしたらお直しいたしましょう」
「本当に!?」
お嬢様のしょんぼり顔が、途端にぱあっと華やぎました。女心と秋の空は変わりやすいといいますが、お嬢様の表情もころころと瞬時に変わるものです。季節は初夏ですが。
「取れたボタンは拾っておいでですか? あればこの場で縫い付けてしまいますが」
「う……なくしてしまったわ……」
今度は笑顔がウソのようにかき曇りました。このように、お嬢様の感情はとてもわかりやすいのです。メイドとしてこれほどありがたいことはありません。
とは言え、お召しになっているブラウスは真白く、着古されたものでもありません。第1ボタンがなくなった程度で捨ててしまうのはもったいないというもの。なにせ家計は火の車なのです。屋根の雨漏りも直さず割れたガラスも修繕ままならない屋敷の惨状を見ればそれは明らかでしょう。
「やっぱり、捨てるしかないのかしら……?」
「そうですね……」
しばし思案します。お嬢様はボタンがなくなったままのブラウスを着続けるようなことはないでしょうが、破棄はあまりにもったいない。なにせこのブラウス1枚が二週間分の食費に匹敵するのです。必然的にボタンを取り付けて修繕すべきでしょうが、それはおそらく叶いません。屋敷の床には穴が空いている場所すらあるのです。床下に落ちたボタンを回収するなんて現実的ではないし、面倒ですのでやりたくありません。
ならば。
「では、改造してはいかがでしょう」
「改造?」
廃棄しかない。そう落胆していたであろう嬢様は、意表を突かれてかキョトンとした目で私を見つめておりました。なにも難しいことではありません。
「敢えて、元あったボタンとは全く違うボタンを縫いつけるのです。そうすれば、お嬢様のブラウスは大量生産品から、世界でただひとつの一点物に生まれ変わります」
「世界でただひとつ? 素敵だわ……!」
落としたボタンを探すのが面倒だからご提案したまでですが、お嬢様はそんな私の意図に反して瞳をキラキラと輝かせておりました。齢15歳でこれほど簡単に言いくるめられてしまうお嬢様は、よほど箱入りでお育ちになったのでしょう。少々心配になります。
「では、改造をお願いしてもいいかしら!」
「畏まりました」
異存なし。つまり落としたボタンを探さなくてよい。ラッキー。
心の中でガッツポーズした私は、エプロンドレスのポケットに手を突っ込みます。取り出したるはミニ裁縫セット、メイド七つ道具のひとつです。手早くブラウスのボタン径を確認し、似たデザインのスペアボタンを裁縫セットの中から選びます。
「白ブラウスに縫いつけるワンポイントですので、ボタンの色はどうなさいましょう。手持ちだと紺か黒がよろしいと思いますが」
「どちらも捨てがたいわ。香澄さんが選んでくれる?」
「であれば、黒のボタンがよろしいかと」
お嬢様は白ブラウスと紺のスカートを合わせてお召しになることが多いので、コーディネートに統一感を出すなら紺ボタンでしょう。紺ではなく黒を推したのは、飾りフリルがあしらわれたガーリーなブラウスに黒ボタンを配することで、甘さをシックな雰囲気で引き締めることができるためです。それに、黒であれば他のお召し物との相性もよくなります。着回しの利くお洋服はなにかと便利です。
早急に終わらせたい私は、お嬢様にビーチチェアへ座っていただくことにしました。本来であればブラウスをお脱ぎいただくべきですが、今はただ一分一秒が惜しいのです。いち早くシエスタに戻るために。
「それでは、シートに横になっていただけますか。すぐに終わりますので」
「ええ! やっぱり香澄さんは頼りになるわ!」
「それはどうも」
黒ボタンを引き立てる白糸を針穴に通し、玉留め。そして縫い針をお嬢様の首元に近づけ――ようとした途端、お嬢様が声を上げました。
「か、香澄さん……。ボタンを縫いつける時は針を使うの……?」
「ええ、縫いつけるという言葉の通り」
瞬間、お嬢様の顔がさあっと青ざめました。お嬢様は好奇心は旺盛ですが臆病です。おそらく改造という言葉の魔力に、今後起こる出来事を想像できなかったのでしょう。これは、お嬢様の臆病さを見落としていた私のやらかしです。
「こ、怖いわ……。いえ、違うのよ? 香澄さんならきっと大丈夫だと思うけど、でも、その」
「わかりますよ。刺さるかもしれないと不安なのですね」
「そう、なの……」
フォローを入れてくださったはいいものの、お嬢様は怖じ気づいてしまったようでかちこちに固まってしまいました。固まっていれば好都合のように思えますが、恐ろしさから突然跳ね出してしまうなどのリスクもあります。
仕方がありません。であればプランB、ブラウスを脱いでいただくよう進言すべきでしょう。そう考えていた私に、お嬢様は「いいえ」と首を横に振りました。
「でも、香澄さんなら……ううん、きっと大丈夫よね。なんたって魔女さんなんだもの……」
「アリスお嬢様?」
「少し怖いけど……私も頑張るわ。いつまでも怯えているようでは、香澄さんのような女性にはなれませんもの」
相当怖いでしょうに、お嬢様は勇気を奮い立たせていらっしゃる様子でした。こうなると、お嬢様の決意をメイドの私が揺らがせるようなことがあってはなりません。若干、針を刺す指にもプレッシャーや緊張感が芽生えますが、それはそれ。ご主人様の意を汲んで、完璧に全うするのがメイドとしての使命です。シエスタのためにも。
「構いませんか?」
「ええ、もちろん……!」
「始めます。なるべく動かないようにお願いします」
「お、お願いされます!」
「では」と合図して、一針。まずはブラウスの裏側から表へ針を抜きます。糸の玉結びが服の表側にあると見栄えが悪いためです。そこから四つ穴の黒ボタンに針を通し、いよいよボタンの縫いつけが始まります。
「ひっ……!」
二針目、表から裏へ。首元に刺さらないよう細心の注意をして、ボタンの場所を決めます。お嬢様の悲鳴が漏れましたが、続く三針目は裏から表。針が刺さる危険性がないためか、比較的落ちついておられるようです。が、四針目。
「ひいっ……!」
やはり、偶数針目。表から裏へ針を突き立てるその都度、お嬢様は短い悲鳴を上げます。針をとにかく意識してしまうのでしょう、この調子では縫い終わる頃にはお嬢様は憔悴してしまうでしょう。お体に障るようなことがあってはなりません。何とか気を逸らす必要があります。
「お嬢様、こちらでの生活は慣れましたか?」
「え、ええ。もう一週間になるもの。不便なところもあるけれど、いいお屋敷だと思うわ」
「そうですか、私は相当に不便だと感じています」
「そうなの、香澄さん?」
「ええ」と相づちを打つうちに、針を進めます。お嬢様の気を逸らす一番の方法はやはり世間話でしょう。ちょうど先週こちらに越してきたお嬢様のお気持ちを図れるようになれば、もっとかゆいところに手が届くお仕事ができるはずです。
「屋根の修繕、窓ガラス、床板。前庭も雑草の畑と化していますし、壁面のラクガキも目に余ります。そしてせめて、お嬢様のお部屋くらいは手早く修繕したいのですが」
「直すにはお金がいるものね、ごめんなさい……」
「構いません。可能な範囲でこなすつもりです」
その実、本気を出せば前庭の草むしりくらいは二日あれば終わりますが、緊急性のない仕事は後回しにしてしまいがちです。実際、今のところは床や壁がこれ以上湿気ってカビたり朽ちないよう乾燥させるだけでひと苦労ですので。
「香澄さん、私にも手伝えることがあったら言ってほしいの」
「ご心配なさらず。そのお気持ちだけで結構ですよ」
「だけど……」
お嬢様の言葉を遮って、最後の一針を刺して玉留めを隠します。白いブラウスの襟元には、黒いボタンがしっかりと縫いつけられました。
「終わりましたよ、お嬢様」
「えっ!?」
ハッとしたお嬢様は首元に視線をやります。反応を伺うに、世間話の合間にボタンを縫いつけているなど思ってもみなかったのでしょう。どこか申し訳なさそうな表情が羨望の眼差しに変わるのは、すぐでした。
「おしゃべりしながらボタンを縫いつけるだなんて! やっぱり魔法なの!?」
「魔法かもしれませんね」
「すごい……!」
もちろん、魔法などではありません。仮に魔法を使えたとして、この程度のことには使いません。メイドでなくとも、ご家庭のお母様がたにとっては日常茶飯事のことでしょうから。
お嬢様はビーチチェアから立って、その場でターンなさいました。金色の髪の毛とフレアスカートがくるりと翻ります。瑞々しい、桃の香り。お嬢様の香りはとても甘く香ります。心地の良いものです。
お嬢様は、私に向き直ってカーテシー――スカートの裾をわずかに上げて俯く、西洋式の挨拶――をなさいました。所作のひとつひとつに育ちの良さがにじみ出ているようです。まさしく、ボロは着てても心は錦というものでしょう。
「似合っているかしら?」
「よくお似合いです。一点物のブラウスになりましたね」
「ええ! ありがとう、香澄さん!」
先ほどまであんなに怯えていたというのに、お嬢様はるんるん気分でテラスを後にされました。おそらく、自室での読書にお戻りになるのでしょう。病弱なお嬢様は、読書をなさってお過ごしです。そろそろ屋敷に残っている蔵書も読み切ってしまう頃合いでしょう。新たな蔵書を揃えるためには当然、お金が必要です。
「蔵書を揃える前に屋敷を修繕すべきですが」
蔵書より修繕より、今はそれよりシエスタです。ビーチチェアに再び寝転んで、ビールケースで作ったサイドテーブルの上のサングラスを掛けました。
梅雨の晴れ間の日差しは強いですが、それ以上に強いのが私の眠気です。瞼を閉じてまどろんでいたところで、その場を立ち去ったはずの足音がコツコツと近づいてきました。
足音は弾んでいて、どこか嬉しそうに聞こえます。
「香澄さん、お願いがあるの」
「どうなさいました?」
サングラスを上げてお嬢様を見ると、両手いっぱいに様々なお召し物を抱えているところでした。ブラウス、スカートばかりでなくスカーフや寝間着、それどころか毛布まで。
「このお洋服も改造してくれないかしら!」
「お嬢様、こちらは……」
大量の衣類を見るに、ざっと数時間は掛かるでしょう。すべて終えた頃には夕方です。洗濯物の取り込みに夕食の支度もあります。シエスタどころではありません。
「さっきはおしゃべりして見落としてしまったから、今度こそ香澄さんの魔法を近くで見てみたいの! いけないかしら?」
申し訳なさそうに、かと言えど甘えてみせるお嬢様の無邪気に、私は毒気を抜かれてしまいました。メイドたるもの、ご主人様の意を汲むもの。魔法が見たいと仰るならば、シエスタ返上でお目に掛けるのが道理です。
お嬢様にこんな笑顔を見せられては仕方がありません。頼られる嬉しさとシエスタ恋しさでヤケクソになりながらも、私は衣類を預かることにしました。
「では、魔法をお目に掛けましょう。お見逃しのないように」
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