0-5話 白うさぎのアリスとイリス

 川のせせらぎが聞こえました。それから、川の匂いを含んだ涼しい風が顔に当たり。

 それらによって、目を覚ましました。

 最初に移ったのは、青空。どうやら今僕はあおむけになっているらしいです。頭を横に向けると、自分がどこかの川沿いにて、草の生い茂る地べたに寝かされていることが分かります。背中にあたる草がチクチクとしていました。

 頭を向けたほうが右側だったため、真っ先に赤茶色の義半身が視界に映りました。今度は、「もしかしたら夢が覚め(以下略」)と思う暇すら与えられませんでした。やっぱり、ここは夢じゃない。いい加減受け入れ始めている自分がいて、少し怖い。



 そういえば、覚えてる限りではあの山の麓にいたはず、なぜ、僕はここに?バイオレンスなシーンを見た後、少女に怒られ、でも助かったこと、人と会えたことに安心してしまって……。


 またもや気絶したということでしょうね。……今日気絶してから目覚めるのは何度目?僕の意識、脆くないですか?意識のオンオフが激しい今日この頃。

 

 でも気絶したのにここに寝かされているということは、あの少女が助けてくれたか、もしくは助けを呼んでくれたのでしょうか。

 気を失う前はかなり疲れていたはずですが、今倦怠感は特にありませんでした。ひと眠りしたからでしょうか。でも、右半身、義体の方は切り傷のような痛みがずきずきと残っていました。おそらく崖から落ちたときと、藪の中を無理やり走り抜けたときの傷。左半身、生身の婦はそれほど痛くなくなっているのに……。もしや、義体の方は傷が治らなかったり?


 そんなことを考えているうちに、声がかかります。


「あっ!やっと起きましたね!」


 声の方に頭を向けるとともに、サクサクと草を踏みしめながらあの、白髪の少女が駆け寄ってきていました。

 その両手には、水がくまれたバケツのようなものがしっかり握られています。少女は、僕のそばまでくると、よいしょっと重そうに、バケツを地面において。


「とりあえず、あなたの素性が分からないうちは連れて帰るわけにはいきませんので。悪いですけど、手当はここでさせてもらってます!」


 可憐に見えて存外気が強めな少女は、そう、仰向けの僕に言い放ちました。


「あ、ありがとうございます!手当までしてもらってたなんて……。……あの、あなたが僕をここまで連れてきてくれたんですか?」


「ええ、私一人でです!大変だったんですからね?魔力もないのに!……にしても!そこまでの義体練成をできる方が、どうしてあんな体たらくだったんですか!」


 少女は、僕の右半身側に正座をして、バケツにの布を浸しながらそんなことを怒った口調で聞いてきました。そして、聞きながら手では濡れた布を固く絞っています。というか、手当で濡れ雑巾とはどういうことなんでしょう?額においてくれるんだろうか?と考えましたが、なんとなく用途は聞けず。


「……一人で運んでくださったんですか。それは本当に、ありがとうございました。あのとき、あなたがあの場にいなかったらほんと、どうなっていたか……。……と、それからですね、これは言いそびれてたんですが、あの、僕がそのれんせいし?っていう奴だと思われてるのは、その、確実に勘違いでして……」


「…………?」


 彼女の、布を絞る手が止まります。小さな眉間にしわをよせ、何を冗談言ってるんです?という感じの表情になって。


「……だって、お兄さんの義体、これ右半身全部がそうでしょう?見る限り!そんなの、錬成士以外ありえないじゃないですか!」


「いや、これはえーっとですね、アウローラって言う……魔女?みたいな女の子がやったことらしくて……ええ、はい……」


少女の顔はみるみる怪訝な表情に。

やはり色々と突飛すぎる……!


「ええっと、何か隠さないといけないことでもあるんですか?お兄さん。そういうことなら私も深くは聞きませんけど」


「いや、うーーん、そうですね……そうじゃなくて、何というか、まあ、記憶喪失というか……」


「記憶喪失……?それ、ほんとですか?」


記憶喪失。ひとまず義体は置いておいて、今の状況を分かってもらうには、一番端的な言葉。


「はい、さっき言ったアウローラって子に、自分でもよく分かってないんですけど、記憶を持って行かれたようで……。それで、気づいたらあの山に放り出されていました」


「ん……はぁ……」


 彼女の口は堅く結ばれてしまいました。今の言葉を信じるかどうか決めあぐねているよう。そりゃ、そうです。なんせ言った本人すら真実味ないなと感じているんですから。


「…………んー、やっぱり、よく分かりません!私には!ですので、判断は先生に任せることにします!お兄さんもそれまでじっとしててください!」


「は、はあ。なるほど。分かりました。ありがとうございます」


 僕の言動を一旦保留とすることに決めたよう。キビキビしたもの言いと、分からないことはそのセンセイに任せるという判断、しっかりしてる子なんだなと思いました。ともあれ、「怪しいやつ!即通報!」みたいなことにはならなかったのかと今更気づき、よかったと安心します。

 しかし、そのセンセイと言う人もまた、魔法使いらしい彼女と同じく魔法を使うんでしょうか。


 少女は止めていた手をまた動かし、絞りきった布を広げ、僕の義体を、右肩から拭き始めました。


 そう使うのか!なるほど!

 驚きとともにわずかな恥ずかしさ。バイオレンスアクションのできる魔法少女だったとはいえ、小学生ぐらいの女の子に体をふかれるのは、なんというか、犯罪臭。


 義体にはちゃんと(ちゃんと?)温度も痛みも感じられる触覚が備わっているようで、ひやりとした冷たさが伝わってきます。


「ありがとうございます、ご丁寧に」


「いえいえ!すいませんけど、私『修復リペア』とかは使えないので、とりあえず泥とか砂だけ落としておきますよ。お兄さん、『修復リペア』は使えますよね?」


「えー、ごめんなさい……。使えないし、そもそも知らないです……」


「……。本当ですか……??」


やっぱり信じらんない、と言うふうに。


「んーまっ、センセイも使えるので別に良いですけど!変に使わないままでも間に合わなくなっちゃいますよ?」


「ま、間に合わない、ですか」


 というか、直せるんですねというのが僕としては先にあって。山下りの際に、プラスチックに切れ込みが入ったときのような傷が義体にたくさんついてましたし、現在進行形でずきずきとはしてるんですがが、治るのか。良かった。


「そういえば、お兄さんお名前は?って、これも記憶がなかったり?」


 少女は、義体の球体関節部分を持ち上げ、念入りに拭いてくれます。何というか、すごく独特で、こそばゆい感じ……。剥き出しになった関節の骨を、直接拭かれているような……?


「え、ええ、その通りで……。名前も、家族も、友達も、うまく覚えてなくて……。思い出そうとしても、ものすごく濃いもやがかかってて、うまくできないというか……」


 「うまく覚えていない」これが結構、今の記憶にしっくりくる言い方でした。とても強いモザイクがかかっていて、記憶全体として色合いだけは分かるけれど、細かいことは何も分からないような。そんな感じです。

 記憶の色合いは、これもまたざっくりとですが、悲しい色、嬉しい色、それぞれが、特に濃いものもなく偏りもなく、バランスよく存在している感じ。起伏に激しくない、平凡な生き方を歩んでいたという実感だけがあります。


「……何というか、お兄さん本当に記憶喪失なのかもですね。演技に見えませんもん。でもアウローラ?とかはよく分からないんですけど。あ!そういえば私も名乗ってませんでした!私、イリスと言います!お見知り置きを!」


「!……イリスさんっていうんですか……!」


「?何か?」


「いえ!何も何も!」


 白うさぎのアリスなどと頭の中で言っていたら、思いのほか近い名前でビックリしました。イリスさん。間違ってアリスさんと呼ばないように気をつけよう。


 それから、イリスさんに義体についた砂や泥、細かく言えば関節部分に入り込みかけてるそれらをふき取ってもらいながら、しばらくして。


「そういえばイリスさん、そのセンセイという方はいつ頃来られるのでしょう……?」


「ああ、センセイなら、もうそろそろ来るころかと。まぁ、かも知れませんが……」


…………??」


 僕が矛盾したその言葉を疑問符を浮かべていると。


 かすかに、僕の背中が揺れたような気がしました。


 ズシン、ズシン


 遠くから、かすかに聞えてくる地響きのような音。さらにその音と連動して、地面に寝転がっていたためダイレクトに伝わってくる、確かな振動。


「じ、地震ですか!?」


 僕は思わず上体を起こしました。揺れはかすかです。でも、少しずつ音とともに大きくなって来ています。これは、早いうちに逃げるべきでしょうか?


 とか、思っていると


「いえ、センセイです。いらっしゃいました。やっぱり、センセイったら出不精なんですから……」


 イリスさんは立ち上がって、川の向こうの方に顔を向けていました。


 あくまで落ち着いた雰囲気のイリスさんにつられ、僕も彼女の視線の方を、上体を起こし見てみます。


 そこにあったのは。いうなれば、巨人の子供が、巨体な鋼の塊とガラクタをかき集めて、それらから巨大な蜘蛛の模型を作り上げたような。そしてそれが意思をもって動き始めているような。

 足は八つ。クレーンシャベルのクレーン部分を何倍にも巨大化して、蜘蛛の節足に見立てたような。それらが、巨大な金属質のガラクタを無理やり、蜘蛛の同体の様にこね固めたようなところから生えています。


 それは、大地を踏みしめる鋼鉄の蜘蛛。いや、蜘蛛のような形をした移動要塞。


「あの中に先生がおられます。こちらに到着するまで、しばらくお待ちを」


 イリスさんが僕に向き直って、そう告げました。

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