0-4話 死にかけ山下りと白うさぎのアリス

 山で遭難後、やっと麓近くで道をみつけ、安堵に浸って微睡んでいると、白い長髪の、赤と白のエプロンドレスを着た少女と出会いました。寝ぼけ眼な僕の頭がイメージしたのは「白うさぎのアリス」という言葉。


 少女は、右半身が全部擬態になっている僕を見て唖然としている様子。僕も、どうするべきかとフリーズ。


「あっ」


 しかし、見やれば、少女は何かに気づいたような声を上げ、僕の背中越しの方に驚きの表情を向けていました。


振り返ります。そこにいたのは。


「グギュルルゥゥゥ……ゥァアウゥゥ……」


紫色の鬣、荒々しい爪、獰猛な牙。

重厚な筋肉を纏った巨躯。

そして獲物を見定めるような鋭い眼光。


この山を下り始めたときに遭遇し、追い回されたあのライオンのような巨獣が、再び現れました。


「っ……!!」


 驚愕により、出たのは喉を詰まらせたような声だけ。


 ……同じやつ?ずっと尾けられていた?いや、あのときより大きい?

 

 なぜここまでという原因を頭が探ろうとしますが、今そんなことを考えて答えが出るはずもなく。


 一瞬で飛びかかられる距離。山道は開けて、身を隠すところも、逃げ込めるところもありません。飛び掛かられた後の、その惨状を一瞬想起してしまい、すぐにそれをかき消します。

 明確な死。逃げようもなく、立ち向かいようもなく。


 暴れるような鼓動が自分の耳まで響くせいで、何も聞こえません。背中を流れ落ちる汗。もう走り出す体力すらありませんでした。


 何より、後ろには白髪の少女。

 もし、今ここで僕が何かをしたとして、後ろの少女はどうなるか。僕が奇跡的に何とかなったとして、それでは巨獣が次に狙うのは誰か?

 少女。あの爪が少女を獲物として狙い定める光景。

 また脳が勝手に惨状を描写し、またすぐそれをかき消します。


 …………では。では、どうするべきか?


「…………に、逃げて!!!!」


振り絞るように叫んで。


 立ち上がりました、眼前の巨獣に立ち塞がる。


 生きたいのはやまやまだけど、もはやそれが叶わないなら。別のやりようがある。

 今なら、理由はある。

 死ぬための理由が。


「グガァラオォォォ……ァァアアア!!」


 巨獣はぐわりと前腕を振り被りました。

 心臓が跳ね上がります。


 上手く死ねる??


 時間稼ぎになれる?


 このままでは薙ぎ払われる?


 咄嗟に回る思考。

 なら。


「ああああああ!!!!」


 姿勢を屈め、突進。懐に入れれば、もしくは。


 その時、気づきました。まだ鼓動はうるさかったですが、極限状態の中、鋭敏になった感覚で。

 後ろの少女が、未だ逃げず、なにかをつぶやいていたこと。


「『…………よりは煉獄、生ずるは砲炎。熱せ、燃やせ、焦がせ。これなるは始源の緋色』……!!」


 思わず横目で後ろを見やりました。

 そこには、左腕で右腕を支え、円形の盾のように赤い魔法陣を展開する少女の姿。


 あの魔女の姿がフラッシュバックしました。


「『焔撃ちフランベ』!!」


 そう彼女が唱えた次の瞬間、大きな火の球が魔方陣から打ち出されます。頭上を高熱がかすめました。


 直後、火炎が爆ぜる音。


「ゥゥガァアアアアアア!!!」


 そう、そのまま火の球は巨獣の顔面に命中し小爆発を起こしました。


 巻き上がる灰色の煙と、肉の焦げる匂い。

 巨獣は体幹を崩し、大きな音を立てて地面に崩れました。

 僕が驚きで立ち竦んでいる間に、すぐ横を小さな影が走り去って行きます。


「じっとしててください!!邪魔です!『錬剣スレ―ド』……!!」


 すれ違い際にそう言い放たれ、少女は右手に小さな剣を、何もない空間から出現させます。それを素早く構え、そのまま子供とは思えない俊敏さで倒れ伏した巨獣の後頭部へ回り込みました。


「ふぅぅ…………っっ!!」


 そして、彼女は剣を握った両腕を引きしぼるように腰に引きつけ、そのまま一直線に両腕を突き出します。短剣による、渾身の突き。ドスリという音がとともに、巨獣の首に剣が突き立ちます。


 大きく、巨獣の体が痙攣して。


「っっ…………っりゃぁああ!!」


 ズバンと、彼女は剣を横薙ぎに抜きはなちました。切り裂かれる首筋。血しぶきが、間欠泉のように巻き散ります。


「ガアアアアァアアアァ!!!!」


 巨獣の断末魔。でも、それは段々と弱くなっていって。ついにはぐたりと、巨獣は力なく事切れました。あれほど圧倒的な存在だった巨獣が、物の数十秒で。


 あたりに訪れるのは、静けさ。それからわずかな鉄の匂い。ヒュン、と。少女は剣を振るって血を払い落としました


「……ば、ばいおれんす……」


 僕は思わず、心の声を口に出していました。


 唖然としていると、少女が怒ったようにずんずんと近づいてきました。今の光景を見た後だってので、気づいたときにはびくりとしてしまいます。


「だいじょうぶですか?」


 表情が怒っていたので少し身構えましたが、かけられたのは思ったのと違う言葉。


「え、ええ……なんとか。それより、君は……?」


 大丈夫ですか、と聞こうとしたのですが。どうやら違う風に受け取られたようで。

 

「……見てもらったとおり、貴方と同じ術式士です。まぁ、貴方みたいな錬成士ではありませんが」


「じゅつ……れん……?」


 「じゅつしきし」と「れんせいし」。まだ分かりませんが、魔法使いがいる世界なのであればそういう職業ってことでしょうか……?


「えっと、僕」「お言葉ですが!それだけの義体錬成が出来る方であれば、何か出来たことがあったのではないでしょうか!それなのに身を呈すように突進したのは、私をただの子供と判断し、庇って死ぬ!みたいなヒロイズムに浸ろうとしたからですか!?」「え、ええ……!?」


 少女は僕の言葉を遮るようにまくし立ててきました。剣幕を見るに、かなり誤解が含まれてますが、とりあえず、侮られたこと(完全に勘違いですが)に憤っていることは分かりました。


「違います!違います!僕はえっと……!僕は……えっと……?」


「僕は、何ですか!?はっきりどうぞ!!」


 と、と言われましても、何から話すべきか?そもそも、名乗る名前すらない……。


 子供の魔女に誘拐され、記憶を奪われ、名前すら分からず、右半身を義体にされ、そもそもここは全く知らない世界で……。


 ど、どこをどう説明すればいいですかね……!?


「えっと……!?」


「はっ!きり!と!!」


 少女はとうとう、服をヤンキーのように掴み上げてきました。しかし、背丈が足りず掴まれたのは鳩尾辺り。


「そもそも!この山の中に入ってくる子供がただの子供だという判断もどうなのでしょうか!貴方も一錬成士なのであれば、それぐらいの類推はできてよろしかったんではないでしょうか!というより、練成士でありながら子供は弱いという観念にとらわれていること自体が自覚としてなってないというかですね。それから、そういえば、あの急に立ち上がったあのとき!すっごい邪魔でした!もしかしたらあなたにあたってましたよ!?言式聞こえなかったんですか!?」


「ちょっ……落ち着いて!」


 少女はなおも収まらぬ憤りをぶつけ続けます。僕はその剣幕にうろたえ、何もできず。そのまま、言われるまま。


 でも、でも。とりあえず、少女に服を掴みあげられるという状況ではありながら。

 助かった。命の危機から。そして、人に出会えた。そういえば言葉の通じている、人に。それらだけは確かです。

 怒られ中でありながら、確かな安堵感。

 これで、このまま街などに迎える算段は着くんでしょうか。その場合も、事情の説明は大変でしょうけど。

 ひとまず、良かった。

 あとは、もう少し頑張るだけで……。

 頑張るだけで……。



 …………。


◇  ◆  ◇


「だからですね!…………あれ?どうしたんですかお兄さん?って寝てる!?ちょっ、お兄さん!お兄さん!?」


 ある山脈に連なる、ある山の、麓近く。名前もない少年が山道の上で、気を失った。幸いにも偶然通りがかった少女の前で。少なくとも、それによって野垂死にはしないだろう。

 もう夜は過ぎ去り、すっかり朝になっていた。


「どうしましょ……。んー……」


 少女は白手袋をした右手を中指と親指をくっつける。すると、出来た小さな指の輪の中に、金色の魔法陣が出現した。


「『伝令羽ミトス』!」


 唱えると、ポンッと小さな光の球に鳥の翼が一対生えた何かが出現した。


「センセイに伝えて下さい。【山で男の人が気絶してます。多分錬成士です。右半身全部義体化されてます。もしかしたら名前のある人かもです。これから頑張って連れ帰ってみます】……と。覚えました?ではゴーです!」


 光る翼の精霊は、「分かった」とでも言うようにチカチカと点滅したのち、音もなくすごいスピードで空へと飛び去って行った。


「ふー。センセイに報告すればなんとかはなるでしょう」


 少女は一安心、というふうに肩の力を抜く。でも、それはそれとしてというふうに倒れた少年を見直して。


「にしても、どーやって運びましょ……」


 面倒くさそうに、ため息を一つついた。

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