0-3話 即放逐と死にかけ山下り

 朦朧としていました。ぶれる視界、気を抜けば手放しかける意識、もう感覚すらない左足。


「寝ちゃだめだ……寝ちゃだめだ……右足を出して……そう……左足を……次に……」


 傍から見れば、怖くも映るであろう、独り言。それは、正気を保つための。

 生まれて初めて体験する、瀕死。それでも、自分で、自分に声をかけることによって、少なくともまだ死んでいないことだけは実感できる。そういうことをさっき初めて知りました。

 叫びたくも、泣きたくもありましたが、そうした瞬間またあの化け物がやってくるかもしれない。だから、どちらもできません。


 ……………………もう頭もまともに回らず。


 枯れ葉と落ち枝を踏みしめるクシャリ、パキリという音と、それから、荒く、不定な自分の呼吸音。それ以外に音はなく、未明頃の山は静寂に包まれています。


 ただただ今は、目の前に昇ってくる朝日の方へ、この山を下るだけ。下へ。下へ。

 麓に何があるかは分からないけれど。人がいるかすらも確証はないけれど。

 その後のことは、またその後考えましょう。失った食料も、付きかけている気力も、またその後に。

 頭の中をちらつく黒い言葉の言葉のことは、今は考えないように。ただただ下へ。下へ。


 山の、草木の青く懐かしい匂いは、なんというか生命を感じさせました。


 …………なぜこんなことになったのか。それはおそらく数時間前にさかのぼります。


◇  ◆  ◇


 アウローラと名乗った少女に、魔法的な何かで強制的にテレポートさせられて、そのショックで気絶。そして、僕はどこかの山林の中で目を覚ましました。

 目を開くと辺りは暗く、夜でした。といっても星明りがあり、森林は鬱蒼としていましたが、それでも真っ暗というわけではありませんでした。


 一度、夢が覚めたのかと思いました。しかし、うつ伏せになった僕の頭の前に、力なく垂れた赤茶色のマネキンのような義手、もしくは義半身を見たとき、その希望は儚くも潰えます。

 それは、あのアウローラという少女の部屋で目覚めたときすでに、僕の右半身と挿げ替えられていた、精巧な体モドキ。


「自分の右半身が、何か別の物にすり替わっている」。これが夢ではないということは、なにかものを考えようとする気力すら完全に失せてしまうほどに、ショックでした。立ち上がることすら、結構きつく。


 結構な間、そのまま地面に突っ伏した状態で呆然としていました。そうしていれば、いつの間にか目が醒めたりしないかだろうかと考えて。しかし、いくら待てど、そんなことにはならず。


 そうしているうちに、暗い山林の中で一人ということ、遠くから聞こえてくる、遠吠えのような鳴き声。そして、義半身自体は、もともとの右半身と遜色なく動かせる、という感覚。

 これらによって、今僕が「このまま野垂れ死ぬか」、「とりあえず動いてみる」かの二択にあることに気づきます。


 ………………。


 半身もそうですが、その前にわからないことが多すぎる。だから、「本格的に落ち込むのはそれらが分かってからにしよう」と、誤魔化しでしかありませんが、そういう風に自分を騙しこんで。

 僕はひとまず立ち上がりました。


 しかし、立ち上がっても、一人。


 それなりに気力が要りましたが、そばには誰もいない。今度は孤独感に襲われてしまいます。

 そう、孤独感。家族や友達、今僕の頭の中にはその確かにいたはずの人々が誰一人として思い出せない。それに自分の名前すら。見て見ぬふりをしようとしましたが、それでも、

 それから、立ち上がって気付きましたが、衣服には折れた枝や葉っぱがひっついていました。テレポートの後は、どこか空から落ちてきたのかもしれません。


 立ち上がったあとは、とりあえず山を下ることに決めました。とりあえず、下っていけば人や、町があるかもしれないという安易な考えによって。


 そういえば、起き上がろうとしたとき、何の違和感もなく、僕が思った通りに動く右足、右腹部、右肩から右腕。違和感すらない、それが逆に違和感でした。にしても、この義半身。動かしている感じ、本当に筋力量も、関節の可動域も僕がよく知る自分自身のものと変わりません。

 右半身を左手で触れるだけ触ってみます。わずかに生身の左半身に比べて固さがありました。それでも、柔らかいプラスチックのような弾力があり、


 軽く、動かしてみましたが、隠された特殊機能や、魔法のような力もなさそうでした。強度も、生身と甚だしく違うというわけではなさそう。木を軽くたたいてみても、力を入れて走ってみても、うんともすんとも。本当に何もないようです。

 現状をどうにかしてくれるような、魔法の力、みたいなものは。


◇  ◆  ◇


 あてもなく木々の間を下っていきます。周りの木々はパッと見て、よく見知った木々と似てはいますが、葉の形や、枝の広がり方、そしてその枝先になる果実や花は絵本の中の様なデザインの物もあり、夜なのも相まってホラーな感じ。


 そして、遠くから聞こえてくる、鳥とも、野犬の遠吠えともつかない生物の声。明らかに、他の生物を自らの糧とする、その類の。その声に怯えながら、その正体がなんなのかは出来る限り考えないようにしながら。出会わないように、出会わないようにと願いつつゆっくりゆっくり進んでいきます。足音を立てないように。


 でも、それでも。


 思い返してみれば、もし僕が空から落ちてきていた場合。必ず大きな音は出ていたはず。もしかしたら、近くまで寄って来ていたのかもしれません。もしくは、遠巻きに見定められていたのかもしれません。落ちてきた生き物が何者なのか。食えるか食えないか。

 そして食えると判断されたのでしょうか。野生動物とはすごいもので、近づかれても気配一つ、足音一つ感じませんでした。


 ガサリ。背中の方で何かが蠢きました。


 振り返った少し先にいたのは、紫色のたてがみを持った、フォルムで言えばライオンのような生物。


「っっ!!??」


 反射的に体が硬直します。

 体毛は黒く、牙や爪が誇張的に鋭い。ただしその体長は見上げるほどで、それなりに距離が離れていながら、僕が知るライオンよりひとまわりもふた回りも大きいと確信できました。

 もはや足音を隠す必要すらないと判断したのか、その一足一足が踏み出されるごとに、あたりの木々が揺らされます。

 それは、近づく死の音。


「ゥゥグギュルルルルルル……」


 低いうなり声。それは威嚇ですらなく、単純に、都合のいい餌を見つけたことに対する喜びの現れに思えました。


「……っっっあああああああ!!???」


 叫んでからそこからのことは、よく覚えていません。ただ何も考えず、弾き出されるように。叫ぶ暇もなく。ただ一心不乱でした。逃げて、逃げて、逃げて。そして、吠え猛るうなり声から追いかけられました。


 森の茂みや、狭い木々の間の道。それらでわずかに追いつかれるまでの時間を稼いで、稼いで。木の枝や葉で全身を切りつけつつ、ただ前へ前へ前へ前へ。前へと走っていって。


 目の前が急に開けたかと思うと、瞬間、記憶がぶつりと途切れます。


◇  ◆  ◇


 目を覚ましました。知らぬ間に息が切れていました。体はボロボロ。左頭部は出血しており、髪が血に濡れている感覚がありました。左足もずきずきと痛みます。折れてはいませんが、骨にひびが入ったのでしょうか。

 見れば、義半身も。もげたり、外れてこそいませんでしたが、その合成素材のような表面には地面との擦り傷がついていました。でも思ったより丈夫らしいです。少しえぐれていましたが、血は通っていないようであることは分かりました。義体ということもあって、神経を繋ぐ銅線のようなものがあるのかと思いましたが、そんなこともなく。

 気味わるいことに、ちゃんと痛覚が備わっているらしく、じわじわとした裂け傷の痛みが消えませんでした。


 起き上がり、周りを見渡して状況を理解します。僕が起き上がったのは、高く反り立った崖の下。そして、岩肌には何かが滑り落ちたようなあと。おそらく、落ちたんです。決して意を決したわけではなく、ただ足を滑らせたのでしょう。そして落下し、気を失った。


 幸い、あの巨大な獣の姿はありませんでした。もしかしたら崖から落ちたのを死んだのだと判断したのかもしれません。

 ついでにですが、あの少女からもらった食料ポーチをなくしていることにも気がつきました。一応辺りを見わたしてみましたが、見当たらず。もし、崖の上の時点で無くしていたのであれば、もうどうしようもありません。


 深夜、知らない山の中、食料に水もなし。傷も深く。


 笑えてすら来ない。記憶もなく、あてもなく、右半身もなく。湧き上がるのは、ただただ恐怖と、もうどうでも良くないかという、諦めの気持ち。


 満身創痍の中、ふと気づきます。


 何故でしょう。今こうなっていることには、理由がありませんでした。暗澹たる気力にも、絶えることのない全身の痛みにも。少なくとも、今僕が知る限りは。

 あの少女の元にたどり着くまでに、僕は何かをしたんでしょうか。記憶を失う前に、何かとんでもない犯罪を犯したんでしょうか。

 そうだとしても、今それを知るすべはありません。


 理不尽。理由が不足していました。尽く。


 では、今生きようとしている理由は?

 

 そのとき黒い言葉が顔をのぞかせます。


 「『死ねば終わる』」


 そう、シンプルで、絶対的な帰結。すべての問題の解決になり得る、黒い結論。顔をのぞかせた途端、夜の静寂が、心の中の諦めが、体中の痛みが、甘い誘惑となって、押し寄せてきます。


 諦めますか?

 

 ………………いや、いや。


 ブンブンと、首を振るいます。


 生きる理由はありました。もう一度あの魔女に会う。そうすれば、元の世界に帰ることができるかもしれないし、記憶を取り戻せるかもしれない。


 逆でした。生きる理由はある。ないのは、死ぬ理由。今ここで納得して終る理由。死ねば楽になる。いや、なれない。こんな、何も分からないままで。


 死ぬ理由すらないのに、死ねない。今死ぬのは、そう、単純に悔しい。


 そういう衝動だけが頼りで。


 名前も、過去も、記憶も無くなって、もしくは奪われて。そのまま、ああ悲しいなあで死ぬのは、嫌だ。

 だから、結局は精神論。もしくはアドレナリン頼りで。自分の中からはい出た誘惑を、自分で押し込めて。


 一人きりの、深夜の賢者タイムを終え。一歩、一歩とまた歩き出します。


◇  ◆  ◇


 そして、それからただただ歩き続けて。いつしか、夜のとばりは開け始めていました。


 思い返してみれば運がいいのかもしれません。生きているのが奇跡的。もしかしたら、この義半身が何かしらの力を及ぼしているのかも。


 夜は過ぎようとしていました。どうやら、この世界にも朝と夜はあるみたいです。見やれば、木々のすき間から見える空には、朝日が差し込んできていました。そういえば、朝日と言っても「太陽」ではないかもしれないのか。考えてみれば。


 ともあれ、パキパキと地面の枝を踏んで行きながら、気づけば結構麓の方まで降りてきました。


 夜が明けていくことで視界も開け、遠くが見えるようになります。そしてようやく、見えました。木々の隙間から。山の外側。


 そこに広がっていたのは丘陵地帯。なだらかな凹凸が生き生きとした黄緑に覆われています。

 数羽の鳥が風に乗って、貸し切りの上空地帯を駆けていました。


 それはとても綺麗でした。


 それから降りていくこと、小一時間ぐらい。


 道を見つけました。舗装され、歩きやすいよう砂地で整えられた人為的な道。それが示すことは、まず間違いなく、どこか人里につながっているだろうということ。


 文字通り、文字通り、膝から崩れ落ちました。安堵と、脱力。


「ーーーーーー!」


 声にならない声。何も解決したわけではありませんが、確かにその糸口にたどり着いたことに対する、溢れだす達成感。

 しばらくそこにうずくまってしまいました。思わず、安堵感に浸ってしまいます。

 そうすると、急に眠気が襲ってきてーーーー。

 少し、微睡んでしまいました。


───────────。


「うわあっ!!?あなた何ですか!?」


「!!?」


 自分が眠っていたことに気づいたのは、その声によって目覚めたとき。

 突然、子供の声。それも、女の子の。あの深い瞳が、思い出されてゾクリと。


 微睡みから急速に醒め、声の方を見やります。

 そこにいたのは、長い白髪の少女。その白さは、まるで絹のような。あのアウローラと名乗った、藍色の少女ではありませんでした。

 一目見て、宝石みたいな赤く大きな瞳も特徴的でした。纏っている……エプロンドレス……?のようなものも赤い。目覚めた直後の僕は、「不思議の国のアリスの、紅白バージョン」みたいだ、という呑気なイメージを考え付きました。


 そんな僕はさておいて、少女はとても、それはとても怪訝な顔つきで、僕の方を見ていました。

 ……そういえば、今僕の体は半分造り物のような感じ。そしてボロボロ。血だらけ。多分傍から見れば、バケモノ。


 ち、違います!とか、


 た、助けてください!とか、


 言葉は思いつきましたが、体力が限界で口がうまく動かない。


「あっ」


 しかし、見やれば、少女は何かに気づいたような声を上げ、僕の背中越しの方に驚きの表情を向けています。


 僕もつられて振り返りました。そこにいたのは。


「グギュルルゥゥゥ……ゥァアウゥゥ……」


 紫色の鬣、荒々しい爪、獰猛な牙。

 重厚な筋肉を纏った巨躯。

 そして獲物を見定めるような鋭い眼光。


 僕を追い回したあの怪物が、再びそこにいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る