ある一国の終わり

かいり

第1話

 わたしは、どこにでもいる平凡な女子高生。勉強も運動も平均的、容姿も可もなく不可もなく、ついでに胸も平均的だ。そのおかげと言えるのか、妬まれたりいじわるされたことはほとんどなく、それこそ平凡な日々を送っている。

 だけど今日は、なんだか特別なことが起こる気がする。いつもはアテが外れてばっかりだけど、なんだか今日は当たる気がする。

 ―――え? そうなればいいと思ってるだけだって? そうよその通りよ! そうでも思わないと平々凡々な毎日は乗り切れないのよ!

「あーあ。曲がり角でごっつんことか、そーゆーこと起きたらいいのに」

 水溜りを避けながら呟いた。食パンはくわえてないし登校時間がギリギリなわけでもないけれど、朝のイベントと言えばやっぱりコレでしょ? ちょっと。今アニメの観すぎって誰が言ったの?

「イケメンと衝突~なんて―――」

 言いかけて、言葉に詰まった。角を曲がった瞬間現れた「なにか」のせいで。咄嗟に避けようとしたけれど、反射神経までも平均的なわたしが間に合うわけもなく、普通にぶつかった。

「いった!」

 足がよろけて尻もちをついてしまった。ぶつかった鼻がじんじんと痛い。そこを押さえながら見上げると、目の前には誰かが背を向けて立っていた。その人がわたしに振り向くと、慌てて跪いた。

「ごっごめん! 大丈夫⁉」

 一見怖そうな目つきから一転、心底心配しているような表情に変貌した。男らしい大きな体つきだけど、同い年だろうか、彼の幼さの残る顔つきはわたしに親近感を抱かせた。

「俺が突っ立ってたせいで……」

「ううん、大丈夫」

 差し出された手を掴んで立ち上がった瞬間、わたし達の横を車が通り過ぎた。

 ―――ここでわたしは一つ、みんなに説明し忘れていたことを思い出したわ。

 さっきからわたしは水溜りを避けて歩いていたけれど、そこから推察出来るように、実は昨晩、この辺りでは大雨が降っていた。

 ―――あとは、言わなくても分かるでしょう。車が通った瞬間、わたしの身に何が起きたのかが。


 そう。車によって水溜りの水が飛沫を上げ、わたしに降りかかったのだ。


「…………」

 沈黙が流れる。びしょ濡れのわたしとは対照的に、彼は全く被害を受けていなかった。奇跡的な出来事に、涙が出そう。あ、今なら泣いても誤魔化せるよね。じゃあ泣いちゃおうかな……―――。

「俺の家、近くなんだけど………来る?」

 予想外の言葉に、溢れ出そうな涙が止まった。

「このままじゃ風邪引くだろうし、シャワーやタオルくらい貸すよ?」

 なんてこと……! 初対面の、神に見放された惨めな女の子を救おうとするなんて……彼こそ神様よ! 救いの女神……じゃなくて男神よ!

「ぜひお願いします!」

 元気に返事すると、若干引かれた。

 風邪もそうだけれど、このチャンス、絶対に逃すわけにはいかない。断って家に帰ったとしても、普通に学校を休むだけの日になってしまう。

 だけどここで彼についていけば! 少なくともそれだけで脱・平凡な日になる!

 ついにわたしのアテが当たった! やった! このまま平凡な女の子を卒業し! 楽しい日々を過ごすのよ!

「じゃあ行こうか」

「うん!」

 通り過ぎる人達の視線が突き刺さるけれど、もうそれすらも普通じゃない展開に思えてくる。そうよ、水飛沫で全身びしょ濡れになる女子高生なんてそうそういないわ! ここは悲しむのではなく喜ばなければ!

「俺はシュム。君は?」

「わたしはティマ。高二よ」

「へえ、偶然。俺も」

 聞くと、どうやら学校も同じらしい。互いに覚えがないということは、互いに他人には興味がないのでしょう。わたしはどちらかと言えば、人よりも事件にアンテナを張っているから。ほら、事件に巻き込まれれば平凡から脱せるでしょ? 不謹慎? いいえ、命に関わる事件だなんて言ってないけれど?

「ティマは将来の夢とか、ある?」

「え? 急に何?」

「ほら、この前進路希望調査あったじゃん」

 あったっけ? 基本的に平凡なイベントは記憶に残さないから忘れちゃった。

「シュムはまだ進路決まってないの?」

「いや? 決まってる」

「え? じゃあどうして訊いたの?」

「興味本位」

 なあんだ。てっきり相談されるのかと思っちゃった。興味本位じゃ、変わったイベントは起きそうにないなあ。

「わたしは平凡じゃない日々を送りたい」

「何それ」

「そのまんまの意味。だから仕事も何でもいいの。平凡じゃなければ」

「ティマの言う平凡って?」

「同じような毎日を過ごすこと。シュムだってそんな人生、つまらないでしょ?」

 問いかけた横顔は、こちらに振り向かず、ぼそりと呟いた。

「……それが夢か」

「え?」

「なんでもない。それより、もうすぐ着くよ」

 シュムの雰囲気が変わった気がして、少しだけ進むのが怖くなった。これから嫌なことが起こる気がして、少しだけ歩みが遅くなった。着きたくない、でも平凡からは脱したい―――二つの思いが混ざり合って、結論が出る前にゴールに着いた。ごく普通の一軒家。シュムが玄関を開けると、薄暗い廊下が続いていた。

「どうぞ」

 促され、おそるおそる玄関をくぐる。廊下の突き当たりの部屋に入ると、まず目に飛び込んできたのは、家具達より先に見えたのは、薄暗の中、何かにまたがる大男の背中――――――えっ?

「ッ……!」

 耳を貫くのは、悲鳴のような女の喘ぎ声。部屋は豆電球たった一つで照らされている。男はせっせと腰を振っていた。後ずさると、後ろから背中に手を置かれた。シュムだった。

「びっくりした? あれ、俺の親父」

「えっ………お父さん? シュムの?」

「そ。親父ー、新しい子連れてきたよー」

 新しい子? 何を言っているのか全然分からない。彼女の紹介? 出会ったばかりのシュムと付き合った覚えはないのだけれど。

 くるりと男が振り向き、ぼやけていた姿がハッキリと映ってきた。シュムとは似ても似つかない汚い顔が、わたしを見てにやりと笑った。

「ご苦労。金はいつもの場所にあるぞ」

「分かった」

「シュム? ど、どういうこと?」

「今のやりとりで分からない?」

「えっ……? だ、だって……お父さん……」

「親父と取引しててもおかしくないだろ?」

 おかしい。全てがおかしい。どこの世界にお父さんとこんな取引する息子がいるの。しかもこれ、誘拐と何ら変わりないじゃない。

「平凡な日々を脱したいんだろ? ちょうどいいじゃん」

 違う。こんな展開を望んでたんじゃない。こんな非日常を望んでたんじゃない。楽しくて幸せになる都合のいい展開・・・・・・・を望んでいたのに。



「嫌なら、夢から覚めればいい」



 夢? 夢ってどういうこと? 夢から覚める―――?





 ―――あれ?



 ―――ああ、そうだった。



 ―――ここは、わたしが望む「くに」になるはずなんだ。





 だってここは、わたしの「くに」なんだから。









「ッ………!」

 目を覚ますと、白い天井が見えた。見回すと、いつも通りのわたしの部屋が広がっていた。時計を見ると、とっくに登校時間を過ぎていた。いつもなら飛び起きて支度するはずだけど、今日はその気になれなかった。驚くほどかいていた汗を拭いながら、なんら変わりない自分の身体を眺め、深いため息をつく。



 ―――夢で、よかった。



 安堵と共に疲労感に包まれたわたしは、再び眠りについた。

 さすがに「くに」を創る気にはなれなかった。



 その国の人々は、「夢は夢で叶える」という教えを昔から守っている。それは文字通りの意味だ。何を言っているかサッパリ分からない、という人の為にもう少し付け足すと、彼らは「夢は夢の中で叶える」を信条としているのだ。


 だが、そんな彼らの夢を邪魔する連中もいた。彼らは人の夢を壊して回っているのだ。

 何故そんなことをしているのか―――悪意だけに満ちているという噂もあれば、こう言われることもある。



 ―――命を救う為に夢を壊すのだ、と。





 今夜も彼らは、誰かのくにゆめ滅ぼこわしている。

 例え恨みを買うことになっても、それが命を救うことに繋がると信じているから。

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