第5話 ヒトの皮を被ったもの(2)
「我々カドセルムと、貴様らグリオールでは、昔から交易が盛んであった。主に物々交換であったが、我が国では特産物の魚を差し出し、グリオール特産物の獣肉を得て、我々は平等にやっているつもりだった。それを裏切ったのは、貴様らだ!!!」
王はアリシアさんに激昂したが、もちろん交易にアリシアさんは関わっていない。それでもアリシアさんは深く深く王に向かって頭を下げた。
「申し訳ございません。無知な平民ゆえに、グリオールの悪行を知らないままでおりました。心から反省するにもお詫びをするにも、事情を知らなければ不足になります。どうかご事情をお聞かせください」
アリシアさんはぼくと同じ年なのに、毅然とした態度にも、大人の言葉遣いにも、本当に驚かされてしまった。
ぼくとアリシアさんの違いはどこにあるのだろう。
それは決まっている。アリシアさんは幼い頃に両親を失い、治療院に拾われてから、ずっと働き続けてきた。ぼくはただの高校生だった。大きな違いがあって当たり前だった。ぼくは自分のことが恥ずかしくなった。
ぼくがアリシアさんに改めて尊敬の思いを持っていると、王の大きな怒号がそれをかき消した。
「教えてやろう! 死ぬ前に貴様らのやっていた悪行をな! すべては、グリオールの王の提案によって始まった。それまで、我が国から魚を、グリオールから獣肉を差し出していた交易を、もっと大きなものに広げないかという提案だった。生活用品、魔法道具、金銀にいたるまで、すべてを交易の対象にしようという、悪魔にも似た提案だ!!」
ぼくは話を聞いていても、わけがわからなかった。
なぜそれが悪いことなのだろう。
異世界の事情は知らないが、ぼくのいた世界でも、交易、貿易はいくらでも行われていたはずだった。それが戦争を引き起こすほど、ひとびとを殺し合わせるほどの問題になるという意味がわからなかった。
それはアリシアさんも同じだったようで、静かに王に聞き返した。
「それは、どのような悪魔の提案だったのでしょうか」
王はふん、と無知を笑うように鼻を鳴らし、ぼくたちを睨みつけながら話を続けた。
「グリオールの王が出した条件はこうだ。『すべては、同じ価値、同じ量のものをもって交換とする』―――。生活用品は生活用品、魔法道具は魔法道具、金銀は同等の価値がある金銀、同じ価値、同じ量で交換するという条約だ」
話を聞いても、まったく意味がわからない。とても公平に思えてしまう。それでも、グリオールは何か悪いことをしたのだろうか。ぼくにはそうは思えなかった。アリシアさんもその様子だった。しかしここで口をはさむことのできない雰囲気だったので、静かに王の言葉の続きを聞いていた。王は言葉を紡ぐたび、怒りが増しているようだった。
「それがだ―――それが悪魔の条約だったのだ!! 我々はその条約を結んだ。まんまと公平だと騙されてな。更にグリオールから、この条約を飲んでくれれば、礼として金を馬車10台分贈ると言われ、我々は乗ってしまったのだ。それが悪魔の条約とも知らずに……」
ぼくにはまだ意味がわからなかったが、静かにその続きを聞いていた。
「貴様らごときでも知っているように、この世では金の価値が一番高い。金を大量に持つほど世界の経済で有利に働き、金を制したものが世界経済を制する。それが―――金と金、銀と銀の交換に、罠が仕込まれていたのだ!!」
「罠とは、なんでしょうか?」
アリシアさんの言葉に、王はアリシアさんをぎっと睨みつけて続けた。
「わしは、カドセルムとグリオールの、金銀採掘量は同じようなものだと思っておった。しかし違った。グリオールは隠していたのだ。グリオールはカドセルムより遥かに金の採掘量が少なく、銀ばかりが採れる国だった。そこを巧妙に隠されていたのだ」
王は玉座の手すりに拳を叩きつけて怒鳴った。
「グリオールは金銀を同量の価値で交換しようと持ちかけた。しかしそれを受けたらどうなる!? 我が国内では、金が大量に採掘できるために、金100グラムに対して銀300グラムでの交換レートとしていた。貴様らの国内でも同じレートだと言われていたが、実は隠されていた。お前らの国では金がほとんど採れず、金100グラムを得るためには、なんと銀が1キロも必要だったのだ」
なにかとても不吉なものを感じた。王は更に続けた。
「まずお前らの国はこう動いた。同等の価値だと偽り、我が国に大量の銀を持ち込み、次から次に金へと交換していった。大儲けだろう。お前らの国では銀1キロでようやく金100グラムと交換できるところを、たった300グラムの銀だけで金100グラムを得ることができるのだからな。そしてお前らは大量に金を自国に持ち帰り、その金の一部を、自国でまた銀へと変えた。グリオールでは、金100グラムは銀1キロに変わる!! そしてその大量に有り余った銀を、また我が国に持ち込み、更に金へと交換した……。これを繰り返すうちに、あっというまに最初に受け取った馬車10台分の金などは回収され、それどころか、我が国の経済が揺らぐほど、我々はあっという間に金を失っていった……!! 貴様らは我々を騙し、悪魔の条約で我々から金を奪っていったのだ!!」
そういうことだったのか……。
これが両国を戦争に駆り立てた動機のひとつだったのだ。
もちろん、グリオールにも何らかの言い分はあるだろうから、王の言葉だけですべての戦争の原因をこれだと決めつけることはできない。
でも、カドセルムの人間たちが、この交易に非常に強い不満と憎しみを持っていることは間違いなかった。
アリシアさんは静かにそれを聞きながら、正座したまま深く深く頭を下げた。
「申し訳ございません。わたしは今までそんなことも知らずにまいりました。王のお怒りはごもっともです。お怒りを収めるものになるとは到底思えませんが、せめて謝罪をし…っ」
アリシアさんが言葉を言い終わる前に、王はアリシアさんの近くに歩み寄り、アリシアさんの頭を思いっきり踏みつけた。
ぐしゃっという音がして、床に血がにじんだ。そのまま王は何度かアリシアさんの頭に足を振り下ろし、ときに踏みにじった。そのたびに床の血が広がっていった。
アリシアさんは無抵抗のまま、静かに言葉を漏らした。
「申し訳ございません……」
その言葉に王はまた激昂し、アリシアさんの髪を引っ張ってアリシアさんの体を引きずり上げた。
そのまま二発、三発と、アリシアさんのお腹に渾身の力で拳を叩き込んだ。
途中までアリシアさんはこらえていたが、五発目、六発目と続くあたりで耐えきれず、そのまま嘔吐してしまった。
「ご、ごめんなさい……。粗相をしてしまって……」
王はそのまま、アリシアさんの顔面を殴り、アリシアさんの嘔吐物がある床にアリシアさんの顔面を叩きつけた。
「貴様らはいちいちわしの感情を逆なでする!! 交易も!! 戦争も!! 貴様らなど死んで当然なのだ!!」
ぼくは思わず魔法を使おうと立ち上がろうとしたが、衛兵が「おい!!」と言葉でそれを制した。その衛兵の声を聞いて、アリシアさんがぼくに語りかけた。
「緒音人さん……なにもしないで……そこで……見ていてください……」
眼の前がくらくらした。
とてもそんなことには耐えられそうにもない。
全身の血が沸騰した。握り締めた拳が真っ白に染まった。
王は衛兵にあごで合図をした。
衛兵はうなずき、王に自らが持っていた槍を渡した。
槍を受け取り、王は残酷に笑った。
「アリシアよ。先程はずいぶんときれいごとを抜かしていたものだ。そんな偽善者をわしは何度となく見てきた。しかしどんなやつも、どんなきれいごとで平和を謳っても、爪をはぎ、指を折り、耳を切れば、すぐに主張を翻すのだ。「もういいです」とな……。所詮、正義などそのようなものだ。お前の正義もその程度のものだ。お前に試す覚悟があるか」
アリシアさんは、顔から血を流したまま正座し、毅然とした態度で王を見据え続けていた。
「どうぞ、お試しください」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、王は思いっきりアリシアさんの顔面を、槍の柄の部分で殴り抜けた。2回、3回と繰り返すうちに、信じられないくらいの血があたりを染めていった。
それでもアリシアさんは決して倒れず、逃げず、王のほうを見据え続けていた。
信じられなかった。
ぼくは体中の血が湧き上がり、とてもアリシアさんを正視することができなかった。
アリシアさんは何度か打撃を受けるうち、正座の姿勢を保つことができず、たまらず地面に手をついた。
王はそのまま槍を大きく持ち上げ、渾身の力で柄の先をアリシアさんの指先に叩きつけ、アリシアさんの指を潰した。
「ううっ…!!」
初めてアリシアさんがうめき声のような悲鳴を上げた時、ぼくは目の前が真っ白になり、絶叫して立ち上がった。
「やめろ!!!!!」
衛兵たちが後ろからぼくを刺そうとしたが、一瞬にして詠唱した中級風魔法で、衛兵を遥か後方にまで吹っ飛ばした。
そのままアリシアさんのもとに近寄り、血まみれの体を抱き上げながら、ぼくは王を睨みつけて叫んだ。
「貴様あ……!! アリシアさんになにを……!!」
王はその姿を見て更に笑った。
「なんだその目は!! それが貴様らの世界平和条約か!! 聞いて呆れるぞ!! 警護兵たちよ、こいつらを上級魔法で撃ち殺せ!!」
警護兵たちが詠唱を始めた瞬間、ぼくはまばたきほどの一瞬でもう詠唱を終えた。
ぼくの頭上にいくつかの火球を待機させると、逆に警護兵たちがその光景に驚愕して後退りした。
「な、なんだこいつ……!? じょ、上級魔法が使えるだけでなく、詠唱時間がない……!? 王!! こ、こいつを攻撃しても、逆に撃ち返されます!! 我々が一度の詠唱を終える前に……こいつ……数百発以上、撃てる可能性が……!」
ぼくはアリシアさんを抱きかかえながら、周りの全員を睨みつけたあと、いったん火球を解除し、アリシアさんに回復魔法を使おうとすると、アリシアさんの叫び声がぼくの腕の中から聞こえた。
「やめてください!! 緒音人さん!!」
ぼくはその言葉が信じられずアリシアさんを見ようとしたが、アリシアさんの可愛らしい顔は、信じられないくらいずたずたになっていて、とても直視することができなかった。
アリシアさんはぼくの手をふりほどき、顔から流れる血で床に水たまりを作りながら、王の前に土下座した。
「申し訳ございません。わたしの付き人が、恐れ多いことをしてしまいました。お怒りをお収めください」
ぼくはその姿を見てとても悲しかった。
アリシアさんの、平和条約に対する決意はよくわかっている。
それでも、ぼくの手をふりほどかれたのがとても悲しかった。
ぼくが暴走したことが原因だとしても、手も胸も、言いようもなく耐え難い痛みに襲われた。
王はぼくたちに向かって怒鳴った。
「貴様は付き人にいったいどのような教育をしているのだ!! わしに敵意を向けた罪、万死に値する!! 死を持って償わせろ!! 熱く溶かした金の中に投げ込んでやる!! グリオールの罪を象徴するようにな!!」
王の言い分を聞いて、アリシアさんの血を見て、ぼくはもう、いますぐにでもまた吠えたかった。
金も銀も、騙したも騙されたも、いったい、なんだっていうんだ……。
アリシアさんが血を流してまで訴えている思いがわからないのか……。
なにか心の中に、体の中に、真っ黒なものが生まれていくのが分かった。
このとき、この黒いものの正体にもっと早く気づいていればよかったのだけど、ぼくにそんな余裕はとてもなかった。
ぼくは王に思いを投げつけた。
「王様はそんなに金が欲しいんですか。あなたよりこんなに小さな女性を、こんなに傷つけてまで……!!」
「当たり前だ!! そんな小娘の命とは比べ物にならん!! 我々は貴様らグリオールのせいで、経済力を大きく失ったのだからな!!」
「カドセルムの鉱山には、金は残っていないんですか?」
「ふん……。まだあるだろうな。しかし、金脈は山全体に細々と伸びており、それこそ山を丸ごと崩して分類しなければ、大量の金は手に入らないだろう。大きな鉱脈はほとんど掘り尽くした。貴様らに奪われた金も、すべてグリオールとともに消滅した! もう取り返しがつかん! せめて貴様らの死を持って慰めるほかないだろう!」
「ぼくが、ひとりで、一瞬で、鉱山すべての金を掘り出せると言ったらどうします?」
王はその言葉にぴくりと反応した。
「貴様に? そんなことが? どうやってできるというのだ?」
「必ずやってみせましょう。まずはアリシアさんを治してから……」
「それは許さん。その女の傷をひとつでも治したら、すべての話を放棄する。まず、このく国すべての金を掘り出してみせろ。話はそれからだ」
ぼくは唇を噛み締めたが、ここは従う他なかった。
「では……せめてアリシアさんを休ませてください。ベッドをください。あと、水も……」
「ベッドはやろう。馬小屋でも使え。貴様らにはそれでも過ぎるほどだ。水はやらん。1時間だけ休憩をやろう。その後、すぐに始めろ。もちろん、金が掘れなければお前たちを殺すがな」
この条件も飲むほかなかった。王が衛兵たちにあごで合図をし、衛兵たちが馬小屋の方を教えてくれた。
ぼくはアリシアさんに肩を貸そうとしたが、アリシアさんはひとりで歩こうとし、よろよろと馬小屋に向かって歩き出した。歩くたび、血の跡が床を染め、とてもまともに見ることができなかった。
王はぼくたちの背中を見て笑っていた。
見ていろ、すぐに、世界を変えてやる……。
常識の通じないものを見せてやる。
ぼくの完全魔法で……。
そのあと、また、ぼくの中にある得体も知れぬ黒いものが、また大きくなるような気がした。
ぼくはこの正体に、本当にもっと早く気づくべきだった。
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