第3話 黒と白

「それにしても、グリオールとの戦争はいったいどうなっちまったんだ。死の丘に向かって行った兵隊が、誰も戻ってこないんだろ?」


「それが、空気の中級魔法で遠距離観測した魔法使いによると、死の丘がまるごと跡形もなく消えちまっているらしい」


「そんなばかな……。グリオールの連中に、丘ごと消し飛ばされちまったってことか? この世のどこにそんな魔法が存在するんだよ」


「いや、それがだな……。これは噂でしかないが、軍の偵察部隊にいるやつが漏らした話によると、グリオールそのものが消えちまっているらしい。残っているのは巨大なクレーターだけという話だが……」


「それこそ嘘だろ。極限魔法でも、国ごと消し飛ばすことは不可能だ。そんな魔法使えるやつがこの世にいるか?」


「だから、軍部も正式発表を控えている状態だと言うんだよ…あくまでも噂だがな」



次の日の朝、ぼくたちが宿屋の食堂で朝食を取っていると、同じくテーブルで朝食を取っているひとたちの噂話が耳に飛び込んできた。


死の丘での戦争の最中、魔法の乱用によって生まれた腐敗が『滅びしもの』を呼び寄せ、グリオールが丸ごと消し飛ばされてしまったことなんて、この国の王都のひとたちにはわかるはずもなかった。


だからみんな、わずかに漏れた軍部の機密情報や、尾ひれのついた噂話、あるいは想像の話で、あの戦争の結末をハムエッグとともに朝食のテーブルに持ち込んでいるのだった。


王都のひとたちはひとしきり、自分勝手な噂話をしたあと、へへへと笑い始めた。


「ま、何が起こったのかわからなくて不気味ではあるが……。グリオールが滅びたっていう噂だけは、ほんとだったらいい気味だよな。せいせいするぜ。俺も確認に行ってこようかな」


「やめとけよ……。グリオール方面の公道は軍部が閉鎖してるっていう話だぞ。やはり何かがあるんだ。真相がわかるまで動くのは危険だぜ」


「ところでお嬢ちゃんたちはどう思うんだ? 見たとこ旅人っぽいがどこから来た? グリオールに関して他に何か情報をしらねぇのか」


噂話をしていたひとたちの一人が、アリシアさんに話しかけた。ぼくはかなりどきりとしたが、アリシアさんはこともなげに平然とこう切り出した。


「わたしたちは、滅びてしまったグリオールの人間です。カドセルムの王に会うために王都まで来ました」


アリシアさんのその言葉で、一気に食堂中が静まり返った。誰もがぼくたちのほうに視線を寄せ、敵意でぼくたちの体をなぞっていく。

いくらなんでもはっきり言いすぎだと思ったが、体をなぞる敵意を意にも介さず、アリシアさんは続けた。


「攻撃魔法は、消えることのない腐敗を生み出します。腐敗によどんだ古戦場である死の丘でおこなった戦争が、ついに腐敗を食い物にする『滅びしもの』を呼び寄せてしまったのです。あなたたちの軍も、わたしたちの軍も、そして、わたしたちの国も、すべて『滅びしもの』に消されてしまいました。わたしたちは、このようなことを二度と繰り返してはいけないのです。ですからわたしは、カドセルムの王と平和条約を結ぶためにここまで来ました」


みんなアリシアさんの言葉を聞いていたが、返ってきたのは賛同でも称賛でもなく、敵意と憎しみだった。

あちこちで王都のひとたちが顔を見合わせ、ぼそぼそと互いに何かを耳打ちし、次第にぼくたちを取り囲み始めた。

その中でリーダー格っぽい、身分の高そうな男がぼくたちに話しかけた。


「おい、そこの女、お前の言っていることは本当か。お前はグリオールの人間で、グリオールはなにもかも滅びたって?」


「はい、その通りです。わたしの生まれた街も、ともに過ごした人々も、なにもかもすべて消え去ってしまいました。わたしに残っているのは、亡くなってしまった人の思いを未来に繋ぐことだけです」


「未来? お前にそんなものないだろ?」


男たちは明らかに敵意を持ち、明らかに戦闘態勢に入ろうとしていた。

ぼくもシェーダさんも身構えようとしたが、アリシアさんが手でそれを制した。


「未来はあります。世界中のひとたちで、二度と攻撃魔法を使うことのない、平和条約を結ぶことです。それだけで、世界の滅亡を回避することができるんです」


「いや、俺たちが言っているのは、お前はここで死ぬだろうって話だよ」


リーダー格の男が、魔法の詠唱を始めた。上級魔法だった。


「お前よく、ここでそんなことが言えたもんだな。死の丘に行った兵の中には、俺の親父と兄貴もいた。親父と兄貴が行方不明になったのはお前のせいだろう。お前らとの戦争がなければ、親父も兄貴も……こんなことにはならなかったんだよ! お前は今、ここでくたばって死ね!!」


男が上級魔法を詠唱し終わった。その粒子で空気の魔法だと分かり、空気を銃のように発射することで、アリシアさんを貫こうとしているのだと分かった。

魔力が空中で凝固し、発射される寸前、ぼくは同じ空気の上級魔法をそこに激突させ、男の魔法を相殺し消し飛ばした。


「!?」


男は何が起きたか分からないという表情でぼくをにらみつけた。


「な、なんだ今の…。上級魔法の詠唱には、どんな熟練した人間でも5秒はかかるはず…。

お前が魔力を集めている気配はなかった。いま、なにしやがった!?」


ぼくが魔法を相殺してしまったことで、男は更にいきり立った。


「てめぇ、てめぇがこの訳がわからねぇ戦争の元凶か!! まとめてぶっ殺してやる!!」


男が続けて上級魔法を詠唱しようとしたところ、シェーダさんが食堂中に響く大声で叫んだ。


「黙ってろ!!」


その瞬間、宿屋の外で轟音が弾け響いた。

シェーダさんのライトニング・テンペストが、宿屋そばの空き地に降り注いだ。

あたりが見えなくなってしまうほどの閃光が窓から押し寄せ、食堂を真っ白に染めた。


轟音と閃光が収まったあと、シェーダさんはあたりの男たちを睨みつけた。


「あたしは極限魔法の使い手だ。文句あるやつは前に出ろ! てめぇらの上級魔法なんて、あたしにとってはガキの遊びだぜ」


初めて見るであろう極限魔法の強烈さに、男たちは言葉を失っていた。

シェーダさんがもう一度男たちにすごもうとした瞬間、アリシアさんがその前に立ちはだかり、男たちに深々と頭を下げた。


「ごめんなさい。あなたたちのご家族を傷つけたのは、わたしたちのせいです」


その言葉を聞いて、ひるんでいた男たちにまた憎しみの火が灯った。

シェーダさんの極限魔法を見ているから手を出すことはできない。

しかし、手を出せなくても、憎しみで、敵意で、アリシアさんを睨み続けていた。

アリシアさんはその敵意にまっすぐ向き合いながら続けた。


「信じてください。このままひとびとが戦争を続けたら、必ず何もかもを失うときがやってきます。誰もが死んでしまうときがくるのです。わたしは国も、愛するひとたちも、何もかもを失っています。わたしの願いを聞いてください。いま、ひととひとが手を取り合わなければ、必ずすべてがなくなる日が訪れてしまうのです」


アリシアさんは凛とした態度で言葉を紡いでいたが、それに向き合おうとする者はいなかった。


ひとりがアリシアさんを睨みつけながら宿屋を出ると、多くの者がそれに続き、いつしか宿屋に残されたのはぼくたちだけになった。


アリシアさんは床に目を落としながら、宿屋の主人のところに行き、「迷惑をかけてごめんなさい」と相場よりかなり多めの宿泊代をカウンターに置いたが、宿屋の主人はアリシアさんを無視した。


ぼくたちが曇った気持ちで宿屋を出た時、シェーダさんが口を開いた。


「アリシア。お前の言っている世界平和条約は、叶いっこないな」


「なぜ、そう思うのですか……」


「人と人の憎しみは簡単なもんじゃない。あいつらはお前を殺そうとしていただろ。戦争していた隣国に、小娘が平和条約を持ち込もうなんて狂気の沙汰だ。お前、こんなことをしていたらいつか必ず死ぬぞ」


――――――死ぬ―――――――――


アリシアさんが死ぬ―――――――――


あの夢の通りになる―――――――――


シェーダさんの言葉に全身に悪寒が走ったとき、アリシアさんが静かに喋りだした。


「でも、やらなくてはなりません。わたしには、とても悪い予感がするのです」


アリシアさんは空を見上げながら続けた。


「あのとき現れた『滅びしもの』は、知能もなにもないようなふうでした。でも、ほんとうに、『滅びしもの』はすべてあのような存在だけですか? もしも、高い知能を持った『滅びしもの』がいて、そんな存在がこの世に解き放たれたら……」


アリシアさんは一度言葉を切って、また続けた。


「もうそのとき、人類はほんとうにおしまいです。高い知能を持った『滅びしもの』が戦略的に完全魔法を使ってきたら……。あのときの『滅びしもの』は、腐敗を食い尽くしてすぐに消えてしまったようですが、もしも、自分をこの世に長くとどめ続ける方法を思いついてしまったら……。彼らの『万物の死』に敵う者なんてこの世には存在しないのですよ。絶対に二度と、『滅びしもの』も、『万物の死』も、この世に招いてはいけないのです……」


ぼくとシェーダさんは何も言わずにアリシアさんの言葉を聞いていた。


あとから考えると、このときのアリシアさんの悪い予感はほとんど的中していた。

ただ、アリシアさんでも想像もしていなかったことがある。

次に絶大な怒りと憎しみで『万物の死』を使うのは、『滅びしもの』ではなく、このぼくだった。

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