第20話 『好き』
「ごめんなさい……! わたしが、あなたを巻き込んでしまった……! あなたの強さに、優しさに甘えてしまった……! 本当にごめんなさい……!」
うっすらと意識を取り戻し、曇った視界の中に映っていたのは、涙を流すアリシアさんだった。
アリシアさんは、ぼくを抱きかかえながら、司祭さんとの別れのときと同じくらい号泣していた。
なぜ、こんなに泣いているんだろう。
泣かないでください……
そう言ってアリシアさんに手を伸ばそうとして、自分に両手がなくなっていることに気づいた。
起き上がろうとして、両足もないことに気づいた。
『滅びしもの』の完全魔法で、体の末端は焼きとんでしまったらしい。
アリシアさんは、ずっとぼくにヒールをかけ続けてくれていたようだった。
それで意識を取り戻せたのか……
どれくらい気を失っていたのかわからないが、雷撃の煙がただよっているのを見ると、そんなに時間は経っていないはずだった。
何か話そうとしたが、まるで言葉にならなかった。
それどころか、さっきから、体を動かそうとしても、魔法を使おうとしても、意思に反して、体が何も反応してくれなかった。
アリシアさん、泣かないで……
そう言おうとして、ようやくぼくの口から出た言葉は、まったく違うものだった。
「寒い…………」
アリシアさんは大粒の涙を流しながら、ぼくを強く抱きながら、ヒールをかけ続けてくれていた。
しかし、そのヒールは何の効果もなく、焼きとんだ手足から、命が流れ出していくのがわかった。
「ごめんなさい、緒音人さん…… 本当に、ごめんなさい……」
アリシアさんに何か伝えたかったが、意思とは逆さまに、せっかく開いたまぶたが、また少しずつ閉じていくのが分かった。
今度は意識が戻らないだろうという確信があった。
このまま、死ぬ。
なにもできなかった。
眠るように、視界が狭くなっていく中、アリシアさんは、じっとぼくを見つめ続けていた。
ぼくが死ぬことを自分の責任だと言わんばかりに、ぼくの死を最後まで看取ろうとするように、ぼくから目を離さず、唇を固く締め、大粒の涙をこぼしながらぼくを見つめていた。
アリシアさんらしいな……
まぶたが閉じる寸前、命が消える寸前、アリシアさんがそっと優しくぼくの体を引き寄せた。
「好き……」
そして、アリシアさんが慈しみと愛情を込めた動作で、ぼくの唇に優しくキスをした。
全身の鼓動が激しく脈打った。
閉じ込めていた童貞力が、生まれて初めて感じる深い愛に、強く強く呼応した。
この世界に来てから、いまだかつて比較することもできないほど、強烈な魔力がぼくの体に溢れ出した。
次の瞬間、戦場にいるすべての人間から光の柱が立ち上がった。
ぼくの超広範囲『リヴァイヴ』だった。絶命さえしていなければ、これでシェーダさんたちも蘇生しているはずだった。
ぼくの体も『リヴァイヴ』の回復力で満ち溢れ、焼きとんでいた四肢が再生した。
「え、えっ……!?」
驚くアリシアさんを逆に抱きしめ返した。
言いたいことはいっぱいある気がしたが、ほとんど言葉にできなかった。
ふと、空を見上げると、ぼくを攻撃したときと同じ格好のまま、『滅びしもの』が空中に立っていた。
しかし、ぼくが気を失う前とまったく違う光景があった。ぼくの背筋が凍り、顔が青ざめた。
カタルナ霊峰が、まるまるごっそりとえぐられたように、姿を消してしまっている。
ぼくが気を失っている間に、『滅びしもの』が2発目の完全魔法をカタルナ霊峰に撃ち込んだのだろう。
アリシアさんが幼い頃から、辛い時に眺めては勇気を出していたというカタルナ霊峰。
それがものの一瞬で消し飛ばされてしまった。アリシアさんは、たったひとりで、どれだけ怖かっただろう。
意識を失っていて、ごめんなさい……。
しかし、そんなことを悠長に考えているひまもなかった。
『滅びしもの』は、それまでと変わらず、何も関心のなさそうなぼうっとしたそぶりで、街の方角を見つめていた。王都の方角を見つめていた。
そして、すっと街の方角に向けて手を伸ばした。
次は街を破壊するつもりだ。
アリシアさんの育った街。アリシアさんが愛した人たち。
全身の血液が逆流した。
止めなくては。
こいつを―――『滅びしもの』を止めなくては!!
ぼくは右手を高々と『滅びしもの』に向かって掲げた。
極限魔法では止められない。
それはシェーダさんが実践済みだった。
だが―――これなら―――
これがきっとぼくにはできる―――
ぼくの魔力をねじる力はきっと、『滅びしもの』に匹敵するはずだ―――!!
ぼくは強く意識を集中させた。
あのときの『滅びしもの』を思い出した。
『滅びしもの』が集めていく、幾何学模様のような、芸術品のような美しい魔力。神々しささえ感じさせるあの魔力、あの魔法―――
ぼくの右手に、急速な勢いで魔力が集まり始めた。幾何学模様のように、芸術品のように、神々しい光が満ち溢れた。
「そ、それは……!」
驚くアリシアさんを尻目に、ぼくは魔法を発動させた。
「完全魔法!! 『ライトニング・テンペスト』!!」
数千本の稲妻が収束し、『滅びしもの』を焼き尽くすほどに撃ち抜き続けた。
発動してすぐに、ぼくは完全魔法を使ったことを後悔した。
全身の血管がねじ切れていくのが分かった。
骨がゆがみ、心臓の血管までもねじりあがり、今にも千切れそうになるほどだった。
お腹の下で内臓がねじり上がり、破裂した。
人間が使える魔法じゃない! これは、人間が使っていい魔法じゃない!
『ライトニング・テンペスト』の稲妻が終わった瞬間、目から、耳から、全身の穴という穴から血が吹き出した。
意識を失いそうになる瞬間、自分で自分に『リヴァイヴ』をかけ、傷を回復させたが、体の芯に残る鈍痛は消えなかった。
これは―――使えない……!
もう二度と、完全魔法は使えない―――!
維持時間が一瞬で済む『ライトニング・テンペスト』ですら、死を恐怖させるほどのダメージ……。長時間維持し続けていたら、確実にぼくのほうが先に死んでいただろう。
体の鈍痛に顔を歪ませながら空を見上げると、『滅びしもの』が、初めてぼくの方を向いていた。
体は、あちこちが焼け焦げている。
効いている―――!! 同じ完全魔法同士なら、ダメージを与えられるんだ……!
『滅びしもの』は、底知れない闇のような真っ黒な瞳で、特に興味を持った様子もなく、コバエを見るような無感情さで、ただぼくを見つめていた。
そして、空高く手を掲げ、遥か上を指さしながら、魔力を集め始めた。
幾何学模様のような美しい魔力が指先に集まっていく。
しかし、今度は雷雲の魔力ではない。空気でも、水でもなく、見たことのない魔力の色だった。
また完全魔法―――
しかし、一体何の……?
何が来る?
何をしようとしている……?
『滅びしもの』が無感情に詠唱を終えた。
「完全魔法―――『世界の蹂躙』」
聞いたこともない魔法だった。
ぼくはありとあらゆる魔法の危険を考えて身構えたが、何も起きなかった。
そよ風ひとつ立たず、世界はそのままだった。
なんだ……? 一体いま、何をしたんだ……?
ぼくがいぶかしがっていると、アリシアさんが震えながら、ぼくの袖口を掴んだ。
「緒音人さん、あ、あれ……あれは……」
アリシアさんが東の空を指さした。
流れ星だった。
こんな状況に似つかわしくない、大きな流れ星。
それも、ひとつやふたつではない、数十個の流れ星が、こちらに向かって降り注いでこようとしている。
その瞬間、すべてを理解し、全身が総毛立った。
こいつの魔法、宇宙にまで届く――――――
隕石を呼び寄せた―――
すべてを壊すために、根こそぎ破壊するために、数十個の隕石を―――
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