第19話 滅びしもの

「お前はまだ、何もわかっちゃいない……。魔法戦闘の基本を、何もわかっていない……!! 全員、総攻撃しろ!!」


シェーダさんのその合図で、シェーダさんの背後にいる数万人の兵士が、数え切れないほどの上級魔法を叩き込んできた。

青く光る『イージス』のドームは、すべての攻撃を防ぎ続けた。しかし……


「防御魔法はなぁ、永遠に張り続けられるものは存在しないんだよ! 息継ぎのようにどこかで張り直さなくてはならない! だが、これだけ連続して魔法を受け続けていたら……張り直しの瞬間、無防備でどれかの直撃を受けて終わりだ!!」


シェーダさんの言う通りだった。

ぼくの詠唱速度はこの世の誰よりも速いはずだったが、魔法を維持する時間まで長いというわけではなかった。

『イージス』は1分もすれば解け、もう一度張り直さなくてはならない。

だが、隣国の兵士たちの猛攻は、決してそれを許さなかった。

シェーダさんも、次々と『ライトニング・テンペスト』を叩き込んでくる。

どれかひとつでも食らってしまえば終わりだった。


ぼくからも攻撃してしまえばいい―――

ぼくの魔法は誰よりも速く、この戦場に来た瞬間に攻撃していれば、もう決着はついていた。

しかし、それをやるわけにはいかなかった。

攻撃してたまるもんか。

シェーダさんを憎んで、なんになるっていうんだ―――


ぼくはアリシアさんの言葉を思い出した。


『わたしも、シェーダさんと同じ貧困層なのに…… わたしだけが抜け出せて…… シェーダさんも、幸せになっていいはずなのに……』


シェーダさんに落雷で撃たれたアリシアさんの言葉。

シェーダさんに背中から刺されたアリシアさんの言葉。


そうだ―――それでも―――人を憎んで、なんになる。

人を憎んで、なんになるっていうんだ……!!


ぼくは『イージス』のバリアを維持しながら、鉄の上級魔法を使い、自分の背後に、避雷針であり盾にもなる鉄の柱を作った。


「アリシアさん、ぼくから離れてください。そして、鉄の柱の後ろに隠れていてほしい。極限魔法の雷も、上級魔法の攻撃も、ある程度防げると思います……」


「でも……緒音人さんはどうなるんですか!」


「大丈夫ですから、早く行ってください! ぼくを困らせないで!!」


初めてアリシアさんをはねのけるように背中で押した。

しかし、アリシアさんは離れなかった。


「…… 一緒に死ぬなら、それでもいいです……」


そう言って強くぼくを抱きしめた。

突然のことに、アリシアさんの言葉をどう受け止めたらいいのか、脳が混乱した。

しかし、もう『イージス』は持たない。

選択肢はひとつしかなかった。

『イージス』が切れる直前に、アリシアさんを風魔法で遥か遠くまで吹き飛ばしてしまうことだ。

それでアリシアさんは助かるだろう。


アリシアさんは、ぼくをどう思うだろうか。

ひどい人間だと思うだろうか。

しかし、見たくない―――アリシアさんが死ぬところを、考えたくもない―――

ぼくはそっと後ろ手にアリシアさんのお腹のあたりに手を当て、いつでもアリシアさんを飛ばせる準備をした。


少しずつ『イージス』の光が失われ、消えゆきそうになっているとき、アリシアさんに対する感謝で心がいっぱいになった。

出会えてよかった。

アリシアさんと出会えてよかった。

こんな気持ちになれることもなかっただろう。

ありがとう。

さようなら……


風魔法を発動しようとしたその瞬間、風魔法が突然『消失』した。

それだけではなく、『イージス』も、まだ消失時間ではないのに完全に『消失』し、シェーダさんたちの『ライトニング・テンペスト』も、何もかもすべての魔法が『消失』した。


「え……?」


ぼくが現状を理解できないでいると、真っ青だったはずの空が、完全な乳白色になっていることに気づいた。

こんな魔法は使っていない。いや、こんな魔法がこの世にあるはずがない。


次の瞬間、空に裂け目ができた。

まるで、『口』としか言いようのない、裂け目の中に歯が見えるかのような、邪悪な裂け目だった。

真っ黒な裂け目の奥から、唾液のようなどす黒い瘴気が溢れ出し―――



その中から、『そいつ』が現れた。



全身が灰色で、人の形をしているが、明らかに人間ではない、異形の姿。

顔の部分にある目は闇のように黒しかなく、口は耳まで裂けそうだった。


『そいつ』の姿を見た瞬間、アリシアさんが絶叫した。


「逃げて!! みんな、逃げて!! 『滅びしもの』です!!」


その言葉に、ぼくの背中が総毛立った。

こいつが? こいつが、あの『滅びしもの』?


灰色の異形の者は、こちらにまるで関心がなく、まるで長い眠りから覚めた直後のように、ぼうっと遠くの空を凝視していた。


一番最初に動き出したのはシェーダさんだった。


「なんだてめぇは? 昔の伝承にあるものなんて……話が語り継がれるうちに、大げさになったもんばっかりなんだよ!! 人の戦いにちゃちゃ入れてんじゃねえ!!」


そう言って、雷雲の魔力を集め始めた。


「だめ!! 刺激してはだめ! 逃げて! 逃げてください!!」


アリシアさんの絶叫は、誰にも届かなかった。シェーダさんが詠唱を終えた。


「極限魔法、『ライトニング・テンペスト』!!」


数十本の激しい稲妻が、一点、灰色の人型に向かって降り注いだ。

完璧な直撃。一本残らず芯を外さない、天才的な狙撃だった。


すべての雷撃が降り注いだ後、そこには雷撃をくらう前とまったくなにも変わらない、傷ひとつない灰色の人型がそこにあった。極限魔法が、なにひとつダメージを与えられていなかった。


シェーダさんがはじめての出来事に驚愕し、次の動きを取れないでいると、灰色の人型が―――『滅びしもの』が、初めてこちらをギョロリと見た。


目玉の中には漆黒の闇しかなかった。何の感情も感じられなかった。ぼくは底知れない恐怖を感じた。

『滅びしもの』は空高く手を掲げ、雷雲の魔力を集め始めた。


『滅びしもの』の指先に、急速なスピードで魔力が集まっていく。

それは人間が使う魔法とはまったく違い、大きな空間に広がる幾何学的な模様のようで、神が作った芸術に等しく、どんな花火やイルミネーションも敵わないような美しさで指先に向かって吸い込まれていき、ぼくはその神々しさに体が震えた。


『滅びしもの』が詠唱を終えた。




「完全魔法、『ライトニング・テンペスト』」




その瞬間、数千本もの稲妻が戦場全体に降り注いだ。


直前、ぼくはアリシアさんを風魔法で鉄の柱の後ろに吹っ飛ばした。

それと同時に、0.1秒の間隙も置かず、戦場全体に張り巡らされるほどの極限魔法『プロテクション・イージス』を張った。

しかし、それは何の役にも立たなかった。


『滅びしもの』の雷の先端が『イージス』に触れた瞬間、『イージス』は粉々に砕け散った。


そこからの先は、まさに知覚できるかできないかの一瞬だった。


数千本の雷に、シェーダさんや隣国の兵士たちが直撃を受けた。


ぼくの全身に信じられないような衝撃が走り、閃光で眼の前が見えなくなった。

自分が雷の直撃を受けたのだと知るまでに時間がかかった。


意識が散った。

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