第17話 開戦と死
次の日、することもないので、偵察がてらに『死の丘』をアリシアさんと見てまわったところ、あまりにも重く澱んだ空気に肺がむせるようで、すごく嫌な気持ちになってしまった。
「なんでここは、こんなに嫌な空気がするんでしょうね?」
ぼくがアリシアさんにそう尋ねると、アリシアさんはあたりを見ながら、
「腐敗のせいだと思います」
と答えた。
「腐敗……ってなんですか?」
「攻撃魔法を使ったときに生み出される、浄化されない歪みのことです。治療院で夜の勉強会のとき、少し話しましたね」
そういえばそんなことを言っていたっけ? ぼくはあの時、アリシアさんのことに夢中で、全然そんなところが頭に入っていなかった。
「緒音人さん、あの時はいろいろがんばってくださって、いっぱいいっぱいでしたものね」
アリシアさんは、ぼくが忘れているのも責めずに笑って、『腐敗』について教えてくれた。
「魔法は、この世にあるすべての物から魔力を借りて発動しています。初級魔法なら5%、中級で10%、上級で15%、極限魔法なら25%、対象となるものから魔力をねじ取って光の粒に変えているんです」
ぼくはアリシアさんのその話に驚いてしまった。極限魔法を使う時、ぼくは魔力を根こそぎ集めているつもりだったけど、たったのそれだけしか集められていなかったのか。
「でも、たくさんの魔力をねじ取ればねじ取るほど、そこから『腐敗』と呼ばれる救いようのない歪みが生まれます。これは消すことができず、世界に溜まっていくんです。回復魔法や防御魔法では『腐敗』は生まれませんが、強い攻撃魔法ほど、より濃い『腐敗』をこの世に生み出します」
ガソリンと排気ガスのようなものだろうか。この世界でも、便利なことがリスクもなく使えるということは有り得ないのだった。
「……そして…… 『腐敗』が溜まりすぎると、『滅びしもの』が現れると言われているんです」
「『滅びしもの』……??」
「この世が生まれる前から存在すると言われる、正体不明の存在です。『腐敗』を喰い、『腐敗』の中でしか生きられないと言われています。『滅びしもの』が現れるときは、この世の終わるときだということです」
「誰か、見たことがある人がいるんでしょうか?」
「いないと思いますよ。わたしも、昔の文献の中で少し読んだことがあるくらいです。なにかの恐ろしい出来事を、そういったものになぞらえているのかも知れませんね…… でも……」
アリシアさんはカタルナ霊峰を見つめていた。
「『滅びしもの』はこの世で唯一、『完全魔法』を使える存在だと言われています」
「……『完全魔法』……?」
アリシアさんは静かにうなずいた。
「対象となるものの魔力を100%引き出した、究極の魔法です。世界を生むことも、滅ぼすことも自在だと言われています。誰も見たことのない、存在さえ疑わしい最高等級の魔法です」
そんなものがこの世に本当にあるのだろうか。
しかし、その恐ろしさだけはなんとなく想像がついた。
シェーダさんと戦ったとき、シェーダさんの極限魔法相手には、上級魔法を何十発ぶつけてもまるで歯が立たなかった。
しかし、上級で15%、極限で25%となると、その差はわずか10%しかない。あれで10%の差だとは到底思えない。つまり、引き出す魔力が1%であっても、発動する魔法にはとんでもない威力の違いが出てくるということだった。
「恐ろしい話ですね……」とぼくはうつむいた。
「そうですね……。でも、誰も見たことがないのですから、それも話半分です。どちらにしても、わたしたちにできることは、『腐敗』を溜めないようにすることですね……。極限魔法は大量の『腐敗』を生むと言われていますけど、緒音人さんもシェーダさんも戦争には参加していませんし、相手の国にも極限魔法が使える人はいませんから……。でも、戦争がこの世にたくさんの『腐敗』を生み、人を傷つける行為であることには間違いありません。世界中が『腐敗』で包まれる前に、世界から戦争がなくなるといいのですが……」
ぼくたちはそこで、どちらともなく言葉をつむぐことができなくなり、『死の丘』を見つめていた。
明日、ここで両軍が激突する。アリシアさんが育った国と、その隣にある国。
どんな事情があるのか、一般人であるぼくたちにはわからないけど、どうして戦争をしないといけないんだろう。
どうしようもない無力感だけがこみ上げてきた。
野戦病院に戻り、その日の夜あたりから、数え切れないほどのキラキラした緑色の光が空を舞い、『死の丘』付近に降り立つのを見ることができた。
風の中級魔法で、両軍の兵士たちが次々と移動してきているのだった。
あの中には、間違いなく司祭さんたちがいる。
治療院で一緒に暮らした人たちや、兵士として駆り出された街の人達がいる。
どうか、誰にも死なないでほしい。
思わず、ぎゅっとまぶたを閉じて、神様に祈ってしまう気持ちだったが、それは隣にいるアリシアさんも同じようだった。
その日の夜は、結局一睡もすることができなかった。
隣で横になっているアリシアさんの顔は、反対方向を向いていて見えなかったけど、きっと眠っていないに違いなかった。
次の日の朝、戦場となる場所は、ぼくたちがいるところからずいぶん遠い場所に決まったらしく、丘のふもとの森近くにいるぼくたちには、軍隊の姿はまったく見えなかった。
しかし、正午辺りに、開戦開始と言わんばかりの大きな鐘の音が鳴り響き、それと同時に、数千発以上の上級魔法のきらめきが、『死の丘』の空を埋め尽くした。
ぼくは思わず背筋がぞっとした。
一体何人、死んでしまうのだろう。
どれだけの人が、この魔法で傷を負うのだろう。
しかし、両軍ともに、魔法での戦い方には熟知しているらしく、攻撃魔法をうまく防御魔法で防いだり、相殺したりして直撃を回避しているようで、どちらかの軍が一方的に押されているような気配はなく、夜まで攻撃魔法の猛攻が同じ勢いで続けられていた。
ときおり、風の中級魔法で上空を舞う兵士たちを何人か見た。
偵察なのだと思うけど、何人かはこちらの野戦病院を見つけたようだった。
その姿に、なんだかとても嫌な予感がした。
正午から夜まで続いた魔法による戦争で、明らかに怪我人が出ているだろうことは予想できたけど、結局、誰一人として野戦病院に運ばれてくる人はいなかった。どちらの軍も、後方部隊である治療士たちが治療してしまっているのだろう。
アリシアさんとふたりで、戦争の光を見つめながら、自分たちのしていることが本当に役に立っているのか、暗い気持ちにならざるを得なかった。
そして次の日、司祭さんの言っていたことが現実になってしまった。
その日は早朝から戦争の鐘が鳴り、激しい魔法のきらめきが『死の丘』の空を埋め尽くしていたけど、そのうちの何発かが、明らかにぼくたちの野戦病院を破壊しようとして流れ落ちてきた。
ぼくは上級の防御魔法ですべてを受け流し続けたけど、少なくとも隣の国にとって、ぼくたちの存在が邪魔だと思われていることには間違いなかった。
ある時、明らかにぼくたちを狙う魔法の一群が、ぼくたちの国の陣営の方角から放たれていることに気づき、アリシアさんとふたりで猛烈な衝撃を受けてしまった。
ぼくたちは誰からも歓迎されていなかった。司祭さんの言う通りだった。
ぼくたちは傷ついた兵士を迎えるため、戦場の方を向いていたつもりだったけど、いつしか、こちらに来る攻撃魔法を防ぐために神経を使わざるを得なかった。
その日の夜、一日中続いた激しい魔法による猛攻がそろそろ終わろうかという頃、信じられないものを見た。
隣の国の陣営の方角から、美しい緑色の光が、ぼくたちの国の陣営の方角に向かって飛び出した。
無数に飛び交う魔法の攻撃の中を、風の中級魔法で飛ぶという行為は、どう見ても自殺行為にしか思えなかったけど、その緑色の光は明らかに他の兵士とは違う、天才的な風さばきですべての魔法を回避していた。
そしてぼくたちの国の陣営の後方まで舞い上がったかと思うと、それまでの攻防とは比較することもできない強烈な閃光が空を焼き、陣営後方に直接叩き込まれた。
極限魔法『ライトニング・テンペスト』だった。
ぼくはその光景を見て背筋を凍らせていたけど、アリシアさんは唇を噛み、悲しそうにつぶやいた。
「シェーダさん…… 隣の国の軍隊に入ったんですね……」
そうとしか思えなかった。
シェーダさんはぼくに復讐するため、自分の国を捨て、敵国に走ったのだ。
『ライトニング・テンペスト』がきらめいた後、申し訳程度にぼくたちの国の陣営から上級魔法が飛び交っていたけど、それはどれもシェーダさんの体を捉えられなかった。
矢継ぎ早に、2発目の『ライトニング・テンペスト』が叩き込まれ、陣営の一角が完全に沈黙した。極限魔法の前に、上級魔法しか使えない軍隊はまるで無力だった。
その日の戦いは、そこで終わった。
ぼくはずっと、戦場の方角から目をそらせないでいた。
次の日の朝、ぼくたちの野戦病院に向かって、数え切れないほどの兵士たちが運ばれてきた。
誰も彼も、ぼくたちの国のひとたちばかりで、隣の国のひとは1人もいなかった。当たり前だった。彼らは無傷なのだ。ひとりの極限魔法の使い手のおかげで―――
野戦病院に運ばれてきた人たちは、誰もが体を稲妻に焼かれた重症だった。
どれだけ『ヒールフル』を使っても、次から次へと怪我人が運ばれ、魔法が追いつかないくらいだった。
ぼくが回復魔法を使っている間にも、戦場では『ライトニング・テンペスト』の光が閃き、しばらくすると、また怪我人が大量に運ばれてくる。回復した人たちは、戦場に舞い戻り、また『ライトニング・テンペスト』が閃いて………やるせない思いが続いた。
怪我人を運んできた兵士のひとりが、剣を地面に叩きつけながら、憎々しげに叫んだ。
「ど畜生めが!! きょ、極限魔法相手に…… なにが…… なんのための訓練だったのか……。赤子の手をひねられるように… なにひとつ歯が立たない……!!」
近くにいた兵隊長らしき人物も、黙ってそれを見つめていたが、しばらくしてぼくとアリシアさんを睨みながらこう言った。
「もはや、お前たちが最後の回復部隊だ。我が国の人間として、恥じぬ働きをせよ。昨日の夜現れた、敵国の極限魔法の使い手が、いきなり我軍の後方に舞い上がり―――明らかに狙いを定めて―――後方の治療士部隊を叩いたのだ。誰もが死に、生き残った治療士はひとりもいなかった」
その言葉に、アリシアさんの顔から血の気が引いた。
気丈に立っているように見えたけど、足が震えていた。
全員死んだ。
死んでしまった。
アリシアさんの心の支えだったひとたち。アリシアさんの愛したひとたちが―――
昼前になり、「この者は聖職者だ。供養せよ」と運ばれてきた遺体は、黒焦げになった司祭さんだった。。
治療院の前で別れた時と同じ姿で、しかし、もう生きてはいなかった。
アリシアさんはその時、初めて足元から崩れ、司祭さんの死体にすがり、号泣した。
「ごめんなさい! ごめんなさい、司祭様……!! 最後まで、司祭様に孝行もしないまま……!! わがままばかり……! 本当にごめんなさい……!!」
アリシアさんは司祭さんの遺体に抱きついて服を掴み、いつまでも嗚咽を漏らしていたが、兵隊長がそれを許さなかった。
「泣くな! 自分の役目を果たせ! 生きている兵士たちに回復魔法を使え! 我が国の人間として、恥じぬ働きをせよ!」
兵隊長はアリシアさんを司祭さんの体から引き離そうとしたが、ぼくはそれを手で制した。
「やめてください。ぼくが役目を果たします。ただし、どの国の人間とか関係なく、人として恥じない働きをします」
ぼくは兵隊全員を見回してこう告げた。
「ぼくが止めます。ぼくが、極限魔法の使い手を止めてきます」
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