第16話 野戦病院設立

翌朝、荷物をまとめてぼくたちは、治療院の前で司祭さんたちに最後の挨拶をした。


「司祭様、今まで、実の娘のように育ててくださり、本当にありがとうございました」


アリシアさんは深々と司祭さんに頭を下げ、ずっと頭を上げることができないようだった。

司祭さんはアリシアさんを強く抱きしめ、

「アリシア……死ぬなよ……」

と言いながら、目を潤ませていた。アリシアさんも泣いていた。


その後、ぼくたちは、衛兵団員たちのお墓に行った。

シェーダさんを撃退し、自由に外出できるようになってから、アリシアさんは毎日お墓に通い、犠牲者に手を合わせていた。

ぼくもアリシアさんと同じく、市場で買ってきたきれいな花をお墓に供えた。


次に、アリシアさんとシェーダさんの家をもう一度尋ねてみたけど、やはりもぬけの空だった。

わずかに扉を開けてのぞいてみた家の中は、夢で見た子どもの家とそっくりだった。ぼくはやるせない気持ちになった。


最後に、アリシアさんと市場に戻り、これからの準備を整えた。

野戦病院と言っても、ふたりで大したものが作れるわけではなかった。

簡易式のテントや、タープを張った即席の診療所が作れたらいいところだった。

ぼくたちはテントやタープの支柱になりそうな鉄棒や、雨風をしのぐビニールシートのようなものをいくつか購入した。

長期戦に備えて、大量の水や保存食などの食料品や食器も買いだめした。

お金は、アリシアさんがこれまで貯めていたという貯金から出すことになった。

そういえばぼくは一文無しで、今まで何もかも治療院のお世話になり、本当に申し訳ないと思った。


買ったものをきれいに袋詰めし、風の中級魔法を使って、戦場になるであろう『死の丘』まで運ぶことになった。


風で大きめのプレートを作り、その上に乗って、ぼくたちは荷物とともに『死の丘』に向かった。魔法のじゅうたんみたいで気持ちよかった。



『死の丘』は古くから数多くの戦争に使われている場所らしく、ぺんぺん草ひとつ生えていない、いやな空気がどんよりと漂う殺風景な場所だった。見渡す限り、なにもない荒野の丘だ。


ぼくとアリシアさんは、戦場となる丘から数キロ離れた森の近くに野戦病院を構えることにした。


アリシアさんは、まず最初に大きな布1枚を使って旗のようなものを作り始めた。

布の中心に大きく、○の中にリボンのようなものがついたマークを描く。

聞いてみると、これは『中立』と『病院』を示すマークらしい。


これで本当に、司祭さんの言うような腹いせの攻撃を受けなくなるのかは疑問だったけど、とにかくできることは何でもやってみるしかなかった。


次に、市場で買った鉄棒や布、ビニールシートのようなものを使って、即席の野戦病院を作り始めた。


数十人くらいが寝られるように、地面いっぱいにシートを敷き詰め、鉄棒とシートで屋根代わりのタープを作る。

言うのは簡単だけど、これを作るのが結構重労働で、シートをロープで固定するのにずいぶん苦戦してしまった。元の世界で、もっと勉強しておけばよかったと思った。


すべての作業が終わったのは夕方くらいで、ぼくとアリシアさんはすっかりクタクタになってしまった。


アリシアさんが市場で買った材料を使って、簡単なスープのようなものを作ってくれて、ぼくたちふたりは焚き火を囲ってスープを食べた。

不謹慎だけど、なんだかとても嬉しかった。


アリシアさんは戦場になるであろう『死の丘』のほうを見つめながら、ふとこんなことを口に出した。


「丘の向こう、遥か遠くに、青く美しい山が見えるでしょう?」


アリシアさんが言う方向には、確かに青く美しい山が見えていた。

かなり標高が高い山みたいで、山頂の方には、うっすら雲がかかっているのも見える。

絵葉書みたいにとてもきれいだった。


「あれはカタルナ霊峰といって、昔から神様がいると言われて愛されている山なんです。わたしも、子どものころからよく、辛くなったりしたら、あの美しい山を見て元気を出したりしていました」


アリシアさんの子どもの頃。一体どんな子どもだったんだろう。

治療院にいた時、アリシアさんの両親の話を聞かなかった。

司祭さんとは何の血縁関係もないと知っていた。

聞きにくかった質問を聞いてみた。


「アリシアさんは……子どもの頃、どんなことがあったんですか?」


アリシアさんは焚き火を見ながら少し黙って、ぽつりぽつりと話し始めた。


「わたしが5歳くらいのころ、両親が病気で亡くなってしまって、親戚もいなくて、仕方がなくゴミ箱を漁って暮らしていたんです。そんな生活をしていたときに、わたしもついに病気になってしまって……。もう死ぬのかなとおもっていたのですが、路地裏で倒れているわたしを助けてくれたのが、『世界の母』のお弟子さんのひとりだったんです」


アリシアさんはずっと焚き火を見つめながら、その時のことを思い出しているようだった。


「『世界の母』は、世界中に、差別なくすべての人を愛することを目的とした、『世界の母の家』を作っています。それだけでなく、わたしのようなどうしようもない状況にある人たちを救う活動も積極的に行っていたんです。わたしは一命をとりとめて、司祭様のいる治療院を紹介してもらいました。その後、司祭様が実の娘のようにわたしを育ててくださったんです……」


アリシアさんはそこで言葉を切った。司祭さんのことを思い出して、感謝と申し訳なさでいっぱいになっているようだった。


「本当なら、魔法というものは魔法学校に通って、専門の魔法器具を使いながらでないと、とても習得できないものなんです。それを司祭様が、わたしが回復魔法を使えるように根気よく教え続けてくださって……。わたしに才能がないので中級魔法までしか習得できませんでしたが、司祭様には本当に感謝しています」


アリシアさんは手に持っているスープが入った器を少しなでた。


「わたしは……いつか…… 『世界の母』のような人になって、あのときのわたしのように、世界中の困った人のためになることをするというのが、人生で一番の夢なんです……」


焚き火の明かりが、ちろちろとアリシアさんの表情を照らしていた。


「そしてわたしは、自分のことをとてもずるいと思います……」


「?? どうしてですか……?」


「あなたのことを、こうしてわたしのわがままに巻き込んでしまったことと……それと……」


アリシアさんの顔が曇った。


「シェーダさんのような人がいるのに、自分だけ安定して生活していたことです……。あの人も、わたしと同じ貧困層なんですよ。でも、わたしだけがたまたま抜け出せて……シェーダさんは、口ではとても表せないような苦労をしたはずです。ひとりで極限魔法まで使えるようになったなんて、本当なら国立魔法学校で主席になり、国のお抱え魔法使いになれるくらいの天才だと思います。そうやって幸せになれるはずなのに……」


アリシアさんはそこで黙ってしまい、いろいろな思いが胸を駆け巡っているようだった。

ぼくは、アリシアさんのことをすごいと思った。

アリシアさんは、もう憶えていないのだろうか。それとも、気にならないのだろうか。

シェーダさんに落雷を浴びせられたのも、背中から刺されたのも、すべてアリシアさんのはずなのに……。それでも許せるものなのだろうか。


「ですから、シェーダさんのことも、救われなくてはならない人だと思っているんです……」


ぼくは焚き火に枯れ木をくべながら、「そうですね……」とつぶやいた。

シェーダさんは今どこにいるのだろう。

でもきっと、ぼくへの憎しみも忘れていない。

次に出会ったら、また戦うことになるのだろう。

そんな憎しみは、いつまで続くのだろう…。


ぼくはアリシアさんとの、治療院での楽しい毎日を思い出した。

シェーダさんには、あんな経験が人生で一度もなかったのかも知れない。

なんだかやるせない気持ちになった。


しばらくアリシアさんと語り合った後、空も暗くなり、この日はもう休むことになった。

戦争が始まるのは、明後日の朝。

ここに、ふたつの国から莫大な兵士たちが押し寄せるのかと思うと、興奮してしまってなかなか眠ることができなかった。

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