第15話 戦争の足音

この日から2週間が過ぎ、ぽつぽつと患者さんの治療をしながらも、『殺人鬼』を撃退したぼくの噂が広まり、辞めたはずの治療士が頭を下げて戻ってきたり、新しい治療士さんが集まったりして、治療院はまた賑やかな雰囲気が取り戻されつつあった。


ぼくはすっかり治療士のひとりになっていて、アリシアさんたちと忙しくも充実した時間を過ごしていた。

ときにはアリシアさんとふたりで疲れすぎて、一緒に立ったまま眠ってしまったことがあった。

アリシアさんのほうがぼくより少し早く起きたようで、ぼくの頬をつつきながら、

「寝てません?」

と優しく微笑みかけてくれた。


「寝てたかも……」

と返事をすると、アリシアさんは優しく笑いながら、

「わたしもです」

と言ってくれた。



とても幸せな毎日が続いた3週間目、王都からの伝書鳩が治療院に届いた。


手紙を開封し、司祭さんは、今までに見たこともないような険しい表情をして、ぼくたち治療士を一堂に集めた。


「これから言うことをよく聞いてくれ。隣国カドセルムと戦争をすることになった。国中から兵士が動員され、『死の丘』付近がおそらくカドセルムとの決戦場になる。我々は兵士の回復役として、兵士の後方にぴったり付き、常に兵士を回復させる役目を仰せつかっている。必要最低限の者だけここに残し、後は全員が戦場に行くよう命令だ」


信じられないような言葉だった。


戦場に行く…… 兵士たちが殺し合う…… そしてそれを回復させる…。


もちろん戦争だから、より多く人が死んだほうが負けであり、より多く人を殺したほうが勝ちとなるのだろう。


だったら、今までぼくがやってきたことは何だったのか……。

この仕事を始めてろくに時間が経っていないけど、ぼくは深く葛藤してしまった。


しかし、アリシアさんの葛藤はぼくとは比べ物にならなかった。

アリシアさんは司祭さんに質問を返した。


「わたしは戦争はしたくありません……。それは、回避できないものなのですか?」


「回避できないな。以前から火種は燃えていたが、ついにそれが決定的なものになった形だ。そもそも、我々は政治にはまったく手を出せん。ここは王都の決定にただ従うのみだ」


「戦争に行って、みなさんが殺し合って……。そして、わたしたちは、自分の国の者たちだけを治療するのですか?」


「そうなるだろうな」


「それも、したくありません……。昔、カドセルムの人たちが貿易に来られたところにお会いしたことがありますが、気のいい普通の人たちばかりでした。そういった一般人が、兵士として来られるのですよね。そして、大怪我をしても、その方たちは見捨ててしまうのですか」


「見捨てるというよりも…… 彼らは、彼らの国の治療士たちが治療するだろう」


「わたしは、人によって区別なく、分け隔てなく治療をしたいのです」


司祭さんが、始めて大きく苛ついていた。


「そんなことはわかっている! しかし……… わしらには、どうにもならんことなのだ……」


司祭さんも激しく苦悩しているようだった。


「ごめんなさい……」


アリシアさんは、司祭さんに向かって深々と頭を下げた。しかし、アリシアさんの考えは変わらなかった。


「わたしは、戦争に参加したくないんです。戦争なんて、どこの国とも、誰ともしたくないんです……」


「では、アリシアはここに残っておれ。残りの者だけで従軍することにする」


司祭さんはそれで決着としたいようだったが、アリシアさんはなおも続けた。


「わたしは、野戦病院を開きたいです」


「なに……?」


司祭さんのこめかみに血管が浮かび上がった。


「ここで待っているだけなんて、わたしにはできません。でも、戦争に参加することもしたくないです。ですから、どこの国の怪我人でも分け隔てなく受け入れる、中立の野戦病院を開きたいんです。そして、戦争反対を訴えたいんです」


司祭さんがアリシアさんの頬を平手打ちした。ぼくはその光景に驚いてしまった。


「よく聞くんだアリシア。確かにお前が憧れる伝説の治療士『世界の母』は、その昔治療体制が発達していなかった頃、たったひとりで中立の野戦病院を建て、ろくな回復施設もなく次々に兵士が死んでいく中、敵味方の区別もなく治療をすることで、最終的に戦争を終わらせた。彼女の健気さが、両国に戦争の虚しさを気づかせ、平和条約を結んだのだ」


アリシアさんは頬を叩かれても、変わらぬ意志で司祭さんを見つめ続けていた。


「しかしだ、アリシア。今は時代が違う。治療士たちは国の助成金のもとに養われ、こういった有事のときに動けるように契約された存在なのだ。ここで中立の病院を建てることは法律に違反しないが、国の心情を激しく逆なでする。今後助成金が降りなかったり、治療院自体を続けられなくなっても仕方のない状況だ。もう『世界の母』のような人間が現れる時代ではない。戦争は止められないのだ」


「では、わたしを解雇してください。わたしは、いち個人として野戦病院を開きます。それなら構わないでしょう?」


またアリシアさんの頬に平手打ちが飛んだ。それでもアリシアさんは怯まなかった。


「わたしは……できません。戦争に行くことは、どうしてもできません。人が死ぬのを、見ているだけもできません。助けたい。どちらの陣営の人でも。わたしが受け入れられないなら、わたしを解雇してください」


司祭さんは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、うつむき、やがて静かに言い放った。


「それがお前の意志なら、好きにするがいい。今日付けで、お前を解雇しよう。どこにでも行き、好きなことをするがいい」


司祭さんの目は潤んでいた。アリシアさんもすでに泣いてしまっていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、司祭様。ごめんなさい……」


アリシアさんは頭を下げながら、みんなの輪の中から少し離れた。

司祭さんは、目を潤ませながら、アリシアさんに向かって語りかけた。


「今とは時代が違うのだ。昔は治療体制が整っていなかったから、野戦病院は歓迎された。しかし、今は違う。敵兵も回復させる中立地帯は、どちらの国にとっても邪魔者でしかない。流れ弾を装って殺されたり、女ひとりでそこを運営したら、死の恐怖を携えた兵士たちに、どんな吐け口として使われるかもわからんのだぞ。わしは……わしは……。お前とは、今生の別れだ……」


司祭さんは完全に泣いていた。

アリシアさんも泣いていたが、当たり前のように、アリシアさんに賛同する者は誰ひとりとしていなかった。


「では、アリシアは解雇とし、以後の行動は我々の関知しないものとする。他の者たちの配置について通告したい。街に残るものは、ステアとルビアのふたり。後のものはすべて従軍する。そして緒音人よ。極限魔法が使える君は、従軍治療隊の隊長格のひとりとなる。状況によっては、戦闘に参加を要請される可能性もあるだろう」


「すみません、ぼくも野戦病院に行きます」


「はあああああああああああああああ!?!?」


司祭さんは開いた口が塞がらないと言った様子だった。

アリシアさんも驚いていた。


「お、緒音人さん、よく考えてください。これはわたしのただのわがままです。あなたが付き合うようなことではありません」


司祭さんもそれに同調した。

「その通りだ。お前は自分が何を言っているのか分かっているのか? 極限魔法が使える人間は今、両国のどちらにも存在しない。お前の存在が勝利を分ける鍵になると言ってもいい。お前は、国籍が我が国の者ではないから、強制従軍はできない。しかし本来なら絶対に強制でも出なくてはならないものだし、その責任を問われるものなのだ。そして、そもそも―――」司祭さんは言葉を切った。

「野戦病院では、未来など無い……。必ずどちらかの軍に、偶然を装って殺されて終わりだぞ」


それはそうかも知れない。

司祭さんの言うことは正しいように思えた。

しかし、ぼくを動かすのは正しさではなかった。


「でも、ぼくは、アリシアさんがいないと、意味がありません……」


ぼくの言葉は、アリシアさんがいないと極限魔法が使えない、という意味も含まれていたが、なんだか舌っ足らずになってしまった。

その時のアリシアさんの表情は、ぼくの方からは見えなかった。


司祭さんはしばらくうつむいていたが、やがて、ぼくの方を見ずにこう言った。


「アリシア、緒音人、この両名を本日付で解雇とする。以後、両人の行動や生死に治療院が関わることはできないから、皆もそのつもりでいるように」




その後の会議がどうなったのかは、さっぱり憶えていない。


気がついたら、ぼくとアリシアさんはなんとなく空気が意思を持ったかのように、体を流れに流され、治療士の控室にいた。


アリシアさんは無言のまま、控室の中にある私物を集め、出ていく準備をしていた。

ぼくもそれに習って、自分の私物を集めようとしたけど、よく考えたらぼくの私物はほとんど何もなかった。


唯一、ぼくが『ヒールフル』で治療した女の子がお礼にくれた、変なネズミのような人形だけが、ぼくの私物と呼べるものだった。


「これ、持っていきましょうか。ねずみのチューチューしてる人形」


ぼくは人形を見せて少し笑ったが、アリシアさんは初めて笑い返さず、泣きそうな目でぼくを見ていた。


「本当にいいんですか? 緒音人さん。あなたは、本当にいいんですか?」


アリシアさんの潤んだ目にぼくは戸惑った。


「どうして……。ぼくは、これでいいです。ぼくだって、アリシアさんと同じことを―――野戦病院をしたいし……」


アリシアさんは、途中から鼻をすすり出し、完全に泣き出してしまった。


ぼくはどうしていいかわからなくなり、アリシアさんの背中をさすった。

あたたかくて、とても小さな背中だった。


しばらくして、アリシアさんは泣き止み、潤んだ目でぼくを見返した。


「ありがとう……。でもわたし、本当は怖い………」


初めてだった。アリシアさんが、自分の本当の弱い姿をぼくに見せるのは、これが初めてだった。

ぼくはその姿を見て、心と体が喜びに震えた。

初めてアリシアさんの本当の心に触れて、その喜びでいっぱいになった。


「大丈夫です。アリシアさんは、ぼくが守りますから……」


アリシアさんは、また泣き出してしまった。それも、ぼくの肩で顔を隠し、ずっと泣いていた。

それがなぜか嬉しくて、ぼくはずっとこのままでいたかった。


でもぼくは、なんとなくその時予感した。

戦争の足音を感じ、大きな別れが来ることを予感して、すごく怖くなった。

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