第14話 アリシアさんの思い

「そうですか……それで、捕まえることはできなかったんですね……」


アリシアさんが自分の胸のところを少しさすった。

すっかり傷は完治している。


『殺人鬼』との戦いの後、治療院に急いで駆けつけたぼくが発動した『リヴァイヴ』は、ふたりの命が体からこぼれていくのを救ってくれた。


アリシアさんと司祭さんが落ち着いた後、ぼくは『殺人鬼』との戦いや、逃してしまったこと、夢の中の子どもが『殺人鬼』らしいことをふたりに語って聞かせた。


「捕まえられたら良かったんですが、2回目の攻撃ができなくて……。どこかに逃げられてしまったんです……」


アリシアさんは少し微笑んだ。


「いいんですよ。よくそれだけ戦えましたね。それに、銀髪に褐色の肌、お母さんを亡くしていて、わたしたちと同じくらいの年頃といえば、もうほとんど誰のことだか絞り込めます。シェーダさんです」


司祭さんも厳しい顔をした。

「貧民街のシェーダか…」


アリシアさんが続けた。

「誰だって1年のうちに何度かは病気になりますから、治療院にやってくるものなんです。ですからわたしたちは、街のほとんどの人の顔や人柄を知ってるんですよ。でも、シェーダさんだけは一度も治療院に来たことがなくて、わたしもつい最近まで存在さえ知らなかった。あの方が、殺人鬼だったんですね」


「わしらを恨んどるからじゃろ? シェーダの存在は容認できんが、過去にわしらの治療院の誰かが作り出した闇でもあるからな」


ぼくはふたりに尋ねてみた。

「その、シェーダという人は、普段どんな仕事をしてるんですか?」


司祭さんは顔を曇らせながら、

「まったくわからん。しかし、どう考えてもきれいな仕事ではないはず。相当汚れて生き抜いているはずじゃが……」


アリシアさんも顔が曇っていた。

そして床から立ち上がると、ぼくと司祭に対してこう続けた。


「シェーダさんの家に行ってみましょう。お話するしか、解決する方法はありません」


ぼくは度肝を抜かれた。アリシアさんは、落雷を浴びせられ、背中から刺された相手に、自分から会いに行けるのだろうか。


「ぼくもついて行きましょうか。いざという時、戦える人間がいないと…」


ぼくの言葉は心配のつもりだったが、その言葉がアリシアさんの顔をより曇らせた。


「もう、戦うのは辞めましょう。わたしたちが非武装で行かないと、シェーダさんは心を開いてくれないと思います。ですから、わたしと司祭さんだけで向かうのがいいと思います」


ぼくはアリシアさんの言葉が信じられなかった。

理屈はそうかも知れないけど、また殺されてもしかたのないような状況だった。

とても受け入れられないし、到底見送ることはできなかったが、アリシアさんの意志は固いようだった。


「わたしは、何も恨んでないことを伝えたいし、わたしたち治療院の過去のあやまちを謝罪に行くのですから、武装していてはだめなんですよ」


それはそうだけど、とてもそれができるとは思えなかった。

しかしアリシアさんは静かな意志でこう続けた。


「緒音人さん、誰かがそれをしないと、シェーダさんの心は、ずっと闇の中に囚われたままになってしまいます。もともとの原因は、わたしたちなんですから……」


ぼくは黙り込んでしまった。


次の日、アリシアさんと司祭さんがふたりでシェーダさんの家に行くことになり、ぼくはまったく眠ることができなかった。


眠れないまま朝を迎えて、いつも通り掃除をし、看護服に着替え、アリシアさんに出会ったら、いつも通りの笑顔の優しいアリシアさんがいた。


朝食を食べながら、「ご飯を食べ終わったら、シェーダさんのところに行ってきますね」とアリシアさんはこともなげに言った。


司祭さんもうなずきながら、自分に言い聞かせるように言った言葉が印象に残った。

「医療や福祉の世界は、人間がやることだから、綺麗事だらけではない。失敗や事故ならいいが、心の腐った人間がこの仕事をすることで、とんでもない過ちを犯し、考えられないような傷を人に与えてしまうようなこともある。我々関係者は良かれと思っていても、常にそれに気をつけるべきだし、過去に過ちがあったなら、見て見ぬふりをすることは許されないからな」


ふたりとも、職業人として本当に立派だった。

ぼくと年齢が変わらないのに、アリシアさんは凛とした勇気があった。

もしもシェーダさんに殺されたとしても、アリシアさんは、それを受け入れられるのだろうか……?


ぼくは朝食の時間が終わってほしくないと思ったが、アリシアさんはいつも通りのメニューを食べ終わったら、すぐに食器を片付け始め、礼服に着替えると言い出した。


司祭さんも身なりを整え、まるで教会にいる人のような雰囲気になった。


アリシアさんは司祭さんと2人で並んで、司祭さんに「教会の服を着て、若返ったみたい」と冗談を言って笑った。


「シェーダさんは、わたしたちに会ってくれないかも。でも、わたしたちの素直な思いは、伝えに行かないといけませんからね……」


アリシアさんを見送る時、ぼくは今生の別れのような気持ちになった。

アリシアさんは、なぜシェーダさんのことを信用できる??

あんな目にあったというのに……。


アリシアさんたちが戻るまで、ぼくはまるで何も手につかず、ペンを手に持ったり、落としたり、無意味な時間を繰り返して過ごした。


1時間ほどして、アリシアさんたちが戻ってきたけど、ぼくにはまるで3日くらいの長さに感じられた。

何も傷を負っていないアリシアさんを見た時、心底ほっとしてしまった。


「シェーダさんは、もうお家にはいませんでした」


アリシアさんは礼服のジャケットを脱ぎながら、残念そうにつぶやいた。


「きっともう街を出たんじゃろう。ここに戻ってくることもあるまい。当面は、戦うこともないかも知れんが…… 緒音人くんは、気をつける必要があるな」


司祭さんがそう注意を促したが、ぼくを狙ってくるならそれはそれでしかたがないとも思えた。

アリシアさんや司祭さんを襲わないなら、自分が襲われたほうが、ずっとずっと気が楽だった。

そしてふと、アリシアさんたちも、そういう気持ちでシェーダさんの家に向かったのかなと思った。


「わしらは今まで通り治療院の仕事を続けよう。治療士再募集の広告も出してみる。人が集まるまで、しばらくは忙しいがな」

司祭さんは笑った。


ぼくはこの人たちといっしょに過ごせて、なんだか本当に幸せだなと感じてしまった。

だから、まさか失ってしまうとは考えもしなかった。この時は……

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