第12話 襲撃

薄暗い部屋。

あたりにはゴミやガラクタが散乱し、腐敗したような匂いすら立ち込めていた。


その部屋の真ん中の湿った布団に、今にも息絶えそうな女性が苦しそうに横たわっていた。


主人公は―――

それを見つめる人物は―――

それがぼくの今の視点になっていた―――

張り裂けそうな胸の動悸を抑え、泣き出しそうな心をこらえながら、いまかいまかと焦り、待つことだけで精一杯だった。


部屋の扉が開き、光が差し込んだ。

主人公は、小さな体を跳ね上がらせ、扉の前へと向かった。扉を開けたのは、若い男の治療士だった。ぼくが見たこともない人だ。


「おねがい! おねがい! お母さんを助けて!」


主人公は、必死で治療士に頼み込み、土下座して頭をこすりつけた。

お母さんを助けるために、治療士を呼んでいたらしい。

治療士はあたりを見回し、鼻をつまんだ。


「汚ねーー家」


治療士は土足のまま家の中にあがりこみ、主人公にぶっきらぼうに話しかけた。


「金は?」


主人公は懸命に、かき集めたお金を治療士に渡した。

「これ、これが全部…! おねがい、お母さんを治して!」


治療士はその金に一瞥をくれ、そのまま鷲掴みにし、ポケットにねじこんだ後にこう言った。


「これじゃ足りんな。出張費にしかならん。他には何がある」


主人公は絶望した。


「そんな……そんなはずない! これで足りるはず……だってもう、これしかお金ないもん……」


「じゃあ治療は終わりだな。金を貯めといたら」


治療士は、1秒もこんなところにいたくないという素振りで立ち上がり、部屋を出ていこうとした。


「まって! まって!! おねがい!! お母さん死んじゃう!」


治療士は振り返らなかった。

「それ、なんか俺に関係ある?」




そこで夢から覚めた。

ぼくはびっしょりと寝汗をかき、涙まで流してしまっていた。


治療院は誰もいなくなってしまったせいで、すっかり静かだった。


ぼくはパジャマから看護服に着替え、まずは自分の部屋の掃除をした。

その後廊下に出たところでアリシアさんに会った。アリシアさんはぼくを見てにっこりと笑った。


司祭さんと3人で一通りの掃除が終わり、朝食の席についたところで、さっきの夢の話をしてみた。


「ふうん……なんとも残酷な、後味の悪い夢の話だな……」


司祭さんは厳しい顔つきをしていた。


「実際、ぼくが見たような夢の出来事って、過去にあったんでしょうか?」


ぼくは夢のあまりのリアルさに、それが夢とは思えず、司祭さんに尋ねてみた。


「どうだろうな……。今は間違いなく無いと言い切れる。治療士に対する規制がずいぶん厳しくなったからな。しかし、10年ほど前は分からん。治療士は専門の魔法学校を出て治療魔法を使えるようになった者たちが多いから、特権意識も強かったし、奉仕意識が低かった。がめつい治療士や非人道的な治療士が横行して、さまざまなガイドラインが出来上がったんじゃよ。王都からの助成金も、そのおかげでずいぶん減ってしまったしな」


「助成金とかあるんですか」


ぼくはいろんなことに無知だった。


「患者さんからもらっている治療代はわずかだからな。そこに助成金を加えて、ようやく治療士が生活できる金額になってくる。昔はたらふく出ていた助成金も削減、削減で、いまやわしらの生活はかなり厳しいよ」


そう言って司祭さんは笑った。


「わしは教会職から医療職に渡ったくちだがな。神様に祈っていたときのほうが、生活は楽だったかな。いまや、自分で自分に祈りっぱなしの毎日じゃな」


司祭さんは食卓のマッシュポテトのようなものを口に入れながら続けた。


「お前が見た夢が、どういう種類のものなのかは知らんが……。昔はそういう出来事が確かにあっただろう。わしも同業者として後悔もあるし無念もあるが、もうどうしようもない。今後のことを考えていかなくてはな……」


そう言って、司祭さんは牛乳を飲み干した。

司祭さんの言うことはもっともだった。


しかし、そんな目にあった人間は、そのことを忘れられるのだろうか?

それは一生、心の中に残ったままなのではないだろうか?

ぼくは複雑な気持ちで食事を終えた。




午前中の間、ぽつぽつと数人の救急患者さんが来たけれど、みんな昨日の噂を気にして、入院しようとする人はいなかった。


昼過ぎになって、王都から派遣された兵隊たちが来て、これから衛兵団の詰め所の遺体を弔い、お墓を作ってくれるということだった。


アリシアさんは自分のせいだと主張し、現場に行って手伝いたいと言い出したが、外出することは危険だと司祭さんが止め、王都の兵隊たちにも、『事態が落ち着いてから』来るようにと返答された。


事態が落ち着く……


それは、あの『殺人鬼』を倒した後でしか言えないことだ。


ぼくに、あの『殺人鬼』を止めることができるのだろうか?

全身が身震いした。でも、常にアリシアさんと一緒に行動し、極限魔法を連発できれば、勝つ可能性は十分にある。

相手はぼくが1000年練り込んだ童貞力で魔法を使っていることを知らない。魔法の量はこちらのほうが圧倒的に上なのだ。しかし、それが大きな落とし穴であることに、ぼくは気づいていなかった。


そろそろ夕方になろうかという頃、晩御飯の食材を買い出しに行かなくてはならなくなった。

アリシアさんが行くと言い出したが、ひとりで出かけるのは危険だし、買い出しはぼくが行き、治療院では司祭さんがアリシアさんを守ることになった。


近くの市場で必要な物だけ買い集め、外出時間は最小限。

時間にしても、10分くらいしか経っていないはずだった。


治療院の扉を開け、「ただいま」と声をかけた時、ぼくの全身が震え上がった。


『鎧の殺人鬼』が治療院の真ん中にいた。


アリシアさんが腕を後ろ手にねじりあげられて捕まっており、司祭さんは棒きれを持って、それに対抗しようとしていた。


ぼくがいない間に―――

ふたりは、攻撃魔法も使えないのに、どれだけ怖かっただろう―――

ぼくが出かけなければ―――いや、違う―――

ずっと見ていたんだ―――ぼくが出かける瞬間を―――

より強く、ぼくに後悔させるために―――




『殺人鬼』は、アリシアさんの腕を後ろ手にねじりあげたまま、懐からナイフを取り出し、それを深々とアリシアさんの背中に突き立てた。ナイフはやすやすとアリシアさんの体の中に沈んでいった。


「うっ!!ううううううっ!!」


アリシアさんは出血とともに崩れ落ちるように倒れていった。


「き、貴様!!」


司祭さんが棒きれで殴りかかるが、鎧の前には棒きれも無力、どれだけ力いっぱい殴り抜いても、棒きれが折れただけで、『殺人鬼』には何のダメージもなさそうだった。

しかし『殺人鬼』は、アリシアさんに突き立てたナイフを、そのまま司祭さんのお腹に向かって数回、突き立てた。


「う!!ぐぅ……!!」


司祭さんが床にうずくまった。ぼくの全身から血が逆流した。


「やめろ!! やめろぉぉぉぉぉぉ!!」


ぼくは絶叫していた。

『殺人鬼』はぼくの方を振り向き、鎧の下の顔は見えないが、笑っているように見えた。

殺人鬼が鎧の下から発する声は、くぐもっていて、加工され、地獄の底から響くデジタル音のように聞こえた。


「お前を待っていた…… お前をできるだけ残酷に……殺してやるために……」


ふたりは生きているのか。生きているなら、まだ救える!! ぼくの『リヴァイヴ』で……。


『殺人鬼』が、指先を天にかかげ、魔力を集めようとした。ぼくはそれよりも速く、風の中級魔法『グライディング・ウインド』を発動させ、ぼくと『殺人鬼』の体を街外れまで吹き飛ばして移動させた。

治療院の中で極限魔法を使えば、アリシアさんたちを確実に巻き添えにして殺してしまう。


ぼくは風に乗って移動しながら、離れていくアリシアさんの姿を見て、涙が出るような思いだった。

必ず戻ります……! 必ず! すぐに……!!



街外れの草原に着地し、相対したぼくと『殺人鬼』だったが、あまり時間をかけてはいられない。

アリシアさんも司祭さんも、何分持つか分からないのだ。

早急に『殺人鬼』を倒して治療院に戻る必要がある。

でも……でも……


アリシアさんがいない。

ぼくは、極限魔法を使えない。

上級魔法だけで、『殺人鬼』を倒せるものだろうか?

それでももう、やるしかないのだ―――

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