ケース64 篠原まこと
暇を持って余していた。
今日くるべき客はまだ来ない。
天井を眺めて既に数十分。
さーて、今日のお客さんはどういう人間なのか…
静かに目を閉じ、俺は――――ペラペラと捲ったファイルの中身を思い出し、記憶の海に身を預けた。
コンコン。ノック音。
「――――どうぞお入りになってください。異世界転生事務局へようこそ」
ガラと扉は開かれ――――
俺は瞼を開け――――そいつと目が合った。
最初の印象。中性的だがやや女性寄りな顔立ち。髪も含めてショートカット、160すら超えてない身長。
知らない人から見れば――――「彼女」は女性としてみなされるだろう。
だが俺は知っていた。
ファイルには乗っていた、「彼女」が「女性」ではなく、「男性」であること。
「まずは簡単な自己紹介から始めましょう――――異世界転生事務局へようこそ、私めは局長を務めるツヴァイシュヴァル、以後お見知り置きを。
「異世界…?転生…?」
彼女はよくわからない様子だった。おっと失礼、彼、ね。
「はい、簡単に説明すれば、あなた方は今死の淵をさまよっています、つまり死ぬ直前の状態であります。故に死後、はどういう世界に魂を転生させるのが、私めの役目です。難しく考えることはありません、地球とは違う世界にもう一度生まれる――――それだけのことです」
「…………」説明を聞き終えた彼は深く考え込む。
――――俺は待つ。
いくらでも待つ。
長い沈黙。
室内は無音。
まるで生き物の気配すらしない。
「――――転生すれば」
やがて彼は長く閉ざされたままの口を開き――――
「――――僕の…地球の僕の記憶は消えるのでしょうか?」
おや?
これはちょっと変わった質問だね。
いいよ、答えてやる。
残酷でも事実。
「――――消えます。基本的にね。稀に…自分の”前世”を思い出す人もいたんですが。」
「――――もうひとつ。僕の…転生すれば、転生先の自分の性別は自由に決められるのでしょうか?」
「できますよ。お望みでしたらね。それぐらいはできます」
ファイルに「彼」に関する情報が脳裏をよぎる。
性同一性障害。
精神は女性なのに体は男性。
「彼」は、その類の人間。
「僕のこれから転生する世界は…どんな世界ですか?」
「そうですね…”異世界”という言葉に聞き覚えは?」
彼が頭を左右に振った。
なし、ということですね。
これはこれで珍しい。
ここに来る人間――――今まで接してきた客は殆ど日本人だ。中には二人のアメリカ人もいたが、圧倒的日本人が多い。こちらに来てから一ヶ月くらいの頃、管理者と何気ない雑談の時聞いてみたが、どうやら日本では異世界転生がブームのようでそれで転生したがる輩が輩出している模様。それのせいかここにくる日本人は殆ど異世界転生がどういうものなのか予備知識を持っている。
まったく、物好きもいたものね。
好き好んであんな世界アツゥルマイガルドに転生するやつの気がしれん。
常に絶え間なく戦火に包まれた大地、真っ赤な色の血の川、鼓膜を突き破るような慟哭。
人々は戦って日々を過ごす。敵はいくらでもいる、魔族、魔獣、竜族。
平和が訪れてもつかの間。
今度は人間同士で戦争を起こす。他国に侵略し、殺し合う。
だがこちらに来てみれば何ということだろう。
完全無欠とは行かなくても、人々は穏やかな生活送られる。
魔族や魔獣に怯えなくて済む。
なんていい管理者に恵まれた世界なのだ。
それなのに――――
どうも日本はおかしな国のようだ。
勇者である俺、ツヴァイシュヴァルは数千を下らない国を旅してきた。当然その都度翻訳や通訳雇うわけにも行かぬ、俺は実際数千国の言語を覚えてきた。
そんな俺からすれば一ヶ月もあれば地球主要国の言語すべて覚えるのは造作もない。
英語、日本語、中国語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、イタリア語…
全部覚えた。
覚えたからにはいろんな国の書籍を暇つぶしに手に取ってみた。
そして気付いた。
――――日本は地球上でもおかしな国だと。
なぜなら本屋に行けば「異世界に転生して俺TUEEE無双してハーレム築き上げる」と大量にそういうジャンルの小説や漫画があるのだ。
管理者は苦笑した。
――――特定の読者層には人気があるから仕方がない。と。
おかしい。
おかしい。
大体チートって何だ。
勇者の俺すら見たことがない。
当然だ。
そんなのが存在すれば世界はめちゃくちゃになる。
世界は法則によって構成されている。
だがその「チート」は法則――――世界の理に反するものだ。
綻びが生じてしまう。
そんなものをボンボン与えてはどうなるか、考えるまでもない。
その世界は――――滅ぶのだ。
悪意としか思えなかった。
「チート」を与えた存在も、「チート」をもらった存在も、悪。
そして無双する必要性が一体どこにあるのかもわからなかった。
お前の手による二度と帰らぬ命が――――大量に、沢山に、屍の山が築き上げられる。
そんなことして楽しいのか。生き物を殺すことがそんなにも楽しいのか。
狂ってるとしか思えぬ。
もっとも狂気なのは、その発想を世の中に普及させ、あたかもこれが当たり前の常識、を作り出したのは争いとは無縁な国の人間。
――――そんなにも生き物を殺したかったのか。
あの屍の塔は、あなた達が欲しかった結果なのか。
俺は、違う。
俺は、否定する。
消えた命は決して二度と帰らぬ。故に生命に価値がある。
そんな異世界転生ジャンルの主人公は決まって、強さを見せたがる。
そのために争いも厭わず、むしろ自ら引き起こしてしまう。
俺は、それが狂気に思えた。
俺は、好き好んで魔獣を屠り、魔族を殺したわけじゃない!
平和を求めたかっただけなのに。
世界は、俺を許してくれない。
どこまでも――――残酷だ。
「では試験部屋へどうぞ、許可の審査に入りますので」
彼は俺の後に続いて、試験部屋へ入った。
「そんなファンタジー世界に…僕は転生するんですか」
「はい。まあ気楽に考えてください、死んで復活した程度に」
パチン。
指の音に、部屋の中に――――生まれたばかりの赤ん坊が出現する。
「……」
俺は待つ。ただひたすら彼の行動を待つ。
彼は、無言で、静かな足取りで、その赤ん坊に近付いた。
抱き上げた。
俺は見守るだけ。
彼は、赤ん坊の世話をした。
何時間も、世話をした。
赤ん坊はすやすやと眠りに落ちた。
パチン。
眠った赤ん坊が消えた。
「あの…」
「合格です。入ってきた扉から戻ってくださいね。転生する際、性別を女性にします」
「……ありがとうございます」
ペコリと、彼は頭を下げた。
数分も立たぬうちに、彼が扉を潜って出ていった。
俺は、ソファーに身を預ける。
――――命を育て、愛を育む。彼は――――いえ、「彼女」はきっと、たとえ苦難が訪れようが、乗り越えられるだろう。
たとえそれがどんな残酷な世界でも、幸せに生きていられるのだろう、
――――――篠原まこと、ケース完了。
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