第5話(終)
ベースへ戻るまで、ウィルはほとんど口を開かなかった。とても軽口など叩ける気分ではなかったのだ。
ディザートタイガーのような凶暴な動物がまた襲ってくるんじゃないかとびくびくするメッツに、あんな動物は本来この辺りにはいない、もし来てもまた追っ払ってやる、とクリフは何度も言い聞かせ、そのおかげで、ガラクタ山が影も形も見えなくなる頃にはメッツも多少は落ち着きを取り戻したようだったが、それでも口数は少なかった。
クリフも気を遣ってか、それ以上は何も言わなかった。
ベースに繋がる階段を下り、ドアをくぐったところでマントと水筒を回収したクリフは、ウィルがどうやっても開けなかったあのドアを開けて、それらを放り込んだ。どうやら壊れていたのではなく、大人にしか開けないような仕掛けが為されているらしい。
ここは地上で使う道具を置いておく場所なのか、とウィルは一人で納得した。
二枚目のドアをくぐると、ヤネフはまだ寝ていた。
呆れたクリフがしゃきっとしろ、とヤネフの頭をはたき、目を白黒させたヤネフが、
「はい! ただ今お持ちします!」
と見当はずれなことを口走り、メッツが本当に久しぶりに笑っていた。
それで気持ちが軽くなったのか、人気のないところまで行くと、心配をかけたくないから今日のことは親には言わないで欲しいとメッツが言い出した。
驚いたクリフとしばらく押し問答していたようだが、思いの外強情なメッツに珍しくクリフが全面降伏していた。疲れが溜まっていたのかもしれない。
メッツやクリフと別れたウィルは、もうすぐ夕飯の時間だというのに、その足で『いつもの場所』に向かった。なんとなく、家に帰る気になれなかったからだ。
『いつもの場所』に辿り着いたウィルは、ランプも点けずに椅子に腰掛け、四肢を投げ出してだらしなく背凭れに寄りかかった。
「……」
今日のことで、はっきりと分かってしまった。自分はどうしようもなく子供で、何の力もないのだと。死の恐怖を間近に感じて、痛いほど思い知った。
クリフがマントと水筒を準備してくれなかったら、ガラクタ山に辿り着くことも出来なかったかもしれない。
クリフが迎えに来てくれなかったら、あの広い荒野で迷子になっていたかもしれない。
クリフが迎えに来るのがもう少し遅かったら、あの凶暴な動物にばったり出くわして、あっけなく死んでいたかもしれない。
結局、外の世界では何一つとして自分には出来なかった。
冒険だと言って、馬鹿みたいに浮かれていた。自分の弱さも知らずに。
短パンのポケットから、ライトグレーの物体を取り出す。こんなもの、持っていても仕方がない。どうせ子供のウィルには辿り着けない場所だ。
「あ~……くっそぉ……」
悔しい。何で自分はこんなに弱いのだろう。自分もクリフのように強かったら、誰にも頼らずに外を歩けるのに。そして、この場所に何があるのか、この目で確かめられるのに。
暗闇に光る記号と数字を、ぼんやりとウィルが眺めていると、コンコン、と壁を叩く音がした。音の方へ顔を向ける。逆光を背負って、入り口に誰かが立っていた。
「こんなところにいたのか」
「クリフ兄ぃ?」
つい先ほど別れたばかりのクリフだった。ウィルは慌てて居住まいを正した。
「もう夕飯の時間だろ? 家に帰らなくていいのか?」
「今は、食べたくない」
そう言ってウィルは俯く。本当だった。全く食欲がない。
クリフは特に肯定も否定もせず、そうか、と言っただけだった。床に置いてあるランプを点けて、ウィルの対面の椅子に座った。小さめの椅子なので、少々窮屈そうだ。
「済まなかったな、ウィル」
「え?」
いきなり謝られ、ウィルは困惑して顔を上げた。
「怖い思いさせちまった」
「そ、そんなことないって! 元はと言えば、勝手に外に出ようとした俺が悪いんだし。俺、クリフ兄ぃに助けてもらってばっかりだった……」
そういえば、散々助けてもらったのに、ありがとうも言ってないな……。ウィルはまた俯いてしまった。
「ガキの頃に――」
困ったようにふっと笑みを浮かべたクリフは、徐に口を開いた。
「俺も、大人の目を盗んで外に出たことがあったよ」
「クリフ兄ぃも?」
「ああ、星空ってやつを見てみたくてな」
意外だった。クリフがそんな無茶をするイメージが、ウィルにはどうしても湧かない。
「友達に頼み込んで、門番の近くで嘘の喧嘩してもらって、それで門番が仲裁に入った隙に外に出たんだ。帰りは堂々と戻ってきて、門番を驚かせるつもりだった」
自分が考えもしない方法で外に出たというクリフ。子供の頃から、俺よりも頭が良かったんだな、とウィルは思った。
「地上に出たときは、日が暮れる少し前だったな。林のど真ん中に出入り口があって、星を見るには場所が良くなかったから、空が良く見えるところまで歩いてった」
クリフは静かに語る。ウィルは段々とクリフの話に引き込まれていった。
「しばらく歩いて、開けた場所を見つけて、暗くなるのをじっと待ったよ。日が完全に落ちて、いよいよって時――」
そこで一度クリフは言葉を切り、自嘲気味に笑った。
「空が雲で完全に隠れた。おまけに雨まで降ってきて、星を見るどころじゃなくなっちまった。……ああ、雨って分かるか?」
「あれだろ。あの空から冷たい水が降ってくるやつ」
「なんだ、知ってるのか」
意外そうに言うクリフに、ウィルは頷きを返した。過去5回、いや、6回の内、2回ほど、雨に降られたことがある。
クリフは話を続けた。
「そんでな、急いで戻ろうと思ったら、来た道が分かんなくなった。迷子ってやつだ」
ウィルの目が大きく見開かれた。クリフが迷子?
「そんな……。嘘だろ?」
「嘘じゃないさ。結局、自力でベースに帰られなくてな。情けないことに、探しに来た大人たちに保護されるまで、蹲ってめそめそ泣いてた。本当に心細くて、このまんま死んじまうかと思ったなぁ」
しみじみとクリフは言う。
「まあ、そういう経験が俺にもあってな、少しぐらいならお前らのことを手伝ってもいいかと思っちまった。そのせいで怖い思いさせちまって、済まないと思ってる」
神妙な顔付きになって、真剣な声でクリフはウィルを見つめてくる。
ウィルは何も言えずにいた。なにより、ウィルには今のクリフの話がとても信じられなかった。あの強くて、いっつも格好良いクリフが、子供の頃とはいえ道に迷って泣いていただなんて。
「ガキの頃なんて皆弱いもんだ」
ウィルの心を読んだみたいに、クリフは言葉を紡いだ。
「最初から強いやつなんていないさ。誰だって最初は弱い」
「そうかな……」
クリフの言葉は何故か、すぅっと抵抗なくウィルに染み込んでくる。
「ああ、ちょっとずつ強くなればいい。焦る必要はないんだ」
いいのだろうか。弱くても。これから強くなれるのなら。
「クリフ兄ぃ。俺、いつかこの場所に行って、ここに何があるのか確かめてみたい! ……俺にも、出来るかな?」
立ち上がり、手の中で淡く光る画面を見つめてウィルはクリフに尋ねる。その瞳には、ウィル生来の溌剌とした輝きが戻っていた。
「出来るさ。だけど、今のままじゃあ無理だな」
意地悪そうに、にやりと笑ったクリフは、くしゃくしゃとウィルの頭を撫でる。
「まず、好き嫌いしないでいっぱい食え」
「……うん」
「そんでたくさん運動しろ」
「うん」
「疲れたら、ぐっすり眠って疲れをとれ」
「うん!」
「勉強も忘れずにな」
「う……が、頑張る」
「おう、頑張れよ」
最後にぽんと軽く叩いて、クリフはウィルの頭から手をどける。ウィルはポケットにライトグレーの機械を突っ込んで、部屋から出ようとした。
「こら! ウィル、お前こんなところで何をしとるか! 親御さんが探しとるぞ!」
そこへぬっと現れたネルソンが、ウィルを見つけるや、よく響く声で彼を叱りつけた。
「ごめんなさい! 今帰ります!」
「おぅ!?」
ウィルは元気よく言ってぺこりと頭を下げ、驚いて固まっているネルソンの横をすり抜けていった。
「なんだァ、あいつは。いきなり素直になりおってからに……」
「さあ、何でしょうねぇ」
「…………お前、何か隠しとるな?」
一人、訳知り顔のクリフをジト目で睨むネルソン。
「いいえ、別に?」
クリフは飄々とネルソンの視線を受け流す。その顔は、とても楽しそうに笑っていた。
その夜、夕飯をたくさん腹に入れてシャワーを浴びたウィルは、自分の部屋に戻ると電気を消してベッドに飛び込んだ。
手にはあの機械がある。薄緑色に光る画面の数字は、最初に見た時とほんの少しだけ違っていた。やっぱり、これは自分の知らない『何か』の位置を示している。
いつか、自分が強くなったら、この目で確かめてやるんだ。
何があるのかを。何が待っているのかを。
いつか、きっと。
ウィルは瞳を閉じ、やがて心地良い眠りへと落ちていった。
小さな手から零れ落ちた冒険の証は、淡い光を灯し続けている。
とある星の片隅で 海月大和 @umitukiyamato
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