§2 Shadow of a Doubt 5

 次に洋館の美少女、黒井彩子と遭ったのは、『クリノリン』を訪れた1週間ほどあとの事。

駅横のショッピングモールに入居している美容室『ビスチェ』に、支店長の使いで届け物をしに行った時だった。


『ビスチェ』のロゴのついた真っ白な両開きのドアを開けると、入ってすぐの所には大きなアンティーク調のコンソールが置いてあり、待合室には猫脚のソファが並んで、テーブルに置かれた燭台の電球が、仄かに暖かな光を灯している。

壁紙も淡いピンクとブルーのストライプで、甘ったるいアロマオイルの香りが漂い、よく西洋絵画で見る、高級サロンの様な雰囲気を醸していた。

こういう、女の子好みのオシャレな雰囲気の店は、なんとなく気後れがして苦手だ。

おれは手早く用事を済ませ、そそくさと店を出ようとして、あっと息を呑んだ。


待合室の奥に、例の『執事』が座っていたのだ。


いつもの漆黒の長いジャケットを着て、背筋をキチンと伸ばした姿で、『執事』は猫脚のソファに座っていた。

という事は、今ここに彩子お嬢様もいるのか?!

おれは店内を見渡した。


いた!

奥の鏡台の前に座っている!


ちょうど、髪のセットを終えたところで、頭のてっぺんでツインテールに結んだ髪を、美容師が念入りにブラッシングしている。

つややかなストレートの長い髪が綺麗にかれ、シルクの様に滑らかな光沢を照り返している。まるでシャンプーのコマーシャルみたいだ。

ブラッシングが終わると、黒井彩子は立ち上がり、こちらへ歩き出した。

今日も例の、漆黒のロリータ服だ。

座っている時は椅子いっぱいに広がっていて気づかなかったが、意外とスカート丈が短く、ボリュームのある裾から膝上のソックスの間から、太ももが見え隠れしている。


『インナーもきっとガーターにストッキングかな。

スカート丈が割と短くてパニエでふくらんでるから、階段とか昇ってると、絶対領域が簡単に見えちゃいそう。まあ、その危うい感じがいいんだけどね』


ふと、おれははづきの言葉を思い出した。

ライトスタンドの傘みたいな広がったスカートは、歩くたびにフワフワと揺れて、スラリと細長い脚が、スカートのなかに続いている。

黒のストッキングと真っ白な肌とのコントラストが、妙に艶かしい。

一歩踏み出すごとに、柔らかなパニエが太ももに絡みつき、ストッキングのレースの模様がチラチラと見え隠れする様は、確かにある種の危うさを秘めていた。


黒井彩子はそのまま、おれの方に歩み寄ってくる。

ブラッシングをしていた美容師の他に、数人のスタッフが彼女の後に従っていた。

他のお客のカットをしていた店長までが、「ちょっと失礼します」と言って席を離れ、彩子お嬢様を見送りにくる。


なんだか焦る。

からだを壁際に寄せ、おれは黒井彩子に道を譲った。

彼女はおれになど見向きもせず、美しい瞳の奥に冷ややかな光をたたえ、隣を通り過ぎた。

一瞬、風が巻き起こる。

長い髪に乗せられたシャンプーとコロンの香りが、鼻腔をくすぐる。

清々しい春の風のなかを、淫らな蜜をたたえた花びらが舞う様な…

なんというかぐわしく、蠱惑こわく的な香り。


「あっ、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


店長をはじめ、スタッフ全員が入口に並んでいて、深々と頭を下げて彩子お嬢様と『執事』を見送っている。

その様子は、『クリノリン』で見た時の様に、どこか張りつめた緊張感があった。

振り向きもせず、黒井彩子は『執事』を従えて店を出る。


「いつもは自宅に呼びつけるのに、急にお店に来るなんて」

「彩子お嬢様って、ほんっと気まぐれなんだから」


黒井彩子の姿が見えなくなったとたん、店内には安堵の空気が流れ、若い美容師たちは口々にそんなことを言っていた。

誘われる様に、おれは彼女のあとを追って、店を出た。


つづく

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